死刑のことを<極刑>と表現することがあります。意味は、それ以上重い罰がない究極の刑罰ということ。己の罪を命を以て償う死刑は、確かに<極刑>という言葉がふさわしいと思います。
ですが、よく考えてみれば、死が万人にとって究極の刑罰とは限りません。「もう死刑でいいや」と投げやりになる犯罪者もいるでしょうし、極端な例だと「生きていても面白くないことばかりだけど、自殺は面倒。死刑囚は三食付きで労役もないし、ぜひ死刑になりたい」と考える不心得者もいるようです。こうした考えの人間を望み通り死刑にしたって、それは果たして究極の刑罰と言えるのでしょうか。生を望み、死を恐れる者に対してこそ、死刑は<極刑>たりえるのだと思います。今回取り上げるのは、薬丸岳さんの『最後の祈り』。死刑というものの意味について考えさせられました。
こんな人におすすめ
教誨師が登場する小説に興味がある人

残念ながら私は画才に恵まれませんでした。子どもの頃から、図画工作や美術は苦手な教科の筆頭格。教室の後ろに自分の絵を飾られることが本気で憂鬱だったものです。
ものすごく有名な割に、日本の創作物で主要キャラになることが意外と少ない存在、それが<天使>と<悪魔>だと思います。どちらも外国の宗教に由来する存在だからでしょうか。海外作品の場合、主人公のピンチを天使が救ってくれたり悪魔がラスボスだったりすることがしばしばありますが、日本ではこれらの役割を<神仏><守護霊><怨霊><妖怪>等が担うことが多い気がします。
愛とは決して後悔しないこと、最後に愛は勝つ、愛は地球を救う・・・愛に関する有名な台詞や歌詞、格言は数えきれないほど存在します。愛はキリスト教で最大のテーマとされていますし、日本においても、年齢や性別の枠を超えた深く広い慈しみの感情として捉えられることが多いです。お金や権力を求めるのは何となく卑しい気もしますが、<愛のため>というお題目があると、気高く誠実なもののような気がしますよね。
小学校高学年から中学生にかけて、海外の児童小説にハマった時期があります。友達とのパジャマパーティー、珍しいアイスやケーキ、信じられないくらい長い夏休み、ボーイフレンドと出かけるダンスパーティー・・・外国ではこんなお洒落な生活が送れるのかと、うっとりしながら読みふけったものです。
図書館大好き人間の私が、しばしば意識してしまうこと。それは<蔵書整理>です。本がきちんと整えられ、利用しやすくなるのは有難いのですが、時々、好きだった蔵書がなくなることがあるのです。汚れが激しいので処分されたのか、収納スペースに余裕がある別の図書館に移したのか・・・詳細は分かりませんが、再読しようと思った本が見つからず、データベースで検索して「ここの図書館に置いてない!この前まであったのに!」となった時の落胆は、何度も経験したいものではありません。
人が誰にも看取られることなく病気・事故等で死亡することを<孤独死>といいます。死に方の性質上、場所は主に当人の自宅なのだとか。概念自体は明治時代から存在していましたが、注目されるようになったのは一九九五年の阪神淡路大震災後からだそうです。被災者が自宅等で誰にも気づかれないまま死亡する事態が問題視され、それに伴い、これまで<自然死>の一言で片づけられてきた孤独死に関心が集まるようになりました。
とある人物の生涯について書いた本を<一代記>といいます。主人公は実在の人物のこともあれば架空の人物のこともありますが、どちらにせよ社会を大きく動かす出来事に関わったり、歴史上の人物に出会ったりと、波乱万丈な人生を送ることが多いです。最近の作品では、森絵都さんの『みかづき』や柚木麻子さんの『らんたん』などが挙がるでしょう。
物事の、中でも悲惨な物事の終わりとはいつでしょうか。たとえば戦争だとしたら、当事者間で終戦の合意がなされた時?自然災害だとしたら、避難生活が終わり、被災した人達が自宅で普通に暮らせるようになった時?幸せな出来事ならば永遠に続いてくれていいけれど、不幸な出来事ならはっきり終わってほしいと思うのが人情というものです。
LGBT問題は、もはや単語を見聞きしない日はないと言っても過言ではないくらい、社会全体で一般的なテーマとなりました。簡単に説明しておくと、LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの四つの単語の頭文字を組み合わせた表現です。日本におけるパートナーシップ制度のように、彼らの権利を保護する制度・法律もできている一方、悲しいかな、理不尽な差別の対象となることも少なくありません。