読破した小説の量が多くなってくると、「一場面だけ覚えているんだけど、タイトルと作者名が思い出せない」「あの台詞が出てくるのって、どの作品だっけ」などということが起こり得ます。私の場合、こんなことは日常茶飯事。一番読書量が多かった十代の頃、タイトルをしっかりチェックしないことがしばしばだったせいでしょう。
こういう時、該当の作品を探すには、インターネットが役立ちます。台詞や主人公の名前を憶えていれば、Googleなり何なりで検索することでヒットするケースが多いです。先日、この作品も同様のやり方で見つけ出せました。若竹七海さんの『船上にて』です。
こんな人におすすめ
皮肉が効いたイヤミス短編集が読みたい人
かつて思いを寄せた女性の死から浮かび上がる悲しい真実、歪んだ愛憎劇の果てに待つ残酷な結末、窮地に陥る語り手が閃いた起死回生の一手、一冊の本が導く封印された過去、業深き男の死を巡って交錯する思惑の行方、死んだ幼馴染ゆかりの地で見た奇妙な影・・・・・人は、これほど愚かなものなのか。底知れぬ悪意の顛末を描く、八つのイヤミス短編集
久しぶりの若竹作品でした。最近、真梨幸子さんのねっとりドロドロしたイヤミスを再読し続けていたので、若竹七海さんのドライなブラックさが逆に新鮮。この淡々と冷えた悪意の描写、癖になるんですよ。
「時間」・・・五十嵐洋子が死んでいた。かつて思いを寄せた、あの女が---――突然知らされた事実に、驚きを禁じ得ない静馬。洋子は数年前の交通事故で母親を失い、自身も半身不随となって車椅子生活だったという。状況からして、洋子は自殺の可能性が高い。障碍を負いながらも力強く生きていた洋子だが、あるきっかけを境に、一時的に様子がおかしくなったそうで・・・・・
前述した、インターネット検索により作品名を思い出したのが、この話です。ラスト一行、静馬の回想に出てくる洋子の台詞がすごく印象的だったのですが、改めて読み返してみると、記憶していた以上に痛ましくやりきれなくて・・・肉親と健康な体を失い、それでも前向きに生きていた洋子が味わった苦悩を思うと、胸が締め付けられるようでした。車椅子という設定を活かしたトリックも巧みです。
「タッチアウト」・・・意中の女に付きまとって自宅にまで侵入し、反撃されて昏睡状態に陥ったストーカー。目を覚ました彼は、自身を受け入れない女への憎悪をたぎらせる。俺がこれだけ想っているのに、なぜ応えようとしないのか。おまけに、彼女は結婚を決め、遠くへ引っ越すつもりらしい。そうはさせじと、男は再びの襲撃を試みて・・・・・
ストーカーの身勝手さや、ストーキングに怯える被害者の描写が生々しく、ずっと手に汗を握っていました。心理サスペンスかと思いきや、しっかりトリックのある短編ミステリーだったことも嬉しい驚きです。この短編集全体に言えることですが、ラスト一行のキレの良さが秀逸でした。
「優しい水」・・・会社の屋上から突き落とされ、ビルとビルの境目で意識を取り戻した主人公。なぜ私がこんな目に?もしかして、あの一件を探ったことが原因なのか。いずれ救助されるだろうが、この状況では、今覚えている情報を忘れてしまうかもしれない。身動きが取れない中で救助を待つ間、主人公は犯人に関する手がかりを書き記そうとするのだが・・・・・
ヒューマンドラマっぽいタイトルと、あまりに救いのないラストの落差がショッキングでした。転落した主人公の一人称による語りが、やけにのんきであっけらかんとしていた分、その末路を思うとやるせなくて仕方なかったです。このシチュエーション、映像にしても面白そうだけど、実写でこんな展開を見せられたら胸糞悪さ倍増だろうな・・・
「手紙嫌い」・・・志逗子は昔から大の手紙嫌い。しかし、どうしても手紙を書かなければならない状況となったため、古本屋で偶然見つけた手紙文例集を利用しようと決める。参考になりそうな文例を探していた志逗子は、あるページを見た瞬間、仰天した。その文例は、昔、自殺した祖父が遺した遺書とそっくりそのまま同じ文面で・・・・・
やたら個性的な手紙文例が続き、これがどんなミステリーになるのだろうと思ったら・・・そう来たか!!偶然の積み重ねにより、生涯に渡るトラウマを背負ったであろう志逗子が気の毒で仕方ありません。この短編集の中では珍しく、明確な悪意を持った人間が一人もいないことが、なんとも皮肉です。それはそうと、犯行予告だの脅迫状だのの文例が載ったマニュアル本、ちょっと見てみたい気もします。
「黒い水滴」・・・<私>の元夫・斉藤が死んだ。<私>の前にいた四人の妻は次々事故死し、黒い噂の絶えなかった斉藤。これを機に、<私>は斉藤の娘であり、一時期は義理の親子として過ごした渚を引き取ろうと考える。その矢先、斉藤の現在の愛人が転落死を遂げた。どうやら、その殺人容疑が渚にかかっているらしいのだが・・・・・
ザ・若竹節!と言える、心の闇の恐ろしさ全開の話でした。<私>の語りが淡々としている分、そこでもつれ合う各自の企みが怖いこと怖いこと・・・一旦解決したと見せかけて、さらに一ひねりしてある構成も非常に好みでした。なお、ここで登場する一条刑事は、連作長編『製造迷夢』の主人公です。短編集『バベル島』収録の「人柱」にも出てくるし、若竹七海さんのお気に入りなのかな。
「てるてる坊主」・・・不審な自殺を遂げた幼馴染・輝男の死の謎を追うため、現場となった旅館を訪れた広美。輝男は、この旅館の裏にある竹藪で首を吊ったのだ。そこで広美が見た、奇妙な影。それは、真っ白な人の顔のように見えたのだが・・・・・
イヤミスやホラー作品で<てるてる坊主>というキーワードが出てきた場合、吊られた人間の体を連想する人は少なくないと思います(ですよね?)。この話も例外ではなく、首吊り自殺を遂げた男性が出てきますが、そこで終わらずラストにもタイトルが繋がる展開がお見事でした。当時の光景を想像すると、滑稽というか無慈悲というか・・・水面下で繰り広げられていた、幼馴染男女三人の三角関係がなんとも哀れです。
「かさねことのは」・・・カウンセラーを生業とする友人・春日のもとを訪れた<私>。春日は<私>に八通の手紙を見せてきた。「時系列はバラバラだが、この手紙には五人の人間が登場する。その中の二人は死亡。彼らの間で一体何が起こったか、当ててみろ」。<私>は言われるがままに手紙を読み始めるのだが・・・
これまでの六話がサイコサスペンスやイヤミス寄りだったのに対し、この話は本格ミステリーとしての雰囲気が強いです。その分、人の悪意にゾッとさせられるような若竹七海ワールドを想像していると、ちょっと肩透かしかもしれません。逆に、書簡タイプの推理ものが好きなら、きっとハマることでしょう。このトリック、私はまったく気づかなかった!
「船上にて」・・・主人公は豪華客船での船旅の最中、元宝石商だという紳士・ハッタ―と意気投合。ハッタ―は若い頃、宝石盗難事件で冤罪をかけられたことがあるという。語り合っているところへ、ハッタ―の甥が駆け込んできた。曰く、出航前に入手した<ナポレオンが三歳の時の頭蓋骨>を盗まれたらしいのだが・・・・・
<ナポレオンが三歳の時の頭蓋骨>って何やねん!と関西弁で突っ込んでしまいたくなりますが、ご安心を。表題作にふさわしい、手堅い構成の王道ミステリーでした。実在の作家O・ヘンリーが絡んだ展開、とても面白かったです。若竹七海さんは『海神の晩餐』『名探偵は密航中』でも豪華客船内のミステリーをテーマにしているので、きっと思い入れのある設定なんでしょうね。
若竹七海さんは、決して多作なタイプの作家さんではありませんが、三月に『葉村晶シリーズ』の新作が五年ぶりに刊行されました。大好きなシリーズなので、新作を読むことができて嬉しい限り。この勢いで、本作のようなノンシリーズ短編集もまた出してほしいものです。
ユーモラスに描写された悪意がたまらなく怖い度★★★★★
もしかして、『葉村晶シリーズ』の原型?度★★★★☆