はいくる

「罪と祈り」 貫井徳郎

作品名も内容も忘れてしまいましたが、ずいぶん昔に見た映画で、登場人物がこんな台詞を口にしていました。「身代金目当ての誘拐は、この世で一番成功率の低い犯罪だ」その理由は色々ありますが、一番は、金の受け渡しをしなくてはならないという性質上、絶対に加害者側と被害者(の関係者)側が接触するからでしょう。実際、戦後日本で起きた誘拐事件で、犯人が身代金奪取に成功した例は一つもありません。

現実に起きたら凶悪極まりない誘拐事件ですが、フィクションの世界限定なら、面白いテーマとなり得ます。荻原浩さんの『誘拐ラプソディー』や天藤真さんの『大誘拐』、東野圭吾さんの『ゲームの名は誘拐』など、誘拐事件を扱った小説は多いです。今回取り上げるのも、悲しい誘拐事件をテーマにした作品です。貫井徳郎さん『罪と祈り』です。

 

こんな人におすすめ

誘拐事件が出てくるミステリー小説が読みたい人

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父が抱えていた秘密は一体何だったのだろう---――隅田川で発見された元警察官・濱中辰司の他殺体。真面目一徹だった彼は、なぜ殺されたのか。一人息子の亮輔と幼馴染で刑事の賢剛は、真実を求めて東奔西走する。やがて二人は、濱中の死の背景に、彼がずっと抱えてきた過去の傷が関係していることを知る。それは、昭和末期に起きた、未解決の誘拐事件だった・・・・・過去と現代が交錯する、切なく哀しい長編ミステリー

 

貫井徳郎さんは、過去に『慟哭』『誘拐症候群』などでも誘拐事件をテーマにしています。この二作品は、それぞれ<黒魔術を信じる新興宗教><表立って警察が捜査できない事件を扱う特殊工作チーム>というインパクトの大きいキーワードが登場する、いわば<動>の作品でした。対して本作の作風は<静>。未解決誘拐事件というショッキングな出来事は起こるものの、基本的に現実に即した流れで物語が進みます。その分、登場人物たちの背景が分かりやすく、彼らの苦しみが胸にのしかかってくるようでした。

 

物語序盤、隅田川で元警察官・濱中辰司の遺体が発見されます。当初は事故と思われていたものの、間もなく辰司の頭部に傷が見つかり、他殺と判明。辰司は実直な警官として周囲に慕われた人物でしたが、息子の亮輔は昔から父には何か秘密があると感じていました。もしや、父はその秘密のせいで殺されたのではないか。亮輔と、その幼馴染であり刑事の賢剛は、それぞれの立場から事件の真相を追い始めます。やがて浮かび上がってきたのは、かつて辰司と同じ隅田川で入水した賢剛の父・智士の死。そして、昭和末期に起きた未解決誘拐事件の存在でした。

 

あらすじから察する読者もいるでしょうが、辰司が死ぬまで抱え続けた秘密というのが、この未解決誘拐事件です。といっても、「亮輔と賢剛の父親は、金目当てに誘拐事件を起こしましたよ」などという単純な話ではありません。ここでポイントとなるのが、昭和末期、バブル景気の最中という特殊な時代です。誰もが浮かれ、騒ぎ、その陰で弱者が容赦なく踏みにじられていた時代。そんな時代だからこそ、この誘拐事件は起きました。バブルといえば、派手できらびやかなイメージが先行しがちですが、本作では地上げや育児放棄など、暗い面が押し出されています。この辺りの描写が本当に切なく、哀しくて・・・犯罪を時代のせいにするのは筋違いと分かっているものの、「時代が違えば、彼らに安らかな人生があったかも」と思わずにはいられませんでした。

 

とはいえ、重苦しい内容ながら読みにくさは感じさせません。この手の「親世代の出来事を子世代が振り返る」という小説の場合、時代や登場人物が行ったり来たりして混乱することがありますが、本作の場合は心配御無用。二つの世代の物語が、「亮輔と賢剛」「辰司と智士」という二つの章に分かれて交互に語られることで、とても読みやすい構成に仕上がっています。そのせいか、四七二ページという、そこそこ分量のある作品ながら、中休みを挟むことなく読破することができました。

 

ただ、正直なところ、登場人物に無条件に共感できるタイプの作品ではないと思います。特に親世代に関しては愚かで浅慮な部分が多く、「こいつらがもう少し深く物を考えていれば・・・」と思ってしまうかもしれません。ですが、人間というのはもともと愚かさや浅はかさを持ち合わせ、それを試行錯誤しつつ乗り越えていく生き物です。親の罪と直面した子どもたちが、それをどう乗り越えるのか。彼らの今後が気になります。

 

この罪は、この時代だからこそ生まれた度★★★★☆

どうか子どもたちが安らぎを得られますように度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    かなり壮絶で濃厚な時代背景を感じる作品ですね。
    「慟哭」のように過去と交錯して救いのないミステリーのような感じですね。
    確かに誘拐事件は身代金受け渡しがお互いに最大の山場。
    「64」のように警察でさえ想像も出来ないトリックは小説だからこそで現実はどうだろうか?と思います。
    奥田英朗さんの「罪の轍」と似たような設定がありそうです。
    重たそうですが読んでみたい作品です。

    1. ライオンまる より:

      仰る通り、「罪の轍」と似た設定です。
      本作の場合は、親世代と子世代、二つの時代に分かれて物語が進むのがミソですね。
      バブルの負の面についても色々と知ることができました。

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