はいくる

「もう一人の私」 北川歩実

ものすごく忙しい時やトラブルが続いた時、ふとこんな風に思ったことはないでしょうか。「自分がもう一人いればいいのに・・・」と。鏡に映したかのようにそっくりな自分の分身。そんな存在がいれば、さぞ便利なように思えます。

とはいえ、小説でも漫画でも映画でも、自分の分身が出てきたら大抵困った目に遭うというのがお約束。考えてみれば当然の話ですが、<そっくりなロボット>ではなく<分身>なのですから、意思もあれば欲もあるはず。そう簡単に奴隷のように扱えるはずありません。オルカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』でも山本文緒さんの『ブルーもしくはブルー』でも、分身は混乱と不安をもたらしました。SFやホラーのジャンルで扱われやすいテーマなので、今回はミステリー作品を取り上げたいと思います。北川歩実さん『もう一人の私』です。

 

こんな人におすすめ

後味の悪いミステリー短編集が読みたい人

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植物状態になった従兄弟を巡る陰謀劇、乳児の取り違えから始まる負の連鎖、謎の女が語る詐欺事件の顛末、仮想現実の世界で生まれた愛の行方、難病患者にもたらされた一つの希望、天才学者を苦しめる底知れぬ愛憎、秘密の恋から始まる恐ろしい復讐、とある会社で共有される残酷な真実、己の将来を懸けて一世一代の大勝負に挑む男・・・・・それが導くのは夢溢れる未来か、欲望にまみれた生き地獄か。分身がもたらす衝撃と恐怖を描いたミステリー短編集

 

ファンだということを前提にして言わせてもらうと、北川さんの長編小説は作風や文章に癖があり、人によっては「読みにくい」「合わない」と感じるかもしれません。一方、短編集はすっきりまとまった読みやすい作品が多いのですが、中でも本作はその筆頭格。予想外のオチまで綺麗に繋がる構成になっているので、北川さんの作品を読むのは初めてという方に向いていると思います。

 

「分身」・・・金に困り、疎遠だった叔母のもとへ金の無心に訪れる主人公・信吾。ところが、叔母は事故で植物状態になった息子・功を抱えており、援助などできない状態だった。信吾と功は同い年で双子のように瓜二つ。その後、功は手当の甲斐なく死ぬのだが、叔母は信吾に奇妙な頼み事をしてきて・・・・

基本的にイヤミス揃いの本作ですが、このエピソードは多少救いがあります。ほとんど付き合いのない親戚に借金を頼みに行く主人公も、息子の死を利用して復讐を目論む叔母もろくな奴じゃない・・・と思わせてからの真相発覚はなかなかインパクトありました。登場人物の中に極悪人はいないようだし、彼らの未来に光があってほしいものです。

 

「渡された殺意」・・・平凡な日々を送る中学生・信一は、ある日、浩介と名乗る少年と知り合う。劣悪な環境で暮らす浩介が語った衝撃の真実。それは、信一と浩介は生まれた時に病院で取り違えられたというものだった。「今のお前の豊かな暮らしは、本当は俺のものだった」と話す浩介だが・・・・・

これは真相そのものより、浩介が送る過酷な生活描写の方がキツいなぁ。あんな暮らしを送ってきた浩介が健やかに育たなかったからといって、彼だけを責めるのは間違いでしょう。信一の方にはまだ救いがありそうで良かったけれど、浩介は今後どうなるのか・・・やっぱり未成年がひどい目に遭う話は、大人のそれよりも悲惨さが際立ちます。

 

「婚約者」・・・研究者の塩谷は、ある夜、正体不明の女と知り合う。混乱状態の女の話によると、彼女は塩谷を名乗る男と婚約し、金を貸したらしい。詐欺に遭ったと知って絶望した女は、塩谷の部屋から飛び降りようとする。彼女をなだめるため、塩谷はある提案をし・・・・・

恐怖度では収録作品の中でもトップクラスのエピソードではないでしょうか。パニック状態の女に理性的に接し、打開策を打ち出す塩谷。二人の間に信頼関係が生まれたように思わせた後、明らかになる真実に鳥肌が立ちそうでした。なんとなくですが、男女でこの話の受け止め方は少し変わるんじゃないかなと思います。

 

「月の輝く夜」・・・塾講師のIDを使い、パソコン上で<月世界>という女性とのやり取りを楽しむ中学生・幹哉。ところが、<月世界>が現実でも会いたいと言い出したことで窮地に陥る。中学生なのに大人と偽っていたとバレれば、<月世界>に嫌われる。悩んだ末、IDを借りた塾講師に事情を話し、身代わりとして会いに行ってもらうのだが・・・

このエピソードの真相が一番びっくりしました。オチが分かった後で再読してみると、なるほど、あそこのアレはそういう意味だったのねとしみじみ納得。第一話同様、根っからの悪人が一人もいない分、余計に切ないですね。ちなみに幹哉がのめり込むパソコン通信のシステムは、私がかつてチャットに夢中になっていた時と同じもので、なんだか懐かしかったです。

 

「冷たい夜明け」・・・かつて双子の妹に婚約者を奪われ、今は末期の病を抱える主人公・亜矢。苦しむ彼女に、ある話がもたらされる。それは、肉体を冷凍保存しておけば、治療法が確立された未来に蘇生できるというものだった。妹の由記は与太話だと断定するものの・・・・・

北川さんはしばしば作品に科学的要素を取り込むのですが、収録作品中、一番それが顕著なのがこのエピソードです。<人体の冷凍保存>だの<クローン人間>だの、SF好きには堪らないキーワードがてんこ盛り。こういう話題に興味がない人でも、肝心なのは人間の業という展開なので楽しめると思います。でも、この状況の亜矢が「遠い未来、健康を取り戻して甦ることができる」と信じたい気持ち、分かるなぁ。

 

「閃光」・・・幼い頃から神童の誉れ高かった学者の辺見。ところが最近、スランプ状態で研究が進まない。理由は分かっている。行きつけのコンビニ店員・未苗が気になって仕方ないからだ。そんな中、未苗が殺されるという事件が発生。気持ちを切り替えて研究に集中しようとする辺見だが・・・・・

このエピソードからは恐ろしさよりも悲しさの方を強く感じました。自分は天才だという自意識に凝り固まり、恋心を認められず、研究がうまくいかないのを「彼女のことが頭から離れないせいだ」とネガティブにしか捉えられない辺見。素直に「彼女が好きだ。もっと親しくなりたい」と思えていたら、別の未来があったかもしれません。これから何が起こるかを想像すると、背筋がぞくりとします。

 

「ささやかな嘘」・・・大学生の怜治は最近、悪質な嫌がらせに悩んでいる。原因は恐らく一つ。半年程前、サークル仲間と行った飲み会で、初体験の話で盛り上がった。だが、怜治は訳あって初体験の相手を誰にも打ち明けられない。会話に加わらず酔い潰れた怜治を、サークル仲間の中道が介抱してくれるのだが・・・・・

ミステリーとしての組み立て方の巧さでは、このエピソードがダントツではないでしょうか。<嫌がらせに悩む主人公の苦悩>→<主人公を苦しめる元凶の登場>→<主人公がついた嘘の発覚>という流れが実にスマートかつスリリング。まあ、主人公にも原因があるっちゃあるのですが、自業自得と言うには重すぎる制裁を受けた彼の今後が心配です。

 

「鎖」・・・主人公の高瀬は、教材セールスの会社で働く営業マン。勤め先は重いノルマを課す悪徳企業だが、高瀬には辞められない理由があった。昔、合宿セミナーで起きた殺人事件。高瀬はそれに関わっており、被害者を病死と偽装してくれた会社に逆らえないのだ。そんなある日、社長の家に、セミナーの事件に触れた怪文書が届き・・・・・

まだ<ブラック企業>という言葉がなかった頃に書かれた話ですが、主人公が勤める会社は真っ黒も真っ黒。そこで働くことで精神をすり減らされ、正常な思考ができなくなった主人公が哀れです。たぶんこの人、こんな会社に関わらなければ真人間として生きていったんだろうな・・・このエピソードのみ、厳密に言うと<もう一人の私>は登場しないのですが、それでも十分面白かったです。

 

「替玉」・・・専務の娘との結婚を控え、独身最後の女遊びを楽しむ主人公・淳也。だが、遊び相手の理奈の殺害現場に出くわしてしまったことで窮地に陥る。浮気がバレれば結婚もパア、それどころか容疑者にされてしまう恐れもある。そこで淳也は、大学時代に知り合った、自分と瓜二つの秋一に協力を求め・・・・・

題名である<もう一人の私>を一番体現したエピソードだと思います。他の話は、従兄弟や双子、ネット上の世界など、<もう一人の私>の存在にちゃんと理由があるのですが、この話のみただの偶然のそっくりさん。それを利用しようとする主人公が真相を知る場面では、彼と一緒にびっくりしてしまいました。他力本願で甘い汁をすすろうとする人間は、絶対痛い目に遭うという見本なのかもしれません。

 

現実世界を舞台にしたミステリーなのですが、主人公たちを襲う恐怖や不安が大きすぎて、ホラーと言っても通用しそうです。その分、一部の話を除き、北川作品お馴染みの科学描写が少ないので、そこを期待していると物足りないかもしれませんね。根っから文系人間の私は、こういう怖さの方がビビッとハマりました。

 

どのどんでん返しにもビックリします度★★★★★

分身がいれば便利なことだらけ度☆☆☆☆☆

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コメント

  1. しんくん より:

    都合の良いもう一人の自分というと「パーマン」のコピーロボットを思い出します。
    昔のドラマ「西遊記」で孫悟空が自分の分身を作り雑用や伝達係をするという場面もありました。
    そんな都合の良い分身などあり得ない~分身自体にも意志もあり返って厄介になりそうで非現実的であり現実的ですね。
    ホーンテッド・キャンパスでドッペルゲンガー・バイロケーションンのストーリーを思い出します。
    未読の作家さんですがどれも面白そうです。
    似鳥鶏の「迫りくる自分」はドッペルゲンガーと思うとそっくりさんでした。
    ハマりそうな作家さんで楽しみです。

    1. ライオンまる より:

      SFやホラーでよく扱われるテーマですが、本作は現実的なミステリーなので、状況をリアルに想像しながら読めました。
      本文でも書きましたが、北川さんは人によって好き嫌いが大きく分かれる作家さんだと思います。
      短編集は長編より読みやすいですが、それでも独特の癖があるので、しんくんさんが気に入ってくれればファンとして嬉しいです。

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