はいくる

「Iの悲劇」 米澤穂信

私の居住地は地方都市なので、公共施設に行くと<Uターン・Iターン相談会><Uターン・Iターンフェア>などといったポスターをよく目にします。Uターンとは、何らかの理由で出身地を離れた人が、再び故郷に戻って働くこと。Iターンとは、出身地以外の土地で仕事を得て暮らすことを意味します。

どちらもそれぞれ楽しいこともあれば辛いこともあるのでしょうが、まるで馴染みのない土地で一から生活基盤を作らなければならないという意味では、Iターンの方が大変な気がします(その分、しがらみがないというメリットもありますが)。先日読んだ小説では、Iターンにまつわる悲喜こもごもが描かれていました。今日ご紹介するのは、米澤穂信さん『Iの悲劇』です。

 

こんな人におすすめ

限界集落を舞台にしたミステリーが読みたい人

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住民が全員退去し、ゴーストタウンと化した町・蓑石。この町を甦らせるため発足したIターン支援プロジェクトは、三人の職員の手に委ねられた。長閑さが取り得のはずの蓑石で、彼らは様々な謎に直面する。騒音問題で対立する住民、次々と消えていく鯉の行方、不可解な状況で突如消えた少年、極端なナチュラル志向の女性を襲う食中毒事件、仏像を巡って入り乱れる人間模様・・・・・次から次へと現れる謎を、<甦り課>は解決できるのか。謎をすべて解決した後に待つ驚愕の真相とは、果たして・・・・・

 

騙されたー!というのが初読み後の感想です。あらすじを読んだ時、「なるほど、地方再生を巡るお仕事ミステリーね」と予想した読者も多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人。もちろん、そういう面もあるんですが、最終話まで読んでみると、その真相のやり切れなさ、主人公が味わう虚しさに呆然としてしまいました。これまで米澤さんの私的イヤミス・ランキング一位は『儚い羊たちの祝宴』だったのですが、現実味がある分、本作のイヤ度の方が勝っている気がします。

 

「第一章 軽い雨」・・・<甦り課>職員である万願寺邦和は、新人の観山遊香や課長・西野と共にIターン住民たちの支援を行っている。蓑石で暮らし始めた二世帯の間で、早速トラブルが起きた。元会社員の久野が、隣家・阿久津家から流れ出てくる音楽やバーベキューの音がうるさいと言うのだ。対応を考えあぐねる万願寺らは、ある日、久野から夕食に招待され・・・・・

第一章から登場人物たちのキャラが立ちまくっています。絵に描いたようなお役所人間の万願寺、あっけらかんとした新人の観山、定時退社を第一に考える課長・西野の三人はもちろん、移住者たちの描写も秀逸。見るからに真面目な久野と緩さを感じさせる阿久津、この二人の間でトラブルが起こるわけですが、本当に問題アリなのは果たして・・・?ここで単純に<実は堅物そうな人が悪かったんですよ>と終わらせないところが巧いですね。でも、阿久津家にも何となく不安を感じるんだよなぁ。

 

「第二章 浅い池」・・・新たに越してきた二十代の牧野は、必ず蓑石を再生させると熱意満々。早速、休耕田で養鯉業を開始する。ところがある日、万願寺のもとに牧野から連絡があった。きちんとネットを張っていたにも関わらず、鯉が減っているそうで・・・・・

ラストでどひゃーっとひっくり返りました。基本的に苦味を感じさせる話が多い中、このエピソードのみどことなくコミカルで、いい意味で脱力させてくれます。ここで出てくる牧野さん、熱意が空回りするタイプではあるだろうけど、決して悪人ではなさそうな分、滑稽というか哀れというか・・・私自身、こういう手抜かりをよく起こす人間なので、読みながらかなり感情移入してしまいました。

 

「第三章 重い本」・・・蓑石での移住者たちの生活が少しずつ動き出した。歴史研究家の久保寺の家には、近所に住む少年・速人が出入りし、蔵書を読み耽っているらしい。住民同士の交流が深まるのはめでたいと安堵する万願寺だが、速人が失踪するという事件が起きてしまい・・・・・

一番お気に入りかつ一番やり切れないエピソードでした。他の話の登場人物たちが、悪人ではないにせよ癖が強く扱い辛いタイプが多い中、この話に出てくる移住者は良識ある善人ばかり。それだけに、彼らが直面した事件と、その顛末が悲しいです。<知識豊富な年長者と好奇心旺盛な少年の交流劇>なんて、田舎ヒューマンドラマに欠かせない要素だったのになぁ。

 

「第四章 黒い網」・・・河崎夫妻の妻・由美子はちょっとしたトラブルメーカー。自然の物を愛しすぎるあまり、排気ガスを出す車や電波を放つアンテナを嫌悪し、これらを使う住民に苦情を申し立てるのだ。そんな中で行われた秋祭りで、キノコを食べた由美子が中毒症状を起こし・・・・・

自宅周辺を車で走る人や、趣味で無線のアンテナを立てている人に「体を害したらどうする」と噛みつきまくる由美子は、確かに厄介な人。でも見方を変えると、彼女も不幸な人なんですよね。今の世の中、こんな生き方をしていたら、身も心も休まる暇がないでしょう。周囲の人が、由美子を一方的に爪弾きにすることなく、困った人だと思いながら何とか妥協策を打ち出そうとしていたところが、なんとも皮肉です。

 

「第五章 深い沼」・・・相次ぐ移住者の退去に、ついに市長に呼ばれた万願寺と西野。どうにか報告を終えた後、土木課を訪れた万願寺は、やる気のない西野が実は切れ者として有名だと聞く。万願寺はこれまで起こったトラブルに思いを馳せ・・・・・・

このエピソードのみ、作中で事件が起こりません。万願寺が思いがけず知った西野の評判もインパクトありますが、それより印象的だったのは後半、万願寺と弟の電話での会話。撤退戦と消耗戦・・・なるほどねぇ。でも、この弟の言うことも、決してただのいちゃもんではないんですよね。前半、万願寺が土木課で交わした、除雪に関する会話が重くのしかかってきます。

 

「第六章 白い仏」・・・美男美女の若田夫妻が住む家には、円空が彫った仏像があるという。前の住民が置いていった物なので真贋は不明だが、もし本物なら大変な価値がある。蓑石のリーダーを自称する長塚は仏像を公開するよう求めるが、若田夫妻は頑として受け入れない。長塚からの訴えを聞いた万願寺と観山は、若田家を訪れるのだが・・・・・

実在の修験僧であり仏師の円空の存在が絡むこともあり、どことなく歴史ロマンの香り漂うエピソードです。ミステリーとしての構成も、収録作品中で一番しっかりしているのではないでしょうか。そしてこの話で、これまでぼかされてきたある人物に対する違和感が確かなものになります。振り返ってみると、最初からけっこう意味深な行動していたよね、その人。

 

「終章 Iの喜劇」・・・最後の住民が去り、蓑石は再びゴーストタウンとなった。町全体を見下ろせる場所で、万願寺・観山・西野の三人はこれまでの出来事を回想する。実は万願寺には、一つの確信があった。蓑石で次々起こった事件は偶然ではなく、何者かが意図的に誘発したものなのだ。

これまで起こったすべての謎が集結し、真相が明らかになります。そのあまりの皮肉さに、言葉を失ったのは私だけではないはずです。<悲劇>だったはずのタイトルが、この章で<喜劇>となっているのはそういう意味だったのか・・・なるほど、分かってみれば、これは愚かな喜劇以外の何物でもありません。万願寺が一瞬思い浮かべる、住民達が平穏に暮らす蓑石の幻想が切なくて仕方ありませんでした。

 

ところで、主人公の名前<万願寺>って、米澤さんの著作『満願』となんとなく近いですよね。そんなによくある苗字じゃないし、もしや意図的に似せた名前にしているんでしょうか?わざわざそんな名前にするからには思い入れあるんだろうし、もしやシリーズ化の布石?と勝手に楽しみにしています。このままでは真面目に努力した彼が報われなさすぎなので、何らかの救済があってほしいです。

 

登場人物たちの書き分けが抜群に巧い!度★★★★★

公務員は安定した穏やかな仕事です度☆☆☆☆☆

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コメント

  1. しんくん より:

    米澤穂信さん独特の雰囲気と特徴が色濃く感じられるストーリーでした。
    出身地以外の地方で暮らすIターンの難しさと厳しさをリアルタイムで感じました。
    救急車が来て病院に搬送されるまで2時間かかる、学校へ通うスクールバスもない、食糧の買い出しですら困難~誰が住むのか?と読みながら思いました。
    西野課長と観山の不自然な言動にラストのオチのは見事に騙されて言葉を失いました。
    半端な気持ちでIターン、田舎暮らしを夢見て移住すると痛い目に合うと伝えているよにも思える作品でした。

    1. ライオンまる より:

      しんくんさんもレビューをアップされていましたね。
      覚悟の甘い移住者達が直面する田舎の現実・・・という話かと思いきや、最後に待っていたオチに仰天しました。
      「色々あるけど田舎で頑張ろう!」みたいな作品が多い中、この容赦のなさはインパクト強かったです。

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