現代には、エンターテインメントが溢れています。漫画に小説、ドラマ、映画、ゲームetc。漫画一つ取っても、紙媒体もあれば電子書籍もありと、その数はまさに無数。この分だと、三年後、五年後には、きっとまた新しい娯楽が誕生していることでしょう。
これだけ数が多いと、当然ながら、詳しい分野と疎い分野が出てきます。私の場合、このところドラマに触れる機会がめっきり減りました。お気に入りの小説や漫画について調べた時、「え、これって映像化していたんだ!しかもとっくに放映終了してる!」と驚くこともしばしば・・・この作品も、知らない間にドラマ化されていたと最近知りました。永嶋恵美さんの『泥棒猫ヒナコの事件簿 別れの夜には猫がいる』です。
こんな人におすすめ
・後味の良いサスペンス短編集が読みたい人
・『泥棒猫ヒナコの事件簿シリーズ』のファン

私が子どもの頃、オカルト界隈では<ノストラダムスの大予言>が有名でした。最近は名前が出る機会もめっきり減ったので一応解説しておくと、これはフランスの医師兼占星術師であるノストラダムスが書き残した予言のこと。実物は相当な量の詩集なのですが、日本ではその中の第十巻七十二番『一九九九年七の月、空から恐怖の大王が来るだろう』という一文がやたらと広まり、「一九九九年の七月の世界へ滅亡するんだ!」という騒ぎになったのです。実際のところ、ノストラダムス自身は世界滅亡に関する記述は何一つ残しておらず、そもそも詩の和訳が間違っているという指摘すらあるものの、ホラー好きとしては印象深いブームでした。
万事においておっちょこちょいな私が、読む本を選ぶ上で気を付けているポイント。それが<改題>です。単行本から文庫化されたり、新装版が出版されたりする時、題名が変わるのはままあること。前の題名を連想させるような改題ならいいのですが、あまりにかけ離れた題名に変わっていると、「好きな作家さんの新刊だ!やった!」→「・・・と思ったら、前に読んだやつだった」というガッカリを味わうこともあり得ます。櫛木理宇さんの『少女葬』が、すでに読破済みだった『FEED』の改題だと知った時は悲しかったなぁ・・・
<墓>という場所は、石器時代から存在していたそうです。当時はただ遺体を埋めた後に土を盛り上げておいただけのようですが、徐々に形式ができ、宗派による違いも生まれ、現在の形に至りました。故人の魂を労わると同時に、遺された人達の慰めとなる場所は、大昔から必要だったということですね。
小説を読んでいると、しばしば「この話は映像化向きだな」と思うことがあります。動きが派手で、キャラクターの個性が強く、叙述トリック等、文章ならではの技法が使われていない小説がこう言われることが多いですね(一部例外あり)。「これは画面で見てみたい!」と思った小説が実写化された時の喜びは大きいです。
俳句というのは、とても奥の深い芸術です。たった十七文字という、詩の世界の中でも異例の短さで、風景や作者の心情を表現する。文字数が少ない分、一見簡単だと思えるかもしれませんが、十七文字という縛りの中で世界観を作り上げるのは至難の業です。日本での認知度の高さは言うに及ばず、近年では海外にまで俳句文化が進出し、英語で俳句を詠むこともあるのだとか。日本の伝統文化が世界に広まるのは、日本人として嬉しいことですね。
死刑のことを<極刑>と表現することがあります。意味は、それ以上重い罰がない究極の刑罰ということ。己の罪を命を以て償う死刑は、確かに<極刑>という言葉がふさわしいと思います。
残念ながら私は画才に恵まれませんでした。子どもの頃から、図画工作や美術は苦手な教科の筆頭格。教室の後ろに自分の絵を飾られることが本気で憂鬱だったものです。
ものすごく有名な割に、日本の創作物で主要キャラになることが意外と少ない存在、それが<天使>と<悪魔>だと思います。どちらも外国の宗教に由来する存在だからでしょうか。海外作品の場合、主人公のピンチを天使が救ってくれたり悪魔がラスボスだったりすることがしばしばありますが、日本ではこれらの役割を<神仏><守護霊><怨霊><妖怪>等が担うことが多い気がします。
愛とは決して後悔しないこと、最後に愛は勝つ、愛は地球を救う・・・愛に関する有名な台詞や歌詞、格言は数えきれないほど存在します。愛はキリスト教で最大のテーマとされていますし、日本においても、年齢や性別の枠を超えた深く広い慈しみの感情として捉えられることが多いです。お金や権力を求めるのは何となく卑しい気もしますが、<愛のため>というお題目があると、気高く誠実なもののような気がしますよね。