<手紙>という文化が成立したのは、中国、漢の時代だそうです。当時は木札に文章を書いていたんだとか。日本でも、平安時代には貴族が紙に文字を書いてやり取りを交わしています。直接相手と対面せずともコミュニケーションを取れる手紙は、かつて、何より大事な伝達手段だったのでしょう。
現代には、電話はもちろん、メールやSNS、Skypeといった様々なコミュニケーションツールが存在します。どれもこれも、利便性という点では手紙を上回るかもしれません。ですが、手紙という存在が消えることはないと思います。直接手で文章を作り、相手とやり取りする。そんな手紙でしか伝えられない思いもあるからです。今回取り上げるのは、深木章子さんの『欺瞞の殺意』。手紙の特性を活かした精緻なミステリーでした。
こんな人におすすめ
二転三転するミステリー小説が読みたい人
昭和四十一年、何の罪もない母と子が無残な死を遂げた毒殺事件。被害女性の夫であり、被害児童の養父でもあった男が逮捕され、事件は解決した-----はずだった。それから四十年以上の時を経て、仮出所した男は、旧知の人物に手紙を出す。「わたしは犯人ではありません。あなたはそれを知っているはずです」。手紙が交わされるにつれ、次々浮かぶ新たな犯人像。その果てに起こる異様な死。これらが意味するところは一体何なのか。謎に満ちた毒殺事件の真相とは果たして・・・・・
深木さんは<悲惨な殺人事件が起こり、被害者の身内が容疑者となる>という設定を『敗者の告白 弁護士睦木怜の事件簿』『殺意の構図 探偵の依頼人』でも使っています。にもかかわらずマンネリ感が皆無なのは、どれも物語の骨子がしっかりしている上、切り口が斬新だからでしょう。本作の場合、ポイントとなるのは<すでに容疑者の刑は確定し、四十年以上の年月が経過した>という点。よくもまあ、共通する設定でこれだけ目新しい物語を作り出せるなと、改めて感服させられました。
物語の発端は、昭和四十一年。有力者一族の当主が病死し、関係者を集めて法要が営まれます。そこで、新当主の妻と幼い息子(養子)が毒殺されるという事件が発生。捜査の末、容疑者とされたのは、被害者の夫であり養父でもある楡治重でした。当初は否認していた治重ですが、間もなく罪を認めて出頭し、無期懲役の刑が確定します。それから約四十年後、仮釈放され出所した治重は、亡くなった妻の妹である橙子に手紙を出します。二人は義理の兄妹という間柄ながら、かつて密かに愛し合った仲でした。手紙に「私は犯人ではない。あなたはそれを知っているはず」と綴る治重。では、あの毒殺事件の真犯人は一体誰なのか。年老いた二人は手紙を交わし、事件に対する各々の見解を述べ合います。ですが、この手紙は、後に新たな死を呼ぶことになるのです。
こういう<交わされる文章や証言の中から真実が浮かび上がる>という構成は、深木さんの十八番。事件発生から長い年月が流れ、関係者の多くは他界しているにも関わらず、彼らの人となりが自然と浮かんでくる描写力はさすがですね。冒頭、昭和四十一年の毒殺事件の場面は、横溝正史並に人間模様が複雑ですが、どうかご安心を。ちゃんと頭に登場人物紹介のページがあるため、混乱せず読むことができると思います。
本作の大部分を占めるのは、毒殺事件の犯人として服役し、仮釈放された楡治重と、その義妹である橙子が交わす手紙です。手紙の中で治重は「自分は犯人ではない。死刑が怖くて罪を認めたが、犯人は他にいる。何度も再審請求したが叶わなかった」と訴えます。では、真犯人は誰なのか。二人は推理を組み立て、真相を明らかにしようとします。この時の「Aが〇〇というトリックを使って殺害を実行したに違いない」「いえ、それは~という事情で不可能なのです。本当はBが××という方法で事件を起こしたんでしょう」というやり取りがものすごく緻密でスリリングなんですよ。文通が進むごとに事態がひっくり返り、新たな真実が判明する展開にハラハラしっぱなしでした。
ここで重要なのが、治重と橙子のやり取りが電話でもメールでもSNSでもなく手紙で行われているという点です。このご時世、のんびり文通を交わすとなると違和感が生じそうなものですが、二人は共に七十前後の高齢者。おまけに治重はつい最近まで服役しており、現代のコミュニケーションツールに疎い身です。必ずタイムラグが発生する手紙で連絡を取り合っていても、誰も不思議には思いません。実はそこに本作の決め手となる仕掛けが施されていたなんて。なるほど、これは手紙でなければ成立しないなと、読了後に唸らされること必至です。
また、深木さんは作品に何らかの法律的要素を取り入れることが多いですが、本作では仮出所のシステムや服役囚の生活について詳しく触れてあります。私は特に前者についてよく知らなかったので、無期懲役囚の仮出所の難しさに驚きました。本当に罪を犯した者が何十年も刑に服するのなら自業自得ですが、約四十年もの歳月を刑務所で過ごした治重が本当は無実だったとしたら・・・?その長さを思ってゾッとすると同時に、それだけの年月があったからこそ本作の謎が生まれたんだなと納得しました。後味が良いとは言いかねる上、さらりと読めるような内容でもありませんが、じっくり腰を据えて本の世界に没頭したい時にはぴったりの一冊だと思います。
真相が分かっても、四十年はあまりに長い・・・度★★★★★
推理劇ではなく復讐劇だったのね度★★★★☆
メールやSNSの時代だからこそ手紙によるメリット、手紙ならではの特徴を活かした作品が印象に残ります。湊かなえさんの往復書簡や贖罪はその最たるものでした。
毒殺・服役という言葉で「帝銀事件」をイメージしましたが、それとは違った事件の背景も興味深いです。
服役囚の生活の様子、仮釈放の定義などミステリーで読んできましたが法律家としての詳しい説明もあるようで読んでみたいです。深木章子さんの濃厚な内容のミステリー~なかなか辛辣な内容で重たいと感じますが惹きこまれます。
手紙というツールのメリット・デメリットを上手く活かしたミステリーでした。
深木さんの作品はイヤミス寄りのものが多いですが、「40年の月日を失った」という意味で、本作の後味の悪さは際立っていたと思います。
この方には今後もこういう路線で執筆し続けてほしいです。