電子書籍の台頭が著しいこのご時世。とはいえ、私個人としては、本は紙で読むのが好きです。ちょっとしたコラムやレビューくらいの分量ならいいのですが、単行本一冊分ともなると、画面越しに読むうちに頭と目が疲れてくるんですよ。DVDやCDのレンタルショップはネット配信の勢いに押されているようですが、本屋と図書館は決してなくならないでほしいと切に願います。
また、紙の本が好きな理由は、疲労のせいだけではありません。これもまた個人的な好みですが、紙の本の方が<仕掛け>の面白さが増す気がするからです。仕掛けについて詳しく説明するとネタバレになってしまいますが、折原一さんの『倒錯の帰結』や道尾秀介さんの『N』のように、文章だけでなく本全体にネタが仕込んである小説といえば分かりやすいでしょうか。もちろん、プロの手にかかれば電子書籍でも仕掛けを施すことは可能なのでしょうが、やっぱり紙のページをめくりながら「あー、そういうことか!」となる楽しさは格別なんです。今回ご紹介する作品も、最後まで読んで初めて仕掛けに気づき、「騙されたー!」となりました。澤村伊智さんの『頭の大きな毛のないコウモリ』です。
こんな人におすすめ
後味の悪いホラー短編集が読みたい人
不幸が続く撮影現場でスタッフが見た夢と現、ゾンビが現れた世界にはびこる狂気の連鎖、バスツアーで参加者達が味わう恐怖の真相、愛する我が子に母親が抱いた疑惑の行方、虐げれる少年と出会った救い主の正体、街に広がる都市伝説の意外な顛末・・・・・帰り道などどこにもない。絶望と恐怖に満ちたホラー短編集
ホラー作品の生還フラグをことごとくへし折り、子どもだろうと母親だろうと病人だろうと容赦なく犠牲になる、まさに澤村伊智節全開!と言える一冊です。さらに、前述した通り、本作にはちょっとした仕掛けがあります。すべての話を読み終わり、最後の自作解説を読んでいくと・・・・・あとがき感覚でつらつら読んでいたので、まんまと騙されてしまいました。
「禍 または2010年代の恐怖映画」・・・トラブルや不幸に次々と見舞われ、公開すら危ぶまれるホラー映画「禍」。それでも撮影は強行されるも、現場では様々な怪奇現象が関係者たちを襲う。ついには死者まで出てしまい・・・・・
<訳も分からず怪異に巻き込まれていく登場人物達>という澤村伊智さんらしさが一番表れていた話だと思います。不幸続きの撮影現場と、撮影中のホラー映画の様子が交互に描写される構成、なかなか不気味でイイですね。途中、不吉な噂のある映画のタイトルがいくつか挙がっているけど、これって本当なんでしょうか・・・・?
「ゾンビと間違える」・・・突如、世界各地でゾンビが出現。人間を捕食する彼らは一時、大混乱が起きるも、頭部を破壊すれば倒せるという弱点が発覚し、世界は秩序を取り戻した。これ以降、ゾンビを殺すことは民間人にも許可され、各自の裁量で野良ゾンビを狩り始める。いつしか<ゾンビと間違えたなら、人を殺してもやむなし>という常識が広がっていき・・・・・
ゾンビ騒動の方は「頭を潰せば抹殺可能!」となったことであっさり解決するという、数多のゾンビ作品の根底を覆すような話です。怖いのは、「ゾンビと間違えたなら、殺しちゃっても仕方ないよね」という名目の下、邪魔な人間を集団リンチで殺す人間達の方。この<邪魔な人間>というのが要介護老人や障碍者といった弱者ばかりで、<若くて体力のある引きこもり男性>とかにはてんで弱腰という辺り、妙にリアリティあってイヤ~な感じでした。ラスト、一歩踏み出してしまった主人公は一体今後どうなるのやら・・・
「縊 または或るバスツアーにまつわる五つの怪談」・・・売れなくなった元アイドル・御堂かすみのコアなファンを集めて開催されたバスツアー。ツアー自体は予定通り進んでいくものの、途中、関係者数名が、御堂かすみの死体を目撃したという。御堂かすみ自身はツアー後もぴんぴんしており、今は演技派俳優として再注目されているのだが・・・・・
複数の関係者がアイドルのバスツアーについて証言する、いわゆる<藪の中>形式の話です。こういう場合、証言者によって事実が異なるのがお約束。だからこそ、各自の話がズレていても「うんうん、お決まりのパターンだよね」と流してしまいます。そのズレにだんだん違和感が生じてくる描写の薄気味悪さが秀逸でした。ところで、こういうツアーって、現実にも存在したそうですね。ちょっと興味あります。
「頭の大きな毛のないコウモリ」・・・とある保育園にて、子どもを預ける母親と保育士とが連絡ノートを介して語り合う。シングルマザーの母親は、幼い息子の発育に不安があるらしい。穏やかに対応する保育士に対し、ついにはとんでもない疑惑を打ち明けて・・・・・
澤村伊智さんのホラーには、手紙やメールといった書簡形式の作品がいくつか存在します。この話で使われるのは、保育士と保護者が交わす連絡ノート。育児の悩みを吐き出す母親と、「ままあることですからご心配なく」となだめる保育士という日常的なやり取りが、徐々に不穏な方向に向かっていく様子が最高にスリリングでした。最後数行の救いのなさの含め、さすが表題作!という感じです。
「貍 または怪談という名の作り話」・・・一人の男が、少年時代に体験した奇妙な話を語る。小学生時代、クラスにはトロいいじめられっ子の少年がいた。特にガキ大将一派からのいじめはひどく、先生も半ば黙認状態。そんなある日、ガキ大将の腰ぎんちゃくだった少年が急死する。その死に方は、とても異様なもので・・・・・
誰もが知る国民的有名作品を、こんな形でホラーに使うなんて・・・・・!!改めて読み返してみたら、元ネタとなった作品をきちんと踏襲していたことに驚きです。でも確かに、あの作品を現代の事情に基づいて考えると、こういう展開もあり得るのかも(汗)語り手の男も言うように、今後あの作品を目にした時、ビミョーな気持ちになってしまいそうです。
「くるまのうた」・・・作家のもとに知人の編集者が持ち込んだ、移動販売にまつわる都市伝説。昔、奇妙な歌を流す販売車があり、<物を買いに行った人は失踪する><外見だけそっくりな別人とすり替わって帰ってくる>といった噂があったという。編集者はこの話を商業化したいそうで・・・・・
この話で語り手となる作家<ぼく>は、澤村伊智さんがモデルなのでしょうか。全滅エンドではない分、「もしかして、これって実話?」と思わせる不気味さがありました。あと、屋台や車(かつては駕籠)にまつわる怪談は大昔から存在したという記述が興味深かったです。こういう話、大好きなので調べてみようかな。
「鬼 または終わりの始まりの物語」・・・出版社で働く昌は、ひょんなことから、圭太郎という青年と知り合う。圭太郎は長年引きこもって暮らしており、社会性は皆無ながら、恐ろしく博識で洞察力も高い。もしや彼はサヴァン症候群なのではないか。そう思いつつ、圭太郎と交流を続ける昌。ある日、昌はふとした気まぐれで、圭太郎相手に傲慢な古参ライターの愚痴をこぼすのだが・・・・・
五話目とは違ったベクトルで、誰もが知る有名物語をアレンジしています。まあ、あの話も、常識で考えるとこういう怪異譚になってしまうのかも・・・SFディストピア物を思わせるラストはかなり意外でしたが、よく考えたら、澤村伊智さんは『ファミリーランド』でSFホラーも書かれているんですよね。どろどろした土着ホラーっぽさと、うまくマッチングしていたと思います。
なお、本作収録作品は、すべて別々のホラーアンソロジーに収録済みです。私はどの話を読んだのもずいぶん昔であり、おおまかなあらすじ以外忘れていたので楽しめました。ただ、最近読んだばかりという方には物足りないかもしれません。購入派の方は、収録作のタイトルおよび寄稿されたアンソロジー名をしっかりチェックしておくことをお勧めします。
日常と怪異の混ざり方がお見事!度★★★★★
最後の最後でやられます度★★★★★