ミステリーないしサスペンス作品に最も多く登場する職業は何でしょうか。仮にランキングを作ったとしたら、上位三位の中には<警察関係者>が入っていると思います。というか、上記のジャンルの作品で、主要登場人物の中に警察関係者が一人もいないケースの方がレアでしょう。
ただ、よく登場する職業なだけあって、マンネリ化を避けるためには、魅力的かつ個性的な味付けが必要となります。例えば、赤川次郎さんの『四字熟語シリーズ』に登場する大貫警部は、恐ろしく食い意地が張っている上に傲岸不遜。中山七里さんの『犬養隼人シリーズ』に登場するする犬養隼人は、元役者志望という経歴に加え、男の嘘には敏感だが女のそれは大の苦手という個性の持ち主。この作品に登場する刑事も、上記の二人と比べ強烈さでは負けるかもしれませんが、目を離せなくなる存在感を持っていました。薬丸岳さんの『刑事のまなざし』です。
こんな人におすすめ
人間の悲哀を描いたミステリーが読みたい人
恋人と息子の板挟みとなった女の決断、古傷に苛まれる青年が迎えた決断の時、過去を隠して生きる男達の本当の顔、原因不明の自傷癖がある少女の秘密、無残な死を遂げた女が最期まで隠した恋人の謎、一人息子の奇行を探る男の奮闘・・・・・そのまなざしは、隠された真実を静かに見抜く。著者渾身のヒューマンミステリー・シリーズ第一弾
主人公・夏目信人は、法務技官から刑事に転職したという異色の経歴の持ち主です。法務技官とは、罪を犯した少年少女と向き合い、今後の処遇を考えたり、地域社会の犯罪抑制に取り組んだりする職業。そういう職業に就いていただけあって、夏目は常に物腰柔らかで優しく、関わったほとんどの人間が「刑事らしくない」という感想を抱きます。そんな夏目が、静かに、しかし真っすぐに罪を見抜く様子にすっかり魅せられてしまいました。
「オムライス」・・・看護士・恵子の内縁の夫だった英明が焼死した。恵子の夜勤中、一人で寝ていたところ、自宅が火事に遭ったのだ。恵子の息子(亡夫との子)・裕馬は英明と折り合いが悪く、火災発生時は外出中。単純な事故と思われたが、現場検証に訪れた自宅で、夏目はある物に目を止めて・・・・・
暴力癖のあるヒモ男、ヒモに寄生されたシングルマザー、振り回される子どもという、悲劇の予感しかしない組合せが出てきます。この流れからして犯人は〇〇かな、と思ったら・・・人情話と見せかけて、ラストで人間の業の深さ、その欲望のどす黒さにゾッとさせられました。
「黒い履歴」・・・少年時代に叔父を殺害したという過去を持ち、今はシングルマザーの姉とその娘の三人で暮らす伸一。ある日、信一らが住むアパートの大家が殺害されるという事件が起きる。取り調べに訪れた夏目は、かつて伸一が少年鑑別所に送られた際、法務技官として調査を行った人物で・・・・・
そうじゃなきゃいいなと思った真相が当たってしまいました(涙)第一話もそうですが、被害者の性根の腐り方が凄まじいので、「殺されたって自業自得じゃん」と思ってしまいます。そんな本音に、夏目の穏やかな言葉が刺さる刺さる・・・伸一達が心から笑い合える日が来るよう、願ってやみません。
「ハートレス」・・・息子の死、離婚を経てホームレスとなったマサは、病弱なホームレス仲間・ナカさんのことが気にかかる。そんな中、ホームレスのボス的存在だったショウが何者かに撲殺された。ショウは元暴走族だっただけあって気性が荒い上、付近では若者によるホームレス狩りも起こっており、諍いが高じた末の殺人かと思われたが・・・・
社会的弱者であるホームレスが犠牲になる事件は、現実でもフィクションでも数多く起こっています。このエピソードが一味違う点は、被害者・ショウが性格的にも腕力的にも強く、ホームレス狩りの少年達など一網打尽にできる戦闘力を持っていたこと。そんな彼を殺したのは誰なのか?というのが謎なわけですが、真相が分かってみたら、ショウのクズっぷりに唖然としてしまいました。ミステリーとしてのひっくり返り方もなかなか凝っており、インパクトの強いエピソードです。
「傷跡」・・・池袋東高校のスクールカウンセラーとして働く久美子の目下一番の心配事は、二年の有香という少女のこと。両親の離婚後、カウンセリングを重ねた結果、不登校から抜け出しつつあった有香だが、最近になってまた学校に来なくなったのだ。そんな時に起こった、男性の変死事件。遺体発見現場で池袋東高校の制服を着た女生徒が目撃されており、刑事が捜査にやって来る。久美子が咄嗟に思い浮かべたのは有香のことで・・・
四話目まで来たけど、純粋に同情できる被害者が一人もいないでやんの(汗)このエピソードの救いは、大人の思惑に翻弄された有香に、ちゃんと寄り添ってくれる存在がいたことでしょうか。また、ここで出てくる久美子は、夏目の学生時代の同級生。夏目が法務技官を志した経緯なども語られ、彼の人となりがより深く分かりました。たぶん、法務技官としてもとても優秀な人だったんだろうな。
「プライド」・・・旅行会社で働く二十代の女性が首を絞められて殺された。現場には性交渉の痕跡があり、被害者には「とても男らしい」恋人がいたという。だが、どれだけ調べても恋人の存在が浮かび上がってこない。捜査が膠着状態に陥る中、夏目は意外な人物の動向に注目し・・・・・
ただ愛し合った。それだけなのに堂々と結ばれることができず、結果的に悲劇に陥った恋人達が哀れでした。加害者の苦しみに気付いた夏目が、一切手加減せず、あえて全力でぶつかる姿が清々しいです。ところでこのエピソード、本作を読む前にどこかで見かけた気がするんですが・・・アンソロジーか何かに掲載されていたのかな?
「休日」・・・中学生の息子と二人暮らしをする男やもめ・吉沢は、仕事帰り、不審な光景を見てしまう。息子の隆太が、見るからに怪しげな男から金を受け取っていたのだ。近所では窃盗事件が相次いでおり、隆太の部屋からは変色した軍手やくしゃくしゃの紙幣が見つかった。まさか、事件に隆太が関わっているのか?悩んだ吉沢は、長年の親友である夏目に相談することにして・・・・・
収録作品中唯一、まだ死体が出ていないエピソードです。夏目も、あくまで友人から相談を持ち掛けられたという立場なので、刑事としてというより男友達としての振る舞いが多く見受けられ、なんとなく新鮮でした。明かされた真相はショックなものでしたが、人死にが出たわけじゃないし、これから親子でちゃんと向き合って再出発してほしいです。
「刑事のまなざし」・・・荒れた少年時代を送るも、今はバーを経営し、愛する妻と娘を得て、幸せに暮らす塚本。彼の前に、昔いじめていた太田が現れる。どれだけ謝罪しても太田は聞き入れず、店でねちねちと嫌がらせを繰り返し、あまつさえ、塚本の妻を提供しろと言い出した。拒否する塚本に対し、太田は、塚本がかつて犯した一つの罪をちらつかせ・・・・・
最終話で、夏目が刑事に転身するきっかけとなった事件が大きく動きます。かつての塚田がろくでなしだったことは間違いないし、太田は太田で大概救いようのない奴です。ですが、今の塚田が良き社会人、良き夫、良き父であることもまた事実。また、さんざん陰湿ないじめを受けた太田が「謝罪ぐらいで許せるか。お前を幸せになんてさせない」と思う気持ちも分からないじゃありません。関係者双方が持つ被害者・加害者の側面に翻弄される中、真摯に家族を思う夏目の姿に胸を打たれました。
本作は二〇一三年に椎名桔平さん主演でドラマ化されています。で、このドラマ版第四話の「無縁」の原作は書籍未収録、電子書籍でのみ期間限定配信されたらしいです。また、「少年のまなざし」という短編も書き下ろされたようですが、こちらも今のところ収録書籍を確認できず・・・後者は掲載誌を図書館で探すという手がありますが、前者は今後読む機会があるかしら。大好きなシリーズなので、悶々としてしまいます。
やるせない、でも空気は温かい度★★★★☆
夏目の人間力が素晴らしい度★★★★★
薬丸岳さんの作品で夏目刑事の作品も読んでいますが2作目の作品でこれはまだ未読でした。
薬丸さん独特の不穏な雰囲気を感じます。
夏目刑事が刑事になるきっかけとなった事件もまさに薬丸さんらしい展開です。
ドラマ化された作品も観たいですね。
二作品目というと、「その鏡~」でしょうか。
あちらも面白かったですが、私は夏目刑事初登場である本作の方が印象深いです。
ドラマ版も面白かったですよ。
原作は四作目まで出ているのだから、ドラマ第二弾も作ってほしいです。