はいくる

「来なけりゃいいのに」 乃南アサ

昔から、雑誌の読み物ページにある小説紹介コーナーや、本屋のPOPを読むのが好きでした。あの手の紹介文って、短いながらビシッと決まった名文が多いんですよね。がっつり長いレビューとはまた違う面白さがあって、ついつい見入ってしまいます。

そんな紹介文が高確率で載っている場所、それは本の巻末です。特に文庫本には、同じ出版社から刊行された新刊や人気本の紹介文が掲載されていることが多いため、時には本編より先に読んでしまうことさえあります。このコーナーのおかげで、面白い作品の存在をたくさん知ることができました。そういえばこの作品も、別の文庫本の巻末に載っていたことがきっかけで知ったんですよ。乃南アサさん『来なけりゃいいのに』です。

 

こんな人におすすめ

女性目線のサイコサスペンス短編集が読みたい人

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虚飾をはぎ取られた女が踏み出す禁断の一歩、募りゆく鬱憤を爆発させた最後の一滴、夢に狂わされていく男と女の愛憎劇、職場の秘密を知ってしまった女を待つ意外な運命、一つの花束があぶり出す少女の胸中、奇妙な噂から浮かび上がる恐ろしい真実、嫉妬と焦りに囚われる女が見た驚きの一幕・・・・・日常に潜む様々な罠を描くサスペンス短編集

 

本作が刊行されたのは一九九七年。大手銀行や証券会社の破綻が続いた上、消費税も上がり、景気が大打撃を受けた年です。そのせいか、各話の主人公達(第五話を除いて、全員勤め人)の仕事に対するスタンスはなかなか真面目で、一昔前の<腰掛け>感は少ないです。にもかかわらず、ありふれたつまずきからとんでもない事態に陥っていく彼女達の姿は、愚かであり哀れでもありました。

 

「熱帯魚」・・・つまらない職場から、憧れのアパレルメーカーに転職した響子。さぞきらきらした日々を送れるだろうと思いきや、任されるのは仕事とも言えないような下働きばかり。大見得切って転職した手前、女友達に真実は話せず、華やかなOL生活をでっち上げる。だがある日、友達に嘘がバレてしまい・・・

単調なルーチンワーク大好きな私としては、響子の境遇がむしろ羨ましいんですが・・・彼女が望んでいたのは、アパレル業界で華麗に活躍することだったのでしょう。話を盛ってしまう気持ちは分からなくもないし、わざわざ職場を見に来る女友達もどうなんだろ?と思ってしまいます。最後、引き返せない一歩を踏み出しながら、妙に穏やかな響子の述懐にゾッとさせられました。

 

「最後のしずく」・・・心身共に負担の多い職場、可愛げのない子ども、自分を引き立て役と見做す女友達。幼稚園教諭の幸恵の毎日は、ストレスが溜まることだらけだ。おまけに、憎まれ口ばかり叩く園児の父親が、昔の恋人だということを知ってしまい・・・・・

性質としては、幸恵を見下し軽く扱う女友達の方が悪質なのでしょうが、それよりも小生意気な園児の方が憎らしくて仕方なかったです。堂々と幸恵をブス呼ばわりし、注意されても反省もしないなんて、どういう教育したらこうなるんだ(怒)最後、ついに爆発してしまった幸恵が、取り返しのつかないことになっていないといいのですが・・・

 

「夢」・・・有名サロンで美容師として働く美和の夢は、いつか結婚したら地方でこぢんまりとした店を持つことだ。同業者の恋人ができたことで、夢は現実味を帯びていく。一方その頃、美和の後輩・文也は同僚の女性美容師から一方的に好意を寄せられていて・・・

「占いで相性ばっちりだったから」という理由で文也に接近しまくる女、すごくヤバそう・・・と見せかけて、ラストでもう一ひねりある展開がお見事でした。うーん、まさか本丸がそちらだったとは。この話の美和は、本作の主人公達の中でも一番真っ当で誠実な人物なだけに、こんな事態に巻き込まれてしまったことが気の毒で仕方ありません。今後、恋人と支え合えるといいな。

 

「バラ色マニュアル」・・・里佳の勤め先は、業界大手のカラオケ会社。職場に恵まれ、楽しく働いていた里佳だったが、ある時、会社が業務にサブリミナル効果を使っていることを知ってしまう。里佳はスパイ気分で秘密を探っていくのだが・・・

職場で苦労するヒロインが多い中、里佳は間違いなく一番能天気です。その能天気さで、会社のとんでもない秘密に行きついてしまうところが、妙にリアルというか何というか。最後までウキウキ気分でいた里佳ですが、この先、抜き差しならない状況になりそうでちょっと心配です。楽しい職場で満足しておけば良かったのに・・・

 

「降りそうで降らなかった水曜日のこと」・・・中学校の体育館の傍に置かれた、一つの花束。その存在が、校内に波乱を巻き起こす。まさか、誰か死んだのではないか。噂の標的にされた女生徒は姿を消してしまい、まゆは慌てて探すのだが・・・

収録作品中唯一、ティーンエイジャーが主人公を務めます。そのせいか、他の作品より一層寒々しく救いがないように感じました。この話以外の主人公達はもう大人だから、自力で真っ当に生きていく責任があるけれど、まゆはまだ子ども。その子ども心に付け込もうとする大人の存在に、心底うんざりさせられました。

 

「来なけりゃいいのに」・・・もしかして、あの人って多重人格なんじゃない?突如として人が変わったような態度を取る女子社員を巡って、社内に噂が駆け巡る。同じ頃、智子の恋人に転勤の辞令が下った。このまま遠距離恋愛になってしまうのか。不安になった智子は姉妹に相談することにして・・・

オチ自体は、割と簡単に予想できると思います。ただ、そこに至るまでの構成が相変わらず巧みで、「たぶん、こうなるんだろうな」と思いつつも楽しむことができました。輪から外れたことをしたら、あっという間に噂になってしまう空気の描写も上手いんだよなぁ。本作の主人公達は、どの人も今後が気になるのですが、智子に関しては未来だけでなく過去もかなり気になります。

 

「春愁」・・・パソコン機器に精通した若手社員に気圧され、鬱々とした日々を送るベテランOL・多恵子。だが、上司に後輩達の指導を頼まれたことで、生気を取り戻す。私の経験は必要とされているんだ!張り切る多恵子の前に、今年入社したばかりの新卒OL・愛が現れた。予想外に有能で、めきめき頭角を現していく愛に、多恵子は危機感を募らせるのだが・・・

こういう話の場合、後輩の美人OLは生意気で無礼というのが大体のパターン。ところが「春愁」の場合、愛は有能なだけでなく性格も良く、周囲に煙たがられる多恵子を「何でも知っていて憧れる。ああなりたい」と素直に敬っています。だからこそイラつくという多恵子の気持ち、分からないでもないんですよね。最後にとんだ真相発覚となったけれど、ここで母親のことを思い出せる多恵子には、まだ救いがあるような気がします。

 

ジャンルとしてはサイコペンス・イヤミス寄りなのでしょうが、乃南アサさんの短編集にしては人死にが少ないです。主人公達も、一部を除くと人生を立て直せる余地があるので、後味最悪というほどではありません。前回読んだ『風紋』『晩鐘』が、名作ながらとにかく重かったので、いい口直しになりました。

 

人の嫌らしさの描写が秀逸すぎる度★★★★★

一歩間違えたら、誰しもそちら側に行ってしまうかも・・・度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

     イヤミスとは違う女性のサイコサスペンス~歴史を辿る「六月の雪」「水曜日の凱旋」やドラマにもなった「ウツボカズラの夢」が印象的です。
     「バラ色マニュアル」が面白そうです。
     救いを残したサスペンスは重たくても読みやすく読後感も良いですね。
     逢坂冬馬さんの「ブレイクショットの軌跡」読み終えました。
     宮部みゆきさん並みの大長編でした。
     「同士少女よ、敵を撃て」「歌われなかった海賊たちへ」のような深緑野分さんの「戦場のコックたち」「オーブランの少女」「ベルリンは晴れているか」など第二次世界大戦の状況を描いた内容とは違いますが読み応えのある作品でした。
     櫛木理宇さんの「ふたり腐れ」届きました。
     読みたい本は次々に届きますが、ペースが上がらないです。
     期限が来るまでに読み終えたいです。

    1. ライオンまる より:

      再起不能な目に遭う主人公は少なく、イヤミスの中では比較的軽めの部類だと思います。
      乃南アサさんの短編ってやっぱり面白いなと再認識しました。
      「ふたり腐れ」の感想も楽しみにしていますね。
      こちらには、深木章子さんの「闇に消えた男」がもうすぐ届きそうです。

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