本好きなら恐らく誰もが持つ娯楽、それが本屋巡りです。当たり前の話ですが、本屋は見渡す限り本、本、本。新刊コーナーをチェックしたり、気になる本をめくって内容を確認したりするだけで、時間はあっという間に潰れます。コロナ禍ではどうか分かりませんが、以前は店内の各所にソファやテーブルが設置され、購入前に座ってゆっくり読むこともできました。初めて本屋で閲覧席を見た時、ここは地上の楽園かと思ったことを、今でもよく覚えています。
そして、本屋巡りの楽しみの一つに、特設コーナーの存在があります。季節や社会情勢、大きな賞の受賞など、その時々の状況に応じてテーマが設けられ、相応しい本が集められた特設コーナー。書店員さんが工夫を凝らした演出も多く、ここで読みたい本を見つけることも多いです。今回ご紹介する本も、とある本屋の特設コーナーで見つけました。誉田哲也さんの『ボーダレス』です。
こんな人におすすめ
群像劇から成るサスペンスが読みたい人

本の内容と、その本を読むタイミングというのは、密接な関係があります。例えば、大きな物事に臨む時はスカッとする勧善懲悪ストーリーがいいとか、落ち込んでいる時は悪人が出てこないハートフルコメディがぴったりとか。たかが本、されど本。読書には人の気分を左右する不思議な力があるものです。
これは小説に限った話ではありませんが、この世には<万人受けするジャンル>と<そうでないジャンル>の二種類があります。前者はコメディやヒューマンストーリー、後者はイヤミスやホラー。好みはあるにせよ、ユーモラスなほのぼの小説を読んで吐き気を催す人は少ないでしょうが、イヤミスやホラーだとそれがあり得ます。
古今東西、数多く存在する<心中>の形の中で、<ネット心中>の異質さは際立っています。そもそも<心中>とは、引き裂かれそうな恋人同士があの世で結ばれることを願ってとか、家族が生活苦から逃れるためとか、そこに何らかの個人的な感情が絡むもの。一方、ネット心中の場合、縁もゆかりもない人間達が「一人で死ぬのは嫌だから」という動機で集まり、一緒に死ぬもの。当然、お互いに対する深い愛憎はありません。インターネットが発達し、何の接点もない人間同士が簡単にコミュニケーションを取れるようになったからこそ現れた心中方法です。
<シリアルキラー>という言葉が使われ出したのは、一九八四年、捜査関係者がアメリカの連続殺人鬼テッド・バンディを指して言ったことが始まりだそうです。意味は、何らかの心理的欲求のもと、長期間に渡って殺人を繰り返す連続殺人犯のこと。<serial=続きの>という言葉が示す通り、複数の犠牲者を出すことがシリアルキラーの定義とされています。
相手の人となりや行動を表現するための比喩として、しばしば動物が用いられます。「ライオンのような雄姿だ」となれば<勇ましく堂々とした態度>、「まるでねずみのような奴」なら<こそこそと卑しい様子>となるでしょう。実際にその動物がそういう性質かどうかは、それこそ個体差もあるのでしょうが、動物が持つイメージというのはあると思います。
この世には数えきれないほどの主義・傾向がありますが、その中でも<ナルシズム>の認知度の高さは群を抜いていると思います。これはギリシャ神話に登場する美少年・ナルキッソスが、泉に映る自分の姿に恋したエピソードに由来し、自分自身を強く愛する精神状態と指すとのこと。あまりによく知られた用語なので、「あの人ってナルシストだよね」「今の言い方、ナスルシストっぽかったかな」等々、日常会話に登場する機会も多いです。
私は短編小説が大好きでよく読みますが、その上で、一つ問題があります。短編小説の場合、アンソロジー等に収録される可能性が高く、短編集発売の情報に期待していたらすでに読んでいた、ということがあり得るのです。優れた短編は何度読んでも面白いものですが、それでも、初めて読んだ瞬間の驚きはもう得られません。
自分で言うのもなんですが、私はけっこう信心深い人間です。祖父母の家によく出入りしていたせいもあるのか、里帰りするとまず神棚と仏壇に手を合わせますし、厄年や大きな旅行に出かける時は必ずお祓いをしてもらいます。神仏に手を合わせる。簡単な動作ですが、なんだか落ち着いた気持ちになってきます。
自慢して言うようなことではありませんが、私は単純な人間です。物事の裏側を読んだり、水面下に秘められた事実を察するというのが苦手。おかげで昔からさんざん「鈍い」「KY」と言われたものです。