創作の世界には<パスティーシュ>という用語があります。これは一言で言うと、作風の模倣のことです。似たような用語に<オマージュ>があり、実際、日本では厳密な区別はない様子。ただ、色々なパスティーシュ作品、オマージュ作品を見る限り、前者は先行する作品の要素がはっきり表れているのに対し、後者は作家が先行作品を自分なりに読み取った上で作品化するので、「え、〇〇(作品名)のオマージュなの?」とびっくりさせられることが多い気がします。
パスティーシュとして真っ先に挙がるのは、清水義範さんの作品でしょう。作家歴四十年以上ということもあって著作は多いのですが、私的イチオシは英語教科書(!)のパスティーシュ作品『永遠のジャック&ベティ』。学生時代の英語教科書を読み、登場人物達の会話に対し「なんでこんな不自然な喋り方をするんだろう?」と思ったことがある方なら、間違いなく爆笑すると思います。それからこれも、粒揃いの傑作パスティーシュ短編集でした。久坂部羊さんの『芥川症』です。
こんな人におすすめ
古典作品のユーモア・パスティーシュ小説が読みたい人

暦の上では秋になり、店先に並ぶファッションアイテムも秋を意識したものが増えました。とはいえ、気候はまだまだ夏そのもの。半袖シャツも、帽子も、キンキンに冷えた飲み物も、当分手放せそうにありません。
どんな物事であれ、最初の一歩は大事です。最初の外食、最初の登校、最初のデート、最初の出勤・・・結果が成功するにせよ失敗するにせよ、その人にとって印象に残る出来事であることは間違いありません。
近年、インターネット文化の発展ぶりは目を見張るものがあります。世に現れた当初は<調べ物をするのに役立つシステム>程度の扱いだった気がしますが、今やテレビや新聞、電話などに取って代わる勢いです。特に<技術があれば一般人でもテレビのような作品を作れる>という点から、ネット動画の数は日に日に増える一方。私自身、いくつか贔屓にしているチャンネルがありますが、中にはテレビ以上の企画力や構成力を感じるものもあって驚かされます。
どんな物語にも、必ず主人公ないし主人公格の登場人物が出てきます。となると、膨大な数の主要登場人物が存在するわけで、必然的に彼らのキャラクターも多種多様なものになります。読者の共感を集め、感情移入され、エールを受けながら自分の人生を生きる主人公もいるでしょう。私の場合、これまで読んだ小説で一番応援した主人公は、小野不由美さん『十二国記シリーズ』の陽子。人目を気にするいい子ちゃんだった陽子が、異世界で心身ともにズタボロになりつつ、必死で足掻く姿に感情移入しまくりました。
私はこの十年ほど日記をつけ続けています。日付、天気、その日の出来事と食事のメニューを書いた数行程度のものですが、後日、過去の記憶が曖昧な時に振り返ることができて便利ですよ。たまに昔の日記を読み直してみると、「あ、そういえばこんなことがあったっけ」「私、五年前と同じことしてるじゃん」等々、色々と思うところがって面白いです。
先日、<ジェントルゴースト・ストーリー>という言葉を知りました。意味は<優しい幽霊の物語>といったところでしょうか。人を祟ったり呪ったりしない、心優しい幽霊が出てくるほのぼのストーリーを指すそうです。こういう幽霊のことを、怪談研究家の東雅夫さんは<優霊>と訳したそうですが、実に名訳だと思います。
物事には何でも<王道パターン>というものがあります。小説もまた然り。困窮した女性が王子様と巡り会うシンデレラストーリーや、正義のヒーローが巨悪を倒す勧善懲悪ものは、古今東西、数多く存在します。こうした王道物語は、結末が読者の期待を裏切らないこともあり、多くの人々に支持されてきました。
<ボランティア>の語源は、十字軍結成の際、神の意思に従って従軍した志願兵のことだそうです。現在でも、自ら進んで軍人となった志願兵のことを<ボランティア>と呼ぶことがあるのだとか。現代日本でこういう使われ方をすることはまずありませんが、<自分の意思で公共性の高い行動に参加する>という点では共通していますね。
少し前から<親ガチャ>という言葉を聞くようになりました。これはカプセルトイやソーシャルゲームのアイテム課金方式の<ガチャ>になぞられた言い方で、<どんな親の元に生まれるか、事前に自分で選ぶことはできない>という意味だとか。「甘えだ」「責任転嫁に過ぎない」という非難もある一方、DV等に苦しんで育った人達からは賛同を得ているようです。