はいくる

「汚れた手をそこで拭かない」 芦沢央

皆様、明けましておめでとうございます。無事に2021年を迎えた当ブログですが、残念ながら、世界的に見ると幸せ一杯の新年というわけにはいきません。コロナウィルスは今なお猛威を振るい続けており、医療従事者やサービス業者など、この災厄で心身共に疲弊した人々の数は天井知らず。医者でも研究者でもない私にウィルスの駆除方法など分かりませんが、三密を避け、手洗いうがいを心がけ、一日も早い騒動の収束を願うばかりです。

そして、こういう時だからこそ、ウィルス対策を意識しつつ極力いつも通りの日常を送りたいと思っています。私にとって欠かせない日常の一つ、それが読書。一時期、コロナ対策で図書館が閉鎖されていたことがあるせいか、「本は読める内に読めるだけ読んでおく」という習慣がすっかり身に沁みついてしまいました。そんな私が新年最初の一冊に選んだ作品はこれ、芦沢央さん『汚れた手をそこで拭かない』です。

 

こんな人におすすめ

人の心の闇を描いたミステリー短編集が読みたい人

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どんなに拭っても決して消えないものがある---――誠実な夫が背負う若き日の後悔、過失を隠蔽しようとする教師が迎えた予想外の結末、老いた男が見た隣人の意外な一面、映画製作者達の傲慢が招いた暗転劇、かつての不倫相手に翻弄される人妻の運命。これは、自らの過ちを償おうとしない者への罰なのか。誰もが抱える心の闇と、その驚きの顛末を描いたイヤミス短編集

 

同時期に刊行された『僕の神さま』が、子どもを主役にした切ないミステリーだったのに対し、本作の作風はぐっと大人向け。登場人物達は小狡かったりせこかったりと、無条件に応援できないタイプが多く、だからこそ感情移入してしまいました。私は本作を図書館で借りましたが、書店でカバーにかかっていた<もうやめて>という一文が強烈に印象に残っています。挽回する機会はあるにも関わらず、自らどんどんドツボにハマっていく主人公達を、これほど的確に表したコピーはないでしょう。でも、人間って多かれ少なかれ、そういう面があるんでしょうね。

 

「ただ、運が悪かっただけ」・・・不治の病を抱え、残り少ない日々を夫と静かに過ごす主人公。そんな彼女に、ある日、夫は長年抱えてきた秘密を打ち明ける。夫は昔、クレーマー気質の客の死に関わったことがあったのだ。その客は、夫が渡した脚立から転落して死んだのだが・・・・・

運が悪かった。何気ないこの一言に込められた積年の恨みつらみに、背筋が寒くなりました。でも、このクレーマー爺さんもかなりタチが悪いし、哀れな反面、自業自得という気もします。ちなみに本作で秘密を抱える夫は、恐らく収録作品中で一番、自分の行為を真摯に悔やみ続けています。そんな彼が、例え罪悪感から解放されても、近い将来妻と死に別れることを考えると、目頭が熱くなりそうでした。

 

「埋め合わせ」・・・小学校教師の主人公は、夏休み中、うっかりプールの水を半分抜いてしまう。慌てて水を入れ直したものの、余計にかかる水道代は決して安くない。過去、類似のケースで多額の弁済金が発生したことがあると知った主人公は、どうにかミスを隠そうとする。隠蔽工作に励む中、同僚教師の五木田と出くわして・・・・

本作は基本<自分の過ちをどうにかしようと右往左往する主人公の話>で統一されているのですが、特にこのエピソードの主人公の右往左往っぷりは際立っていて、読みながらハラハラしっぱなしでした。ていうか、人を殺したわけじゃあるまいし、主人公もさっさとミスを申告すればいいのに・・・ミステリーとしての構成も秀逸で、ラスト三ページで怒涛の如く真相が分かる展開は鳥肌ものです。

 

「忘却」・・・息子に先立たれ、孫とも疎遠になり、軽度の認知症を患う妻と静かに暮らす主人公。ある時、アパートの隣室に住む老人が死亡する。猛暑の中、冷房を点けずに昼寝し、熱中症を起こしたのだ。その時、主人公は、誤配された隣人宛の電気料金滞納のハガキを渡し忘れていたことを思い出す。まさか、この渡し忘れのせいで電気が止まり、隣人は死んだのでは。主人公は日夜罪悪感に苛まれるが・・・・・

例に漏れず、しでかした過失をなかったことにしたい主人公が登場します。ですが、この話の武雄の場合、孤独な身の上や、認知症を抱える妻の描写のせいもあり、身勝手さよりは哀れさの方を強く感じました。そして、作中で繰り返される<忘れる>というキーワード。少しずつ記憶が保てなくなっていく妻の言動と相まって、忘却の悲しみ、残酷さがじわじわ伝わってきます。

 

「お蔵入り」・・・映画監督の主人公は、出世作となるであろう映画の撮影に夢中。ところが、完成間際に主演俳優の薬物疑惑が浮上し、口論の末、主人公は俳優をベランダから転落死させてしまう。幸か不幸か、俳優の死は事件扱いされず、ほっとしたのも束の間、なんと助演俳優に殺害の容疑がかかる。どうやら、助演俳優が犯人だという証言者がいるらしい。映画のお蔵入りを避けるため、主人公は証言者とコンタクトを取るが・・・

前エピソードとは打って変わり、身勝手さのせいで破滅する主人公の話です。というか、この話、一定数の読者には証言者の真意がどこにあるか、分かるんじゃないかなぁ。ここにまったく気づかないなんて、主人公とその周囲の人々の鈍感さに呆れちゃいます。出演俳優のスキャンダルでお蔵入りする映画の悲哀などは、現実の出来事とリンクしているようで苦笑してしまいました。

 

「ミモザ」・・・女流料理研究家として人気を得た主人公は、サイン会の席で、かつての上司であり不倫相手でもあった瀬部と再会する。瀬部が困窮していると知り、優越感から金を貸してやる主人公。だが、瀬部の行動は徐々にエスカレートしていき・・・・・

不倫していた主人公はある意味で因果応報だし、元カレの行動はひたすら陰湿で悪質。ですが、最後の一ページで、これまでノーマークだった人物の恐ろしさを知り、ゾッとしてしまいました。主人公の今後がはっきり書かれていないところも不気味ですね。果たして今まで通り日常生活を送れるのか、それとも・・・?訳の分からない相手からの借金は断る一択です。

 

なお、本作にはいわゆる表題作というものが存在しません。ですが、読み終えてみると、この五話を表すのにこれほどふさわしいタイトルはないと思えてきます。手が汚れたら、誰だって拭いて綺麗にしたいもの。では、守るべき一線を守らず、拭いてはならない場所で手を拭いたらどうなるか。そんな何気ない怖さを堪能できる一冊でした。

 

踏みとどまれば、取返しはついたはずなのに・・・度★★★★☆

全員、極悪人じゃないんだけどね度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    新年明けましておめでとうございます。
    今年もブログを楽しみにしてます。
    まさに題名通り、中途半端な対応をしたら痛い目を見る~汚れた手をそこで拭かない。
    今のコロナ情勢を反映しているような短編集でした。
    「ただ、運が悪かっただけ」余命幾ばくもない奥さんの気遣いに感動しましたが奥さんが間もなく亡くなってしまうと思うと寂しくなりました。
     「埋め合わせ」「お蔵入り」「ミモザ」~空気が読めない相手だと思って甘く見ていると後で痛い目を見る、裏をかかれる~芹沢さん独特のドギツイ展開でした。
     緊急事態宣言を発令している菅首相の危機感のない会見に自分たちがしっかりしないとと思いました。そう遠くないうちにコロナ対応の後手に回る安倍さんと菅さんを批判するような社会ミステリーの作品が出そうです。

    1. ライオンまる より:

      安心と程遠い状況で2021年を迎えることになりましたが、国民一人一人の努力で平和を取り戻したいものです。
      社会ミステリー・・・それは絶対に出そう!
      できれば、すべてが沈静化した後、落ち着いた心地で読みたいです。

      「ただ、~」の切なさも良かったですが、個人的には「ミモザ」のモヤモヤ感が強く印象に残りました。
      最後の展開は色々と解釈できそうですね。

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