家事。読んで字の如く、掃除・洗濯・食事の支度といった<家の仕事>を指す言葉です。今は家電が発達し、資金に余裕があれば外注という手段もあるとはいえ、細々とした家事の数はそれこそ無限大。不器用で要領の悪い私など、やるべき家事が多い時は、しばらくフリーズして現実逃避に走ることさえあります。
一昔前の<男は外、女は内>という時代では、家事は女性の仕事でした。その影響か、共働きが珍しくもなんともない現代でさえ、女性が家事の中心と見なされる場面が少なくない気がします。当事者同士が納得しているならそれで全然構わないのですが、こういう場合、往々にして家事従事者の方に一方的にしわ寄せが行き、不満を溜めやすいもの。どんな形で家事分担をするにせよ、構成員全員が「自分の家庭の一員である」ことを自覚して行動しないと、取り返しのつかないことになりかねません。この作品を読んで、改めそう実感しました。近藤史恵さんの『山の上の家事学校』です。
こんな人におすすめ
家事をテーマにしたヒューマンストーリーに興味がある人

「時代は問わないから、海外の作家を一人挙げてみて」と聞かれた時、ウィリアム・シェイクスピアの名前を挙げる人はかなり多いと思います。シェイクスピアは一六世紀後半から一七世紀初頭にかけて活躍したイギリス人作家で、二〇〇二年の<百名の最も偉大な英国人>投票で第五位にランクインするほどの有名人です。それほど有名な偉人にも関わらず、現存する資料が少ないため、<実は作品はシェイクスピアではない別人が書いていた説><複数の作家が共同ペンネームでシェイクスピアを名乗っていた説>等々、面白い噂が色々ある人物でもあります。
「こんな結末は読んだことがない」「予想を遥かに超えた奇想天外なストーリー」。物語を評する上で、これらの文言はしばしば誉め言葉として使われます。私自身、事前の予想を裏切られるビックリ展開は大好物。この話は一体どう落着するのだろうと、手に汗握りながらページをめくったことも一度や二度ではありません。
もともとは、飲食店などを一人で利用する客を指す言葉<おひとり様>。それが二〇〇〇年代に入った頃から<一人で生きている自立した大人><同居人がおらず、一人で暮らす人>といった意味で使われるようになりました。流行語大賞にノミネートされたり、ベストセラー書籍のタイトルに使われたりしたこともあり、すっかり世の中に定着した感がありますね。
明けましておめでとうございます。毎週水曜更新を基本としている当ブログ、今年は偶然にも一月一日が更新日でした。だからどうというわけではないものの、たまたまこういう記念日に当たると、なんとなく嬉しいものですね。今年も変わらず偏った趣味丸出しの読書レビューを投稿し続けるつもりなので、どうぞよろしくお願いします。
この世には、様々な記念日や行事があります。大晦日、正月、ひな祭り、ハロウィン、バレンタイン。個人レベルなら誕生日や結婚記念日などもあるでしょう。こうした記念日には、プレゼントにごちそうなど、とにかく華やかできらきらしたイメージがあります。
<女三界に家なし>という言葉があります。<三界>とは仏教用語で<全世界>のこと。「女は子どもの頃は親に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子どもに従うもので、世界のどこにも落ち着ける場所などないのだ」という意味だそうです。「そんな状態はおかしいから、決して甘んじてはいけないよ」と続くわけでもなく、ここで終わりというところに、旧来の価値観の恐ろしさを感じます。
子どもの頃、<契約>というのはものすごく複雑かつ高度なもので、身近には存在しないと思っていました。漫画やドラマの中で、社運を賭けたプロジェクトに挑む会社員が契約書を取り交わしたり、悪徳商人に売り飛ばされた主人公が奴隷契約を結ばされたり、悪魔に願いを叶えてもらうのと引き換えに魂を渡す契約を結んだり・・・・・ただの<約束>とは違う仰々しさを感じていたものです。
コロナ禍によって、これまであまり重要視されていなかったシステムや習慣に注目が集まるようになりました。例えば混雑した空間でのマスクの着用、手洗いうがいの徹底、オンラインでの会議や授業etcetc。コロナが第五類に移行した今もなお、すっかり社会に定着した感があります。
<死蝋>という現象をご存知でしょうか。これは遺体が腐敗菌の繁殖を免れ、かつ、長期間に渡って外気との接触を遮断された結果、蠟状ないしチーズ状に変化したもののことを指します。時として意図せず遺体が死蝋化することもあり、最古のものとしては、紀元前四世紀に生きていた男性の遺体が死蝋となって発見されています。