はいくる

「最後の祈り」 薬丸岳

死刑のことを<極刑>と表現することがあります。意味は、それ以上重い罰がない究極の刑罰ということ。己の罪を命を以て償う死刑は、確かに<極刑>という言葉がふさわしいと思います。

ですが、よく考えてみれば、死が万人にとって究極の刑罰とは限りません。「もう死刑でいいや」と投げやりになる犯罪者もいるでしょうし、極端な例だと「生きていても面白くないことばかりだけど、自殺は面倒。死刑囚は三食付きで労役もないし、ぜひ死刑になりたい」と考える不心得者もいるようです。こうした考えの人間を望み通り死刑にしたって、それは果たして究極の刑罰と言えるのでしょうか。生を望み、死を恐れる者に対してこそ、死刑は<極刑>たりえるのだと思います。今回取り上げるのは、薬丸岳さん『最後の祈り』。死刑というものの意味について考えさせられました。

 

こんな人におすすめ

教誨師が登場する小説に興味がある人

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あいつに罰を与えてやる。俺が、この手で---――牧師として働く傍ら教誨師の仕事もこなす主人公・保坂は、ある日、衝撃的な知らせを受ける。娘の由亜が、無惨な遺体となって発見されたのだ。訳あって親子という事実は明かせなかったが、ずっと知人として見守り続け、間もなく結婚するはずだった由亜。やがて犯人・石原が逮捕され、一審で死刑が宣告される。由亜を含む四人の命を奪っておきながら、反省の言葉一つ口にせず、死刑判決時には「サンキュー」と高笑いした石原の姿に、保坂は打ちのめされる。そんな彼が決めた、石原への復讐。それは、教誨師として石原に接近し、彼に生きる希望や喜びを与えた上で死刑台に送り出すというものだった・・・・・死刑は救いなのか。絶望なのか。薬丸岳が贈る、胸を打つ人間ドラマ

 

教誨師が登場する小説というと、先日読んだ柚月裕子さんの『教誨』もそうでした。あちらが<すでに死刑執行された女性死刑囚の謎を追う>という内容だったのに対し、本作の登場する死刑囚・石原は物語開始時はまだ生きています。また、犯行内容も動機も分かっており、彼の犯罪そのものに調べる点はありません。本作でテーマとなるのは、人の心と救いについて。ミステリー的要素はないものの、読み応えは十分でした。

 

主人公の保坂は、牧師業の傍ら、教誨師として受刑者達の精神的ケアを行っています。そんな保坂にもたらされた、耳を疑うような報せ。それは、妊娠中だった娘の由亜が何者かに殺害されたというものでした。間もなく逮捕された犯人・石原は、少年時代に実の祖母を殺害。社会復帰した後、由亜とお腹の胎児、さらに由亜の前にも女性一人を「女をいたぶって殺すのが面白かったから」という理由で殺害したのです。残虐な犯行に一審で死刑判決が出され、後に確定するものの、石原は一言の謝罪もなく、判決に対して「サンキュー」と高笑いする始末。絶望のどん底に突き落とされた保坂は、石原に対する復讐計画を実行しようとします。教誨師として石原に近づき、献身的に寄り添い、荒み切った彼の心を癒す。生の喜びを感じることができるようになれば、死刑執行の時、石原に由亜の恐怖や絶望を味わわせてやれるだろう。実は保坂はある事情によって由亜の父親だという事実伏せており、戸籍上は赤の他人。拘置所の壁に守られた石原に接近することも可能です。決意を胸に、石原への接近を試みる保坂ですが、それは想像を遥かに超える茨の道でもありました。

 

前半の石原の言動は極悪そのもので、読んでいて吐き気を催しそうなレベル。犯行自体の残虐さもさることながら、逮捕後まるで反省の素振りを見せず、命乞いする被害者の様子を真似し、「(逮捕されたので)女をいたぶり殺せなくなったのが辛い」「早く死刑にしろ」などと言ってのける・・・中盤以降、石原の複雑な過去が明らかになり、態度にも徐々に変化が訪れるのですが、だからといってまったく同情できないほどの悪辣さです。「どれだけ死の恐怖に怯えようと自業自得」と思う読者が多いでしょうし、正直、私の中にもそんな気持ちが生まれました。

 

ですが、日々石原をはじめとする死刑囚と接し、彼らの目を見て声を聞く刑務官や教誨師はどうでしょうか。どれほどの犯罪者だろうと、ついさっきまで言葉を交わしていた人間が死ぬ。その瞬間を最後まで見届け、場合によっては暴れるのを取り押さえて絞首台に立たせたり、絶命した遺体を受け止めたりする。その精神的重圧は計り知れません。「身内に病人や妊婦がいる刑務官は、死刑執行に立ち会わせない(万一身内に何かあった場合、「自分が死刑に立ち会ったりしたからだ」と責めないようにするため)というルールの重みがひしひしと伝わってきました。

 

作中でその苦悩が繰り返し描写されるのは、主に二人。主人公である保坂と、若手刑務官の小泉です。石原は言うまでもなく被害者遺族であり、この世の誰よりも石原を憎んでいる人間です。また、幼い子ども達の父親である小泉も、罪のない女性達をなぶり殺しにした石原に強い憤りを感じます。そんな彼らでさえ、少しずつ変わっていく石原と接するにつれ、憎しみや憤り以外の感情を抱くようになります。皮肉なことに、石原を変えたのって、復讐のため彼に近づいた保坂なんですよね。終盤、石原の死刑執行決定を知った二人の心情、最後に石原のために行う行動が、あまりに辛くやるせなかったです。

 

テーマがテーマだけに終始重い雰囲気ですが、読後感は悪くありません。保坂と石原が、彼らなりに自身の思いに決着をつけられたからでしょうか。死刑制度を扱った作品は読むのに覚悟と精神的余裕が要りがちですが、本作は比較的、落ち着いた気持ちで読むことができると思います。そして、読み終えた後、表紙を見てみたら・・・ああ、これは彼女のことなのね。

 

死刑執行に関わる人達の苦悩が壮絶・・・度★★★★★

<赦し>は加害者に対してのみ救いとなる度★☆☆☆☆

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コメント

  1. しんくん より:

     柚月裕子さんの作品の後に読みましたが、同じ教誨師を扱った作品でも似ているようで違うものを感じました。
     牧師であり教誨師である保坂自身も複雑な心境であり実の娘との複雑な関係が、このような距離を置いて娘を殺害した犯人を客観的に向かい合えたのか?神に仕える身であるからこその態度か、死の恐怖をジワジワと味合わせているのか?と保坂の心中がどんなものか考えながら読んでました。
     答えがないまま読み終わっても読後感が悪くなかったです。
     ホーンテッド・キャンパスの新刊読み終えました。
     ますます面白くなってました。八神は社会人になりこよみとどうなるのか?次の作品が待ち遠しいです。 

    1. ライオンまる より:

      この話は、保坂と娘が、世間一般で言うところの普通の親子関係だったなら成立しないんですよね。
      かなり込み入った関係だからこそ成り立つ復讐計画の行方がどうなるのか、終始ハラハラしていました。
      「ホーンテッドキャンパス」、八神が社会人になった辺りで完結かと思っていたので、まだ続きが読めるなら嬉しいです。
      こちらは深木章子さん「灰色の家」、櫛木理宇さん「業火の地」、深緑野分さん「空想の海」が一気に届きました。
      澤村伊智さんの新作ももうすぐ届きそうだし、予約本ラッシュに嬉しい悲鳴を上げています。

  2. オーウェン より:

    こんにちは、ライオン丸さん。

    交際していた優里亜を自殺に追い込んでしまった罪悪感から、キリスト教の牧師になった保阪宗佑。
    ボランティアで千葉刑務所での、受刑者に対する教誨も務めていた。

    優里亜が残した一人娘の由亜は、優里亜の姉の真里亜が仙台で育てていたが、実の父である宗佑は、その事実を隠して由亜の支援をしていた。

    そんな由亜が結婚する事になり、お腹には子供もいると言う。
    幸せの絶頂にいたはずの由亜だったが、何者かに惨殺されてしまった—-というお話ですね。

    由亜を殺害したのは、石原亮平と言う25歳の男で、自らの快楽のために、二人の若い女性を残忍に殺害しました。
    警察の捜査でも裁判の場面でも、全く反省の様子を見せません。

    死刑判決が下された時には、「サンキュー」と叫んで高笑いしました。
    保阪は石原の様な人殺しを教え諭す事に耐えられなくなり、教誨師を辞めていました。

    死刑判決が確定した後、保阪と真里亜は、由亜のお墓を訪れます。
    そこで由亜の無念を晴らす術を話し合います。

    保阪が東京拘置所の教誨師となり、石原に教誨する事で生きる希望を与えた上で、死ぬ直前に地獄に叩き落す。これは石原に対する復讐だと。

    重いテーマの作品を描き続ける薬丸岳さんですが、この作品は、そんな中でも重さは一番でしょうか。
    最愛の人を無惨に殺された家族の悲痛な思い、死刑囚の拘置所での様々な気持ち、死刑を執行する側の苦悩。

    死刑が執行されても、被害者の関係者の苦悩が消える訳ではないでしょう。
    最初に、ある死刑囚の死刑執行の場面が描かれますが、もうここから物語に引き込まれます。

    とは言え、石原の犯行に至る動機や教誨を受けての心境の変化等、納得できない部分もありました。
    でも、結末は多分これで良かったのでしょう。
    読んでいて楽しい作品ではありませんが、この様な読み応えのある作品は大好きです。

    ところで、刑事訴訟法第四百七十五条第二項では、「死刑の執行の命令は判決確定の日から6ヶ月以内」とされています。
    しかし、死刑が執行されるまで多くの時間が取られているのが現状で、まあこれは、いろいろと難しい問題があるんでしょうね。

    1. ライオンまる より:

      オーウェンさん、こんにちは。
      読了後、しばらく引きずるほど重厚感のある作品でした。
      石原の迎える結末には賛否両論あるでしょうが、きっとこれ以外のエンディングはなかったのだと思います。
      日本の場合、死刑囚が刑を執行されるまでの平均期間は、八年近いのだとか。
      「極悪人を税金で養ったりせず、さっさと死刑執行しろ」「いつ執行されるか分からず、恐怖に慄きながら何年も生きさせることの方が罰になる」
      どちらも一理あり、簡単に結論が出せない問題です。

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