かつて日本には<就職氷河期>と呼ばれる時代がありました。これは、バブル崩壊の景気衰退により新規学卒者の就職が難しくなった時期のことで、年代としては大体一九九〇年代半ばから二〇〇〇年代前半。この時期に就職活動を行った結果、正社員としての就職先が見つからず非正規雇用で働かざるをえなかったり、その後中高年になってからも経済的困難を抱えるケースが続出しています。二〇〇〇年~二〇一四年頃の、ITバブル崩壊からリーマンショック後の時期も就職氷河期扱いされてはいるものの、その後の雇用回復の勢いから見ても、前者の方が深刻だと捉えられているようです。
創作界でも同様の認識なのか、小説で就職氷河期が扱われる場合、一九九〇年代半ばから二〇〇〇年代前半の時期を指すことが多い気がします。当ブログ内で取り上げた中山七里さんの『能面検事の死闘』や真梨幸子さんの『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』でもそうでした。最近読んだ小説もその中の一つでしたよ。櫛木理宇さんの『氷河期のゴミ』です。
こんな人におすすめ
社会の理不尽さをテーマにしたミステリーに興味がある人

どの職業にも言えることですが、小説家の中には、意外な経歴をお持ちの方が少なくありません。クリエイティブな仕事は、やり様によっては<出勤せず、帰宅後に創作活動に励む>という就業形態が可能です。だからこそ、小説家稼業が軌道に乗るまで他の仕事をしたり、なんなら小説家として十分な実績を上げてからもダブルワークを続けたりする方も一定数いらっしゃいます。
ペット関連の書籍やテレビ、動画などを見ると、そのすべてで「最後まで責任を持って可愛がらなくてはならない」と語られています。至極もっともで、動物はおもちゃではなく、一つの立派な命です。「いらなくなったから捨てます」などという身勝手は断じて許してはなりません。
幼稚園受験、小学校受験、中学受験、高校受験、大学受験・・・学生時代には受験が何度かあります。<中学まで公立に行って、卒業後に就職>という進路を選ぶことも可能ですが、現代日本の事情から考えるに、割合としては少数派でしょう。どこかのタイミングで一度は受験を経験したという人の方が多いと思います。
私は下戸ですが、その分(?)、甘いものは大好きです。若い頃と比べると食べる量は落ちましたが、新作スイーツは欠かさず買いますし、飲食店でデザートメニューのチェックは必須。暇な時は、ウィキペディアの<各国のデザート>を読みながら、食べた気になってニマニマ悦に入っています。
物語の世界には<前日譚>というものがあります。これは、読んで字のごとく、本編開始前の出来事を語った作品のこと。言葉自体は、二〇二三年時点で主な国語辞典には掲載されていないため、比較的新しくできた造語のようです。
<ストーカー>という言葉が社会に浸透して久しいです。認知度が高まるにつれて研究も進み、一体どういう存在をストーカーと呼ぶのか、どういう心理状態でストーキングを行うのか、具体的にどんな行動に出るのかなどといった部分も明らかになってきました。一昔前、ストーカーというと、<未練のある異性に付きまとう>というイメージが真っ先に浮かびがちでしたが、今では単純にそうとは言い切れません。性別・年齢・立場問わず、様々な状況でストーカーが発生し得るのが現状です。
子どもの頃から海外ドラマや洋画が好きだった私の憧れの場所、それはショッピングモールです。当時、私が知っている小売店といえば、日用品ならスーパーで、改まった品ならデパート。それに不満があったわけではありませんが、画面の中で海外のティーンエイジャーたちが言う「土曜にショッピングモールで待ち合わせしましょう」「モールに新しいお店ができたって」などというやり取りが、やたらお洒落に思えたものです。
ミステリーやサスペンスの場合、<真相解明に至る手がかり>がとても重要な要素となります。目撃証言、指紋、血液型、防犯カメラ、DNA、インターネットの検索履歴etcetc。舞台となる時代によって手がかりの質も変化していたりして、なかなか面白いです。
実は私、お酒がまったく飲めません。若い頃は「練習すれば強くなる」という言葉を信じてせっせと飲んでいましたが、どれだけ経っても、一口二口飲んだだけで胸やけと眩暈のダブルパンチ。血縁者にも下戸が多いので、遺伝なのかもしれません。現在はすっかり諦めの境地に達し、お酒の場でもノンアルコールを貫いています。