「将来の夢はお嫁さん」・・・実際にそう口にしたり、誰かがそう言っているのを見聞きしたことはあるでしょうか。一昔前まで女性はお嫁にいくのが当然と思われていましたし(今でもそういう考えがないとは言いませんが)、最近は妊娠出産のことを考えて早めの結婚を目指す女性も増えているそうです。美しいウェディングドレスや白無垢に身を包んだ花嫁は、幸福と希望の象徴ですね。
ですが、小説の世界において、花嫁という存在は時に事件のきっかけとなり得ます。日常とかけ離れた美しさや存在感がそうさせるのでしょうか。赤川次郎さんの『花嫁シリーズ』や辻村深月さんの『本日は大安なり』などには事件に巻き込まれる花嫁が登場しますし、コーネル・ウールリッチの『黒衣の花嫁』は世界的な人気を誇る名作です。今回取り上げる作品にも、謎に満ちた花嫁が登場します。乃南アサさんの『紫蘭の花嫁』です。
こんな人におすすめ
シリアルキラーが登場するスリリングなミステリーが読みたい人

<世にも奇妙な物語>というテレビ番組をご存知でしょうか。タモリが進行役を務めるオムニバステレビドラマで、現在は番組改編の時期に二時間ドラマとして放送されています。一話の長さが二十分程度と短いこと、ホラー・サスペンス・コメディ・ヒューマンドラマなど、様々なジャンルの話が楽しめることなどから、多くの視聴者の支持を集めています。
英語圏には「羊とヤギを分ける」ということわざがあります。聖書に由来することわざで、「善(羊)と悪(ヤギ)を分ける」という意味。このことわざの中で、羊は善の象徴です。日本でも、羊にはなんとなく「大人しく温厚」というイメージがありますね。
催し物に誰を呼ぶか。それは主催者にとって大事な問題です。一家庭内で行われる子どもの誕生パーティーですら、招待客の選別などでいじめが生じるという危惧から、実施を禁止する学校もあるんだとか。まして、百名単位の人間が集まるイベントとなると、招待客を考えるのも一苦労。結婚式なんて、その最たる例でしょう。
小説では、しばしば<パンドラの箱>という表現が登場します。元ネタは、ギリシア神話に登場する、ゼウスによってすべての悪と災いが詰め込まれた箱(本来は壺ですが)。人類最初の女性・パンドラがこの箱を開けてしまったことで、この世には様々な不幸が蔓延するようになります。このことから、<パンドラの箱>とは<暴いてはならない秘密><知りたくなかった真相>というような意味で使われることが多いですね。
小説の分野においては、「最後の一撃(フィニッシング・ストローク)」というものが存在します。文字通り、最後の最後で読者に衝撃を与える物語のことで、ミステリーやホラーのジャンルに多いですね。作品の最終ページが近づき、やれやれ・・・と思った瞬間に与えられる驚きや恐怖は、読者に強烈なインパクトを与えます。
推理小説やミステリー映画などの感想を読んでいると、「まさに<藪の中>」という文言をしばしば目にします。私自身、このブログでよく使っていますが、由来は芥川龍之介の『藪の中』。とある事件を巡って次々と証人が現れ、そのたびに真相が変化していく様を描いた短編小説です。このことから<藪の中>とは<関係者の言い分が食い違っていて、真相が分からないこと>という意味で使われます。
人生を築き上げていく上で、大事なものはたくさんあります。愛情が最も大事だという人もいれば、お金こそ一番と感じる人もいるでしょう。そんな中、つい忘れられがちですが、<記憶>もまた生きていく上で大切な要素です。日々の記憶を積み重ねることで人生は成り立つもの。もしその記憶を保つことができなければ、人生はどれほど辛く寂しいものになるでしょうか。
ゆっくりと穏やかな生活を目指す<スローライフ>が注目されるようになったのは、二〇〇年を過ぎた頃かららしいです。同時に、都会の喧騒を離れた田舎暮らしに憧れる人達も増え始めました。この流れを受けたせいでしょうか。最近は田舎暮らしをテーマにした小説でも、<都会から来た主人公が、色々ありながらも近隣住民と絆を作り、困難を乗り越えて田舎暮らしに馴染む>という爽やかな作風のものが多い気がします。
映画『羊たちの沈黙』を初めて見た時の衝撃は、今でもよく覚えています。ヒロイン役のジョディ・フォスターの演技やスリリングなストーリー展開、手に汗握るクライマックスなど見所はたくさんありますが、何と言っても一番インパクトがあるのはアンソニー・ホプキンス演じるレクター博士の存在感でしょう。残虐な猟奇殺人を犯しておきながら人並み外れた知能を持ち、収監されているにも関わらず警察から捜査協力を求められるほどの天才犯罪者。その紳士的でありながら凶悪なキャラクターは、現在に至るまで多くの観客を魅了し続けています。