はいくる

「事件は終わった」 降田天

物事の、中でも悲惨な物事の終わりとはいつでしょうか。たとえば戦争だとしたら、当事者間で終戦の合意がなされた時?自然災害だとしたら、避難生活が終わり、被災した人達が自宅で普通に暮らせるようになった時?幸せな出来事ならば永遠に続いてくれていいけれど、不幸な出来事ならはっきり終わってほしいと思うのが人情というものです。

しかし、悲しいかな、不幸な出来事であればあるほど、長く続いてしまうのが世の常。戦争や災害、凶悪犯罪などの場合、出来事そのものは終わっても、巻き込まれてしまった人達の心身の傷はそう簡単には癒えません。「もう終わったことなんだから忘れなさい」と言えるのは、きっと部外者だからこそでしょう。今回は、とある犯罪と、そこに関わってしまった人達の苦しみをテーマにした作品をご紹介します。降田天さん『事件は終わった』です。

 

こんな人におすすめ

心の傷と再生を描いたヒューマンストーリーが読みたい人

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刃物を持った男が地下鉄内で暴れ、死者一名を出した<地下鉄S線内無差別殺傷事件>。犯人は捕まり、またいつも通りの毎日が戻ってくる---――はずだった。SNSで中傷され引きこもり生活を送るようになったサラリーマン、事件後に「幽霊が見える」と訴え始めた妊婦、犯人から逃げようとしてケガをした高校生、避難する乗客の誘導をしたホスト、犠牲となった老人と思わぬ形で関わりを持った少女・・・・・彼らにとっての事件の終わりは、果たしていつなのだろう。事件に巻き込まれた人達の再生を描く、切ない連作短編集

 

作中に悲惨な事件が登場する小説は、古今東西、それこそ数えきれないほどあります。本作の特徴は、徹底して<事件後の関係者>にフォーカスされている点でしょう。どのくらい徹底されているかというと、この手の小説で重きを置かれがちな犯人の様子・情報が出てくるのは、事件発生時を描いた序章のみ。以降は犯人サイドの描写は一切なく、ただただ関係者達の苦悩と再生の軌跡が綴られます。こういう手法、けっこう珍しいのではないでしょうか。

 

「00  事件」・・・いつも通り乗客を乗せ、いつも通り走る地下鉄S線。穏やかな光景は、一人の男が刃物を持って暴れ出したことが一変する。この男により妊婦が切り付けられ、止めに入った老人が刺し殺された。やがて駆け付けた警察によって男は逮捕され、事件は終わったかに見えたが・・・・・

この章では、<地下鉄S線内無差別殺傷事件>の一部始終が描かれます。特定の主人公は不在で、ひたすら淡々と事件の発生から犯人逮捕までを描写するのみ。この無機質さが、事件の陰惨さをより際立たせていました。本作の表紙は、事件発生直前の車内の光景を描いているので、しっかり見ておくことをお勧めします。

 

「01 音」・・・平凡な日常をそれなりに楽しんでいたサラリーマン・和宏の人生は、事件によって暗転した。事件発生時、我先に逃げ出す和宏の映像がSNSに投稿され、「妊婦と老人が被害者となったのに、さっさと逃げるなんて最低」と中傷されるようになったのだ。交友関係は壊れ、仕事も続けられなくなり、引きこもりながら同居の母親に当たり散らす日々。そんなある日、彼はどこからか伝わる人を殴打するような音と、「タスケテ」という声を聞き・・・

たまたま体格の良い青年だったから<さっさと逃げた卑怯者>として誹謗中傷の嵐に晒される和宏が哀れでなりませんでした。彼がもっと貧弱だったり、中年だったりしたら、ここまで非難されることはなかったでしょう。ネット文化の残酷な面がこれでもかと強調されている分、終盤、生身の体一つで行動する和宏の姿が雄々しいです。

 

「02 水の香」・・・<地下鉄S線内無差別殺傷事件>で犯人に腕を切りつけられた妊婦の千穂。幸い軽傷だったものの、事件後に神経過敏となり、「幽霊が見える」と口走り始める。千穂を案じた夫は、半信半疑ながら、知人の伝手で霊能者に除霊を依頼するのだが・・・・・

真相発覚時のインパクトは、この話が一番大きかったです。悲惨な事件に巻き込まれた妊婦として同情され、助けてくれた老人の遺族からも労わられる千穂。彼女を苛んでいたものの真実は痛々しいですが、支えてくれるであろう家族がいることが救いです。途中で出てくる霊能者、めちゃくちゃ胡散臭いと思いましたが、ただの善意の人だったってこと?

 

「03 顔」・・・高校でテニス部エースとして活躍する亮は、<地下鉄S線内無差別殺傷事件>で犯人と同じ車両に乗り合わせ、逃げる最中、怪我を負った。どうにか怪我は治ったものの、悪夢に苦しめられる日々。そんな亮に対し、校内の報道部から取材させてほしいという依頼があって・・・・・

第一話、第二話の登場人物達が事件後に鬱々とした日々を過ごしているのに対し、この話の主人公・亮は一見きちんと社会復帰したかのように思えます。テニス部のエースで、恐らくルックスもそこそこ、明るく行動的な亮は、表面上はスクールカースト上位の陽キャ。だからこそ、内側に渦巻く感情の正体が生々しく感じられました。それにしても探偵役の響、賢すぎ!

 

「04 英雄の鏡」・・・<地下鉄S線内無差別殺傷事件>発生に居合わせ、避難する乗客を誘導したホストのユウ。その時から、ユウは鏡の中に勇気の幻影を見るようになる。ユウとそっくりな顔を持ち、正義感に溢れ、喧嘩の仲裁中に負った怪我のせいで今なお昏睡状態の勇気。なぜこんな風に俺の前に現れるのか。馴染めないホスト稼業のせいもあり、次第に精神的に追い詰められていくユウだが・・・・・

ミステリーとしてのビックリ度は収録作品中一番ではないでしょうか。降田天さんといえば、『女王はかえらない』等で叙述トリックの手腕を遺憾なく発揮してくれた作家さん。そんな作者の技が冴えまくっていたと思います。ユウの職場のホスト達も、よくある熾烈な人気争いなどせず、意外に気のいい連中で好感度大!

 

「05 扉」・・・女子高生の響は、<地下鉄S線内無差別殺傷事件>以来、地下鉄に乗ることができない。響は、妊婦を助けようとして死んだ老人・向井から事件発生直前に痴漢されており、彼に「死ね」と吐き捨てていた。まさか、自分があんな風に罵ったから、あの老人は汚名返上のため妊婦を助けたのか。そもそも彼は本当に痴漢の犯人だったのか。自分の勘違いだったのではないか。悩む響は、ある時、<未来ドア>という都市伝説を知り・・・

「顔」で登場した女子高生・響が主役を務めます。事件のトラウマで、地下鉄に乗ることができない響。そんな彼女の苦悩と、<未来ドア>の都市伝説、不登校になった女子高生のエピソードがうまくマッチングしていました。「顔」の亮ともけっこう気軽に口をきくようになったようだけど、この二人、進展することってあるのかしら。

 

「06 壁の男」・・・<自分の描いた絵が勝手に動いて見える>という謎の現象に悩まされ、イラストレーターとして働けなくなった似鳥。ある日、廃工場を見つけた似鳥は、そこの壁に自由気ままに動物達の絵を描き、フラストレーションを晴らしていた。ところが、不法侵入して描いた絵を、作業服姿の男に見つけられてしまい・・・

白眉は、前半と後半の<絵が動き回る>という現象の描写の差でしょう。前半は、似鳥を悩ませ、順調だったイラストレーターとしての道を閉ざした忌まわしいもの。対して後半、酒好きの男との交流を経た後のそれの、生き生きとして魅力的なことといったら!絵描きとして一皮剥けた似鳥が、今後、大活躍することを願ってやみません。さらにこの話では、<地下鉄S線内無差別殺傷事件>で向井老人がなぜ犯人に立ち向かったのか、推測がなされます。本人がこの世にいない以上、真相は藪の中ですが・・・たぶん、この推測で合っているんじゃないかな。

 

凶悪事件を扱っている割に血生臭い場面は少ないですし、どの話も読後感が良いので、安心して読めると思います。ただ一つ、気になる点があるとすれば、オカルト・超自然的な要素が絡む話がいくつかあるというところでしょうか。とても上手く描写されているものの、硬派なサスペンスを期待していると拍子抜けしてしまうと思うので、ご注意ください。

 

犯人が逮捕されれば事件は終わる度☆☆☆☆☆

一筋でも光は見える度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

     ほぼ同時期に読まれていたのですね。
     あり得ないような凶悪事件に遭遇して直接巻き込まれなくても一生心に刻まれてしまう~警察も医師も心理カウンセラーでも治せない心の傷は自分で克服しない限り事件は終わらないのでは~と思うと怖くすらなりました。
     ただ読んでいて思うのは、凶悪事件はきっかけに過ぎないのでは~登場人物全員、主婦の千穂、高校生の亮と響、イラストレーターの似鳥は特にそうではないか~と感じます。
     和宏にしても、危険な犯人から直ぐに離れるのは当然の判断。武道の経験があったり腕っぷしが強いとか身体が大きいとかの理由で下手に立ち向かって命を落とすより懸命だったと思うので堂々とするべきだと思いますが、実際に中傷されたらこうなってしまうかも知れません。
     衝撃的な内容でしたが、流石に降田天だと感心する見事なストーリーでした。

     中山七里さんの祝祭のハングマンもなかなか衝撃的な内容でも満足度の高い作品でした。
     今、世間を騒がせている闇バイトをテーマにする作品も出そうな気がします。

    1. ライオンまる より:

      事件関係者のその後に注目する手法が新鮮で、面白かったです。
      オカルト寄りの描写には賛否両論あるようですが、私は好きですね。
      不可思議な現象のおかげで、和宏やユウが最悪の一歩を踏み出さずに済んで一安心。
      千穂夫婦のその後も知りたいです。

      「祝祭のハングマン」、いつ図書館入るのかなぁ・・・
      私は宮部みゆきさんの「百物語シリーズ」最新刊をやっと読了しました。
      登場人物達の環境がどんどん変わっていき、今後が楽しみであると同時に、どこかで落とし穴がないかちょっと不安です。

  2. しんくん より:

     百物語2冊目読んでます。
     おちかが続いて登場して悩み相談のように関わっていく形態が面白いです。
     1冊目に登場したおたかが正気になり、平どんに友達が出来てと思ったら船頭になる話は下町人情たっぷりでした。
     ただ3作目のお隣の針問屋の娘・お梅さんの家の家庭事情はこれこそ百物語だと思いました。
     ますますハマりそうです。
     秋吉理香子さんの「息子のボーイフレンド」そろそろ届きそうで楽しみです。

    1. ライオンまる より:

      「百物語シリーズ」、面白いですよね!
      基本的に人情味ある話が多いのですが、大体一巻に一話、心底ゾッとさせられる話、何の救いもない話が収録されているところも魅力です。
      「息子のボーイフレンド」、感想を楽しみにしています。
      私は新津きよみさんの新刊の順番待ちをしているところです。

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