幸せになること。それは恐らく、人類共通の願いでしょう。理想とする形こそ違えど、人は誰しも幸せになるために泣き、笑い、失敗と成功を繰り返しながら生きています。
ですが、ある人にとっての幸せが、他の人間にとっても幸せであるとは限りません。良かれと思って取った行動が、他人にしてみれば無価値・・・どころか不幸の原因になることだってあり得ます。この作品を読んで、私は「幸せって何だろう」と考えさせられました。ジュブナイル作家としても有名な青木祐子さんの『幸せ戦争』です。
資産家の家に育った妻と覆面作家だと噂される夫が住まう仁木家。仁木夫妻とは昔馴染みの間柄であり、活動的な妻が一家の中心である能生家。ご近所付き合いを好まない、共働きの高井戸家。夢にまで見たマイホームを手に入れて引っ越してきた氷見家・・・・・前庭を共有して暮らす、四つの家庭。一見平和そのものに思えた暮らしが、些細なズレから不協和音を奏で始める。戸惑いや苛立ち、不毛な争いを乗り越えて、果たして彼らは幸せを掴むことができるのか。
ご近所トラブルを扱った小説はたくさんありますが、その多くは、作中で大事件が起こります。対して本作では事件らしい事件は起こらず、人が死んだり怪我したりということもナシ。冬にはクリスマスツリーを飾り、妻同士でお茶をし、合同でバーベキューをやり・・・・・そんな和やかな出来事の中で各自のエゴがぶつかり合い、幸せだったはずの暮らしがひび割れていくのです。
「氷見麻衣花ーあたしの星はママの星」・・・引っ越してきたばかりであり、四軒の家の中では新参者の氷見家。良くも悪くも少女のような母・朝子は、他の三軒の家と楽しいご近所付き合いをしようと必死だ。娘の麻衣花は、そんな母を愛しつつも困惑させられてばかりで・・・
妻であり母である朝子のキャラが最高に鬱陶しい!「周りに大事にしてもらうため、辛くなくても辛いと言う」という哲学の持ち主で、夫や娘を振り回しているのに気付く気配もなし。にもかかわらず、多感な思春期の娘がグレもせず、半ば諦めつつ母親をフォローする様子が妙に現実的でした。
「仁木多佳美ー永遠の初恋」・・・地主の家に生まれた多佳美は、息子が小学生になった今もなお、夫の陽平に恋をしている。作家志望の夫に尽くし、快適な執筆環境を提供することが妻の役目。たとえそのせいで、夫が人気覆面作家の正体だと周囲に誤解されたとしても・・・
「生活力のない夫を支えるお嬢様育ちの妻」という、ある意味でありがちな設定の仁木家。面白いのは、仁木家の場合、妻がその状態に満足しており、「永遠にこの時が続いてほしい」とまで思っている点でしょう。「イケメン夫との満ち足りた生活」という幸福像を守るため、ニートである陽平が、人気覆面作家の正体だと周囲に思わせる多佳美には、狂気めいたものすら感じました。
「高井戸想子ー透明なグラスの底」・・・穏やかに暮らしていくため、ご近所とは適度な距離感を持って付き合おうとする想子。想子の料理を大喜びで食べる夫と成績優秀な息子を持ち、満ち足りた生活を送っている。だがある日、あれほど厭うていたご近所付き合いを通し、一つの疑念を抱く。実は私の夫ってもしかしたら・・・
前のエピソードに出てきた二人の女性が、どちらも夫に依存するタイプだったのに対し、この話の主人公である想子は優良企業で働くキャリアウーマン。「平凡が一番」という信条の持ち主で、健啖家の夫と秀才の息子との暮らしに満足しています。トラブルを避けるため深いご近所付き合いをせず、控えめに生きていたはずの想子の心にさざ波が立つのは最後の最後。私には一見地味なようなこの出来事が、一番破壊力があるように思えました。確かにそれはショックかも・・・・・
「能生美和ー狭間の庭に咲く花は」・・・昔馴染みの仁木夫妻と、今なおご近所として付き合い続ける美和。昔、多佳美と陽平を引き合わせたのも美和だ。大事な友達である多佳美を助けるのが私の務め。たとえ人に言えない手段を使ったとしても・・・幸せな生活のため、美和が踏み越えた最後の一線とは。
女友達あるあるネタ満載のエピソード。育ちも容姿も良い多佳美を妬みつつ、離れることができない美和の心理描写が生々しかったです。この手の話にしては珍しく、旦那さんがいい人だという点も印象的でした。すぐ側にある幸せに気付けば、美和の人生はもっと豊かなものになるんだけどなぁ。
「氷見朝子ー哀しみのリトルガール」・・・人から守られ、庇われ、大事にされることこそが朝子の幸せ。新居で満ち足りた生活を送る朝子だが、仁木家の桜の木の枝が切られたことから、幸福に影が差すようになる。平和な住宅地でそんな陰湿な事件が起きるなんて。不安に慄く朝子に、衝撃的な一言が突き付けられ・・・
第一話に続き、朝子のウザさが全開です。いい年してめそめそするんじゃない!と一喝したくなること必至。でも、何だかんだ言って、朝子みたいなタイプって一番幸せなのかも・・・「あまりに鈍感で人の気持ちを考えられない」って、ある意味、幸福になるための一要素ですよね。そんな朝子を受け入れている夫と子どもの器が大きすぎます。
「仁木陽平ー聖戦の女神」・・・作家として芽が出ず、仕事にも就かず、妻のお膳立て通り覆面作家らしく振舞い続ける陽平。いつか状況は変わるはず。そんな願いも空しく、陽平を置き去りにして周囲だけ変わっていく。そして四家族合同で行われたクリスマスパーティーの夜、各々の不満が爆発し・・・
本作の中で唯一、男性が主人公の話です。この主人公・陽平は、はっきり言ってろくでなし。現状に不平ばかりこぼし、何一つ行動しようとしません。そして、彼の目線で物語が語られることで、これまで出てきた女性たちが身勝手ながらも行動し、幸せになろうと努力していたことが分かります。陽平に向けられる、「みんな、幸せになるために戦っている」という言葉が胸に突き刺さるようでした。
「野々山詩織ー幸せになるために」・・・中古住宅を買い、新生活を始めようとする野々山家。仕事は順調だし家族も元気。大丈夫。新しい家を手に入れたことで、これからもっともっと幸せになれるはず・・・
エピローグ代わりの短い一話。四家族の中の一つが引っ越し、その後に入って来た野々山家の主婦・詩織が語り手です。快適そうな家に、感じの良いご近所さんたち。これからの生活を思い、期待で胸を膨らませる詩織に、何やら不穏なものを感じざるを得ません。彼女の「絶対に幸せになる」という決意がずっしりと心に響きます。
大人の見栄と欲望が渦巻く本作の中で、救いは子どもたちが全員まっとうということでしょうか。それも、漫画になりそうな「いい子」ではなく、親の悲喜こもごもを見てきた故の賢さである辺り、なんともリアリティを感じます。けっこうどろどろした諍いもありますが、不思議と読後感が悪くないので、イヤミスが苦手という方にもお薦めですよ。
節度ある付き合いができんのかい度★★★★★
これってハッピーエンド?それとも・・・度★★★★☆
こんな人におすすめ
ご近所トラブルを扱った小説が読みたい人
かなり複雑で読み応えがありそうなイヤミス作品ですね。
4つの家庭の様々な事情~短編集のような独立したストーリーでありながら繋がっている文章が興味深い。読んでみたいですね。
初読み作家さんでしたが、私のツボにハマるご近所ドロドロ小説でした。
大事件があるわけではなく、あくまで日常の範囲内での愛憎劇というところにリアリティを感じます。
他の著作も追ってみたくなりました。