フィクションの世界には、<創作だからこそ楽しめる>という要素がいくつもあります。一番分かりやすいのは、犯罪に関するものでしょう。殺人、放火、誘拐、強盗等、現実に起これば許し難いものでも、小説や映画なら物語を盛り上げる重要なポイントとなり得ます。
そんな犯罪に関わる職業の筆頭格、それは<殺し屋>です。非合法な手段で犯罪と関わりまくれるという使い勝手の良さ(?)から、フィクション界で殺し屋はいつも大活躍!もはや古典の貫禄さえある『仕掛け人・藤枝梅安』や『ゴルゴ13』、もっと近年のものだと伊坂幸太郎さんの『グラスホッパー』、逢坂剛さんの『百舌シリーズ』等々、殺し屋が登場する作品は数えきれないほどあります。最近読んだ作品でも、腕のいい殺し屋が意外な形で有能ぶりを発揮していました。今回は、石持浅海さんの『殺し屋、やってます。』を取り上げようと思います。
こんな人におすすめ
・殺し屋が登場する小説に興味がある人
・日常の謎をテーマにしたミステリーが好きな人

フィクション作品、特にミステリーやサスペンスの世界において、数多くの登場人物達が死体と出くわします。常識的に考えれば、そこで真っ先にすべきことは<救急・警察に通報する>一択なものの、創作の世界となると話は別。主人公がどうにか死体を処分しようと苦悩するところから物語が始まる、という展開も珍しくありません。
この世の中に、絶対不変のものは存在しません。どんな物事であれ、状況次第で二転三転するのが世の常。そんな中、変わりやすいものの筆頭格は<価値観>ではないでしょうか。
子どもが家から離れ、旅をする。ジュブナイル作品の王道とも言えるシチュエーションです。旅先での出来事を経て子どもが成長していく様子は、文章で読んでも映像で見てもワクワクするものですよね。このジャンルには、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』をはじめ、名作がたくさんあります。
現代には、エンターテインメントが溢れています。漫画に小説、ドラマ、映画、ゲームetc。漫画一つ取っても、紙媒体もあれば電子書籍もありと、その数はまさに無数。この分だと、三年後、五年後には、きっとまた新しい娯楽が誕生していることでしょう。
「昔はよく見聞きしたけど、今はめっきり減ったよなぁ」と思う物事って、色々あります。その中の一つが、ミス・コンテスト。独身女性が優勝を目指して競い合うイベントで、ミス・ユニバースやミス・日本が有名ですね。一時期は様々な自治体や学校がコンテストを開催していましたが、ルッキズムやジェンダーレスといった問題から、昨今はその数も激減したようです。
ホラー界における三種の神器とも言える恐怖アイテム、人形(個人的な残り二つは鏡と日記)。人形が怖いのは、人の形を模していることと、本来可愛いものというイメージがあるからでしょうか。愛らしいはずの人形が恐怖シーンに登場した時の恐ろしさは、そのギャップから、本気で鳥肌立ちそうになるものです。
創作の世界において、姉妹というのは良くも悪くも濃密な関係になりがちです。私がイヤミスやホラーが好きだから余計にそう感じるのかもしれませんが、兄弟より複雑な愛憎劇が展開されることもしばしば・・・女同士という性別ゆえに、そういう描写がなされるのでしょうか。
私が子どもの頃、オカルト界隈では<ノストラダムスの大予言>が有名でした。最近は名前が出る機会もめっきり減ったので一応解説しておくと、これはフランスの医師兼占星術師であるノストラダムスが書き残した予言のこと。実物は相当な量の詩集なのですが、日本ではその中の第十巻七十二番『一九九九年七の月、空から恐怖の大王が来るだろう』という一文がやたらと広まり、「一九九九年の七月の世界へ滅亡するんだ!」という騒ぎになったのです。実際のところ、ノストラダムス自身は世界滅亡に関する記述は何一つ残しておらず、そもそも詩の和訳が間違っているという指摘すらあるものの、ホラー好きとしては印象深いブームでした。
ホラーやイヤミスの世界において、<子ども>というのは特別な存在になりがちです。子どもは可能性の塊であり、未来の象徴。そのせいか、モンスターや殺人鬼が跋扈し、多数の犠牲者が出る中、子どもだけはなんとか生き残るという展開も多いです。