巷でよく言われる話ですが、日本人は宗教に対するハードルが低い民族です。何しろ国内に存在する神様の数は八百万。仏教やキリスト教の宗教施設がご近所同士ということも珍しくなく、カレンダーを見れば世界各国の宗教行事が目白押し。「宗教?まあ、各自で好きなように信じればいいじゃん」という風土があります。身びいきかもしれませんが、こういう精神性って大好きです。
それは創作の世界においても同様で、日本人をメインに据えた作品の場合、「そんな理由で宗教と関わっちゃうの!?」と驚かされるケースも珍しくありません。荻原浩さんの『砂の王国』なんて、その代表例と言えるでしょう。それから、今日ご紹介する作品もそうでした。真梨幸子さんの『教祖の作りかた』です。
こんな人におすすめ
色と欲に満ちたイヤミスが読みたい人

私の個人的な意見ですが、フィクション世界におけるジャンルの中で、<ホラー>というのはやや特殊な位置付けにある気がします。作品に求められるのは、<恐怖><怖気><震撼>といったネガティブな感情。最近はホラーも細分化してきて、ミステリー的な謎解きがあったり、恋愛要素が絡んだりするケースも多々ありますが、根本にあるのが<恐ろしさ>という点は変わりません。
因習ミステリー、因習サスペンス、因習ホラー・・・悪しき習慣をテーマにした作品は、こうした呼ばれ方をすることが多いです。都会ではダメというわけではないのでしょうが、設定の都合上、閉鎖的な田舎が舞台となる傾向にあるようですね。行動の不自由さ、人間関係の濃密さ、外部からの情報伝達の遅さなどが、作品の陰湿な雰囲気を盛り上げてくれます。
血が繋がった肉親同士が争うことを<骨肉の争い>と呼びます。<骨肉>とは<骨と肉のような間柄>を指すとのことで、推察するに<極めて身近な、生死を共有することもあり得る関係>という意味でしょう。文字からして血生臭さが漂ってくるようで、先人の表現って秀逸だなと感心させられます。
私は読む本を選ぶ時、必ずあらすじをチェックします。「好きな作家さんの作品は事前情報ゼロで楽しみたい!」という方も多いのでしょうが、私は大まかなところを把握してから読み始めたいタイプ。ばっちり好みに合いそうな話だった時は、読書前のワクワク感もより高まります。
私は、一人の作家さんにハマると、その方の作品をひたすら読み続ける傾向にあります。近藤史恵さん、真梨幸子さん、乃南アサさん等々、ふとした瞬間に熱が再燃し、延々と読み返したものです。図書館の貸し出し履歴を見ると、当時の私がどの作家さんにハマっていたか一目瞭然で、ちょっと面白かったりします。
フィクション作品、特にミステリーやサスペンスの世界において、数多くの登場人物達が死体と出くわします。常識的に考えれば、そこで真っ先にすべきことは<救急・警察に通報する>一択なものの、創作の世界となると話は別。主人公がどうにか死体を処分しようと苦悩するところから物語が始まる、という展開も珍しくありません。
現代には、エンターテインメントが溢れています。漫画に小説、ドラマ、映画、ゲームetc。漫画一つ取っても、紙媒体もあれば電子書籍もありと、その数はまさに無数。この分だと、三年後、五年後には、きっとまた新しい娯楽が誕生していることでしょう。
「昔はよく見聞きしたけど、今はめっきり減ったよなぁ」と思う物事って、色々あります。その中の一つが、ミス・コンテスト。独身女性が優勝を目指して競い合うイベントで、ミス・ユニバースやミス・日本が有名ですね。一時期は様々な自治体や学校がコンテストを開催していましたが、ルッキズムやジェンダーレスといった問題から、昨今はその数も激減したようです。
物語を創る上で、テーマ設定はとても重要です。中には、特にテーマを決めず自由気ままに創作するケースもあるでしょうが、これは恐らく少数派。「身分違いの恋を書こう」とか「サラリーマンの下剋上物語にしよう」とか、最初に設定しておくことの方が多いと思います。