一昔前、<世話をする><面倒を見る>と言えば、大人が子どもに、若者が老人に、健康な人間が病人や怪我人に等、<エネルギーがある者がない者に対して行う>という認識が一般的でした。生き物には、どうしても弱い時代が存在するもの。そんな時に他者の手を借りることは、罪でも恥でもありません。
しかし、昨今、<面倒を見る>という行為の形式が変わってきた気がします。高齢の親が引きこもりの子どもの世話をしたり、ティーンエイジャーが大人に代わって家事や介護の一切を担ったりする話は、世間に溢れています。やむを得ない事情により一時的に行うならまだしも、それが恒常的に行われるとしたら・・・・それが不自然だと思うのは、果たして私だけでしょうか。今回取り上げるのは、中山七里さんの『ヒポクラテスの悲嘆』。家族というものの在り方について、改めて考えさせられました。
こんな人におすすめ
・引きこもり問題に関心がある人
・『ヒポクラテスの誓いシリーズ』のファン