文芸作品の中には<読むのが嫌になる小説>というものが存在します。決してつまらないわけなく、文章力や構成はとても優れているものの、あまりの悲惨さや恐ろしさにページをめくるのが怖くなる、という意味です。昨今のイヤミスブームの影響もあってか、一時期に比べるとこの手の作品が増えた気がします。
私はフィクションならけっこう耐性あるのですが、それでも「読むのが辛い・・・」と思った作品がいくつかあります。ダントツ一位は、海外作品ですが、ジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』。国内だと、歴史を感じさせる吉村昭さんの『羆嵐』や遠藤周作さんの『沈黙』、現代ミステリーなら宮部みゆきさんの『模倣犯』、東野圭吾さんの『さまよう刃』など、どれも本を家に置いておくのさえ辛いと思うくらい衝撃的でした。最近読んだこの作品も、胸をえぐられるようなショックを受けました。小説家であると同時に脚本家としての顔も持つ、美輪和音さんの『ウェンディのあやまち』です。
こんな人におすすめ
児童虐待をテーマにしたミステリーが読みたい人

「青春」という言葉の成り立ちは案外古く、古代中国の五行思想に登場しているそうです。本来は「春」という季節を意味する単語であり、転じて日本では「人生において、未熟ながら若々しく元気に溢れた時代」という使われ方をするようになったんだとか。何歳が青春なのかというと、これは人それぞれ考え方があるでしょうが、一般的には大体中学生くらいから二十歳前後といったところでしょうか。
以前、別の記事で、図書館の予約システムについて書きました。読みたい本を確実に読めるよう貸出予約を入れるというもので、当然、人気の本には何百件もの予約が殺到します。となると、なかなか本を借りにこない予約者をいつまでも待ち続けるわけにもいかないので、大多数の図書館では予約本の取り置き期間というものを設けています。自治体によって違うようですが、基本、十日~二週間というケースが多いようですね。
子どもの頃から推理小説好きだった私には、憧れのシチュエーションがあります。それは<警察の信頼を得て捜査協力を求められる少年少女>というもの。現実にはおよそあり得ないんでしょうが、「もし自分がこんな風に事件に関わることができたなら・・・」とワクワクドキドキしたものです。
私は友人知人から<スイーツ女王>と言われるほどの甘党です。中でも目がないのは、チョコレートパフェやガトーショコラといったチョコレート系のスイーツ。昔、デザートビュッフェでチョコレート系のスイーツばかり三十個近く食べ、カフェインを摂りすぎたせいか全く眠れなくなったこともありました(笑)
幸せないっぱいの人生を送りたい。これは、私を含む大多数の人間の望みでしょう。自分で言うのも何ですが私は甘ったれな人間なので、「贅沢言わないから、健康で、普通に遊んだり美味しい物を食べたりできる程度の財産があって、人間関係にも恵まれた一生を送りたいな」などと、ぼんやり夢見ることがよくあります。
映画『羊たちの沈黙』を初めて見た時の衝撃は、今でもよく覚えています。ヒロイン役のジョディ・フォスターの演技やスリリングなストーリー展開、手に汗握るクライマックスなど見所はたくさんありますが、何と言っても一番インパクトがあるのはアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士の存在感でしょう。残虐な猟奇殺人を犯しておきながら人並み外れた知能を持ち、収監されているにも関わらず警察から捜査協力を求められるほどの天才犯罪者。その紳士的でありながら凶悪なキャラクターは、現在に至るまで多くの観客を魅了し続けています。
別の記事でも書きましたが、フィクションの世界において、被告人のために戦う弁護士はやや特殊なポジションであり、強烈な個性付けがなされることが多いです。一方、これと対照的なのは、弁護士と法廷で争う検事。良くも悪くも生真面目な法の番人として描かれがちな気がします。
「人間が動物に変身する(逆もあり)」というのは、SFやホラーでお馴染みの設定です。お馴染みすぎて初めて見た変身ものが何だったか思い出せないくらいですが、記憶に残っているのは映画『ウルフ』。段々と狼に変わっていくジャック・ニコルソンの変貌ぶりが印象的でした。
SF作品の中では、しばしば「パラレルワールド」という言葉が登場します。この世界と並行して存在する別の世界のことで、A世界で死んだ人間がB世界では生存していたり、C世界では敵同士だった人間がD世界では恋人同士だったりと、無限のパターンがあります。現実離れした考えと思われがちですが、実は物理学の世界でも存在が議論されるテーマだそうですね。