ゆっくりと穏やかな生活を目指す<スローライフ>が注目されるようになったのは、二〇〇年を過ぎた頃かららしいです。同時に、都会の喧騒を離れた田舎暮らしに憧れる人達も増え始めました。この流れを受けたせいでしょうか。最近は田舎暮らしをテーマにした小説でも、<都会から来た主人公が、色々ありながらも近隣住民と絆を作り、困難を乗り越えて田舎暮らしに馴染む>という爽やかな作風のものが多い気がします。
もちろん、こういう小説も面白いのですが、あくまでフィクションの世界限定ならば、田舎の閉鎖的でドロドロした空気を描く作品もけっこう好きだったりします。この手の作品で一番有名なのは、やはり『金田一耕介シリーズ』でしょうか。ここ最近なら、辻村深月さんの『水底フェスタ』や中山七里さんの『ワルツを踊ろう』も、地方都市の閉ざされた世界観が巧みに描写されていました。今回ご紹介する作品でも、日本の村社会の恐ろしさがテーマになっています。櫛木理宇さんの『鵜頭川村事件』です。
こんな人におすすめ
田舎を舞台にしたパニック小説が読みたい人
一九七九年の六月、岩森明は亡妻の墓参りのため、六才になる娘・愛子を連れて妻の田舎である鵜頭川村を訪れる。折り悪く豪雨により土砂崩れが発生し、村は孤立。その最中に村人の刺殺体が発見されたことで、村内に恐怖と混乱が広がり始める。崩れゆく権力バランス、凶行に走る自警団、次第に暴力の渦にのみ込まれていく村人たち・・・果たして岩森は、この悪夢のような村から娘とともに脱出することができるのか。閉ざされた村での狂気の行方を描いたダーク・サイコサスペンス。
本作は<別冊文藝春秋>に『AX』というタイトルで連載されていましたが、単行本化に当たって改題されたようです。個人的な好みで言えば、この改題、大正解!!いかにも土着の雰囲気漂うタイトルに、横溝正史好きの心は一目で惹きつけられました。黒地に斧がでかでか描かれた表紙も、おどろおどろしくていい感じです。
亡き妻の墓参りのため、娘の愛子とともに鵜頭川村を訪れた主人公・岩森。建設会社を経営する矢萩家の専横ぶりに辟易しつつ墓参りを終わらせ、あとは家に帰るだけ・・・のはずでした。ところが、村人の無残な刺殺体が発見された上、記録的豪雨のせいで土砂崩れが起こって村は陸の孤島状態に。実は村には刺殺事件の犯人と思しき乱暴者がいるのですが、矢萩家の縁者であるため手出しできません。ここへ来て、以前から矢萩家の横暴に耐えていた村人たちの不満が噴出し始めます。さらに、一部の若者たちは、「大人は頼りにならない」と自警団を結成。誰も逃げられない状況の中、暴力と洗脳の嵐が吹き荒れ出すのです。
櫛木理宇さんの<田舎小説>といえば『避雷針の夏』があります。あちらも田舎の鬱屈した空気が印象的なサスペンスでした。それに対し本作の面白い点は、舞台となっているのが昭和後期だということでしょう。スマホもなければグーグル検索もできず、必要な物をAmazonで頼むこともできない。情報収集や物資調達は人の繋がりに頼ることが基本だった時代です。そういう時代だからこそ、閉鎖的な村での上下関係が、より陰湿に、より暴力的に感じられました。
それにしてもまあ、村内の人間関係の泥沼っぷりといったら!男たちの大多数は権威主義かつ男尊女卑思想の塊で、女子どもや格下(と見做した)の家の人間を半ば使用人扱い。虐げられた女たちは、嫁いびりや新入りいじめで鬱憤晴らし。そんな状況は、土砂崩れでライフラインが寸断されたことにより一層悪化し、「あいつには物を売らない」「そいつの物は奪っていい」というような事態まで起こります
・・・これ、何十年も前を舞台にしてはいるんですが、現代でも村八分事件って起こっているんですよね。それを思うと、作中の出来事がまるでノンフィクションのように感じられてきます。ちなみに本作は、<実際に起こった鵜頭川村事件についてまとめた本>という設定。なので、所々に<鵜頭川村事件に関するWikipediaの項目>という文章が挿入されていて、物語のリアリティを高めていました。
あと、結成段階から嫌な予感しかしなかった自警団が、予想通り暴走していく下りも怖かったなぁ。大人に抑圧されっぱなしだった青年たちが、都会での学生運動に影響されて作った自警団。リーダーに扇動され、次第に当初の目的を見失い、単なる暴力集団と化していく過程にハラハラドキドキ・・・一人一人はいたって普通の青年である自警団メンバーたちが、集団になったことで暴走するという描き方に説得力を感じました。世界各国で起こる虐殺や暴動も、こういう集団心理が原因なのかもしれませんね。自警団が憧れる学生運動が、都会ではとっくに下火になっているという描写が、彼らの報われなさを表している気がして悲しかったです。
ただ本作の場合、櫛木さんの作品にしては珍しく(?)、一抹の救いがあります。確かな絆で結ばれた岩森親子、彼らに親身に接する亡妻の友人・有美、対立する家同士に生まれながら友情を育む港人と廉太郎、混乱の中でも理性的に振る舞う<ピアノさん>こと田所エツ子などの存在です。健気でいじらしい愛子に人気が集まりそうですが、私のお気に入りは<女傑>と評される田所エツ子。一見、華奢な老婦人でありながら大変な胆力と頭脳の持ち主で、決して狂気に飲み込まれることのない振る舞いは天晴の一言でした。この村、騒動解決後も人間関係が揉めに揉めそうですが、エツ子だけはどこ吹く風で飄々と暮らしていくんだろうな。人間、できることならこういう年の取り方をしたいものです。
ミステリー的な驚きや仕掛けはあまりないので、そういう方面を期待して読むと物足りないかもしれませんが、パニック小説としての切れ味は抜群だと思います。映像にしても見栄えがしそうなので、いつか映画化とかされるのでしょうか。その時は、エツ子役はぜひとも八千草薫さんでお願いします!
狂気は増殖し感染する度★★★★★
この村の今後はどうなっちゃうの度★★★★☆
金田一耕助の「八ツ墓村」のようなミステリーを想像しましたが、ミステリーより村八分に重点を置いた作品のようですね。「避雷針の夏」の昭和版のようなイメージで携帯がない時代、孤立した村での閉鎖的な村八分はかなり陰湿できつそうです。
村のパニック状態がどういう風に描かれているか興味深いです。
村内での陰湿な人間関係描写はほんとーーーーーにキツいです(汗)
ただ、主人公親子をはじめ、理性ある善人もちゃんといるところが救いですね。
謎解き要素はあまりないけれど、パニック小説としてはかなりのレベルだと思います。