はいくる

「氷雨心中」 乃南アサ

修練を積み重ねた末にできるようになる巧みな技のことを<職人技>といいます。こんな言葉ができることからも分かる通り、職人とは熟練した技術で物を生み出すプロフェッショナル。根っからの不器用人間である私からすれば、同じ人間とは思えないレベルの技術を持った人達です。

ただ、職人をテーマにした小説となると、有名なのは専ら時代小説。現代小説となると意外に少ない気がします。特殊技術を用いる仕事である関係上、活躍する場面が限定され、物語にうまく絡めることが難しいせいでしょうか。確かに、せっかく職人がテーマなのだから、その技巧が作中で活かされていないと意味がありません。そんな中、この作品では、職人達の持つ技と業が巧みに描かれていました。乃南アサさん『氷雨心中』です。

 

こんな人におすすめ

職人の世界をテーマにしたサスペンス短編集が読みたい人

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秘伝の技を持つ一族に生まれた少年の秘密、染め直される着物から浮かび上がった哀しい罪、酒蔵に秘められた過去の業、孤独な青年がジュエリーに込めた熱い想い、面を通して交錯する二つの生き様、提灯の中で燻る女の情念・・・・・伝統文化の世界で繰り広げられる、哀しく濃密な愛憎劇

 

現代女性の孤独や悪意の描写に定評がある乃南アサさん。その作風からモダンな印象を抱きがちですが、日本の伝統文化に対する深い造詣をお持ちの作家さんでもあります。ご自身は好角家ですし、『火のみち』では備前焼に魅せられた男の一生を描きました。本作は、様々な分野の職人をテーマにしたサスペンス短編集。伝統文化の世界が持つ情念や孤独、それゆえの狂気などの描写が素晴らしかったです。

 

「青い手」・・・線香作りを家業とする母方の実家で暮らし始めた少年・拓也。この家で作られる線香は大変貴重な人気商品で、製造工程は一族のみに受け継がれる門外不出の技らしい。新しい家での暮らしに馴染んでいく拓也だが、何かと絡んでくる同級生がいて・・・・・

直接的な暴力・犯罪シーンは皆無にも関わらず、水面下で何か起こっているか察せられてしまい、終盤は背筋がゾクゾクしっぱなしでした。主人公もその母親も、恐らくすべてを知りつつ何の罪悪感もなく、良き職人・良き家庭人でいるところが怖いったら・・・幼稚な悪ガキに過ぎなかった同級生の末路が鳥肌モノです。

 

「鈍色の春」・・・着物の柄染めを生業とする塚原には、有子という名の常連客がいる。有子は恋多き女性で、新しい恋人ができるたび、恋人にちなんだ柄に着物を染め直すのが習慣だ。今回、有子が頼んできたのは、着物をバットとグローブの柄に染めること。どうやら今の恋人は、野球をやっているらしい。いつも通り依頼に応える塚原だが・・・・・

当初は軽薄な有閑マダムに思えた有子の情の深さ、それゆえの悲しみが痛切に迫ってきました。そんな有子の恋愛遍歴を、柄染を通して見続けてきた塚原との関係も、淡々としているようで奥が深く、印象的です。ラスト、有子が明るく前向きで良かった良かった・・・と思いがちだけど、これ絶対ものすごい犯罪が行われてますよね!?

 

「氷雨心中」・・・天候不順により苦しくなった生活のため、敬吾は酒蔵に出稼ぎに行くことになった。そこで杜氏として働く老人は、敬吾の祖父の古い知り合いなのだという。当初は大変なことばかりだった酒作りに、次第にやり甲斐を見出していく敬吾。そんなある日、敬吾の恋人である朋美が、ひょっこり酒蔵に遊びに来て・・・・・

現代っ子らしい冷めた雰囲気だった敬吾が、段々と酒造りの面白さに目覚めていく流れは、まるで職人お仕事小説のよう。その分、終盤で彼を襲う運命の残酷さに唖然としてしまいました。登場人物の会話でしか真相は推察できないけど、これ、敬吾は全然悪くないじゃん!想像するに、朋美が訪ねてきた時の服装やタイミングが悪かったということなのかな・・・?

 

「こころとかして」・・・須藤は歯科技工士として働く傍ら、ジュエリーデザイナーを目指して勉強中。うまくいかないことも多く、行きつけのファミレスでバイトする女性店員の存在が心の支えだ。完全な片思いなのは承知しているが、彼女に何か贈りたい。そこで須藤は、ある物に目を付けて・・・・・

須藤目線でいえば、踏みにじられてばかりの彼の境遇は確かに可哀想ですし、ラスト、彼は怒る権利があるように思えます。ただ、一歩引いてみると、須藤は須藤で独りよがりというか、周りが見えていないように思えるんですよね。引き返せないレベルの凶行に走りそうな彼の今後が気がかりでなりません。

 

「泥眼」・・・能面作家の浅沼は、舞踏家からとある面を作るよう依頼される。それは、泥眼と呼ばれる、生霊と化した女を表す面だ。ところが、何度面を作っても、舞踏家はその出来に満足してくれない。次第に浅沼は泥眼作りにのめり込んでいき・・・・

職人としての生き様、矜持が一番色濃く描かれた話だと思います。能面作家と舞踏家。一見まるで違う職業のようでいながら、浅沼が仕事を通じて互いの生き方を重ね合わせる流れに圧倒されました。こういう情念溢れる話に、能面というアイテムはぴったりですね。

 

「おし津提灯」・・・新妻とともに平凡ながら幸せな日々を送る提灯屋・新平。そんな彼の前に、子ども頃、密かに憧れていた静恵が現れた。静恵は近々、この近所に店を出すらしく、何かと口実を見つけては新平を呼び出す。妻がにこやかに送り出してくれるのをいいことに、やがて静恵と深い仲になる新平だが・・・・・

いやはや、愉快痛快!!・・・と、そんな場合ではないにも関わらず、拍手してしまいそうなほどの逆転劇でした。傍から見れば、静恵は単に、かつて自分をちやほやしていた男にちょっかいかけているだけの性悪女だし、そんな静恵に振り回されっぱなしの新平はただただ情けない軽薄男。結局、能天気なだけと思われていたあの人が、一番上手だったということね。ただ、大惨事が起きてしまっている以上、この夫婦はこれから無事にやっていけるのでしょうか。

 

ラストでゾッとさせられる、イヤミス寄りの話がメインですが、グロテスクな場面は基本ないので安心して読めますよ。そう言えば最近、乃南アサさんはこの手のイヤミス短編集の完全新作を出していないんですよね。当面、刊行予定もないようだし、久しぶりに過去の著作を読み返してみようかな。

 

語られない部分を想像すると怖すぎる度★★★★★

技術の描写も秀逸です度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

     図書館で何度か見かけた作品ですが未読でした。
     職人と言えば、頑固というイメージがついて回ります。
     伝統文化がどうミステリーに関わっていくのか~読んでみたくなりました。
     ホーンテッド・キャンパスの予約、早速してきます。

    1. ライオンまる より:

      伝統文化とサスペンスの絡め方が秀逸でした。
      「ホーンテッドキャンパス」最新刊、図書館入庫したとは羨ましい!私も早く読みたいです。
      まだ「業火の地」の順番も回ってきてないんですよね・・・
      こちらは薬丸岳さんの「最後の祈り」を読了しました。

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