人間が一番無防備になる時、それは肌を見せる瞬間だと思います。それゆえ、基本的に着替えは人目につかない場所で行うものですし、捕虜やスパイに対する精神的拷問として、裸で行動させるというものもあるのだとか。すべての服を取り払って裸になるという行為は、それだけ禁忌だという意識が強いのでしょう。
しかし、時に人は、わざわざお金を払ってまで人前に肌を晒すことがあります。それは、エステサロンに行く時です。場合によっては全裸になってマッサージや脱毛処理をしてもらうわけですから、理解できない人にとってはもはや苦行の域かもしれません。ですが、そのために大枚をはたく人達がいることもまた事実。今回取り上げるのは、エステを舞台に繰り広げられる人間の欲望劇を描いた作品です。永井するみさんの『ビネツ』です。
こんな人におすすめ
美容業界での愛憎劇に興味がある人
美を求める心に限りはあるのだろうか--―――オーナー自らのスカウトにより、高級エステサロンで働き始めたエステティシャン・麻美。当初は穏やかにやっていこうと心がけていた麻美だが、自分の腕がかつて店にいた天才エステティシャンと酷似していると評され、野心が芽生える。そんな彼女を取り巻くのは、エステティシャンとしての腕を失ったオーナー、麻美に嫉妬心を募らせる同僚、年の近い同僚と張り合うOL、トップを目指して戦うキャバクラ嬢ら、多くの女たち。そして、自らと似ているらしい天才エステティシャンが不審な死を遂げていることが分かり・・・・・美を追求する世界で繰り広げられる、濃密なサイコミステリー
人がエステに求めるものは、恐らく二つ。肉体の美しさと、精神の安らぎです。マッサージ等の処置を受けることで瑞々しい肌を取り戻し、ストレスを取り除いてリラックスする。それらを与えてくれるエステは、客にとって安らぎの場所であるはず。そこで巻き起こる嫉妬や野心、憎悪などの描写が生々しく、エステシーンの美しさとの対比が印象的でした。
主人公・麻美は、マッサージを得意とするエステティシャン。ある時、高級エステサロン<ヴィーナスの手>のオーナー・京子のスカウトを受け、彼女の下で働き始めます。店にはかつて、サリという名の天才エステティシャンがいましたが、数年前に何者かに殺害されていました。京子や客から「サリの再来だ」と讃えられた麻美は、次第にエステティシャンとしての野心に目覚めていきます。そんな彼女に向けられる嫉妬と羨望の視線。さらに、サリを目指し、乗り越えようと志す麻美を見つめる、もう一つの目。サリが陥ってしまった落とし穴に、麻美もまた落ちてしまうのでしょうか。
ここはネタバレではないと思うので言ってしまいますが、本作のミステリー要素である<天才エステティシャン・サリの死の謎>は、作中でそれほど大きく扱われていません。きちんと真相は判明し、犯人も動機もしっかり書かれているものの、割かれる分量はごくわずか。同じく永井するみさんの長編ミステリー『ダブル』のような真相追及メインの作品を期待していると、少々物足りなく感じるのではないでしょうか。
その代わりに多くのページが割かれているのは、エステサロン<ヴィーナスの手>に関わる人間達の心理戦です。女遊びの激しい京子の夫・安芸津、安芸津と前妻の息子である超美形の柊也、安芸津の愛人のみどり、ライバル意識を抱える女性客やエステティシャン達etcetc・・・絶えず褒められ構われることを必要とするみどりや、天真爛漫とした後輩に嫉妬するキャバクラ嬢のアリシアもなかなかだったけど、個人的にはマウンティングし合うOL二人組、綾乃と舞がインパクトありました。周囲に媚を売り、舞を見下す綾乃はいい人とは言い難いものの、そんな綾乃を内心ボロカスに言いつつファッションや立ち居振る舞いをすべて真似する舞もどうかと思うしなぁ。永井するみさんの、こういう<結局、どっちもどっちだよね>といういざこざ描写、すごく上手いと思います。
逆に、一流エステティシャン目指して邁進する麻美が辛い思いをする場面があまりないのは、少し意外でした。人気を集めていく麻美は同僚に嫉妬され、嫌味を言われたり客に悪評を吹聴されたりするものの、悲惨な感じはあまりしません。たぶん、当の麻美がほとんどブレないせいでしょうね。麻美の視界に在るのは、ただただエステティシャンとして上を目指すこと。嫌がらせに一時的にメゲはしても延々引きずったりしませんし、ひょんなきっかけで関わることになった柊也との恋愛要素もまったくなし。終盤、嫌がらせが高じて<ヴィーナスの手>自体が窮地に立つことになりますが、冷静な判断力で挽回の策を練ります。主人公サイドが変に湿っぽくないので、周囲がドロドロしていてもさっくり読み進めることができました。
強いて言うなら、マッサージの場面が何度も丹念に繰り返されるので、そこに興味が持てないと冗長に感じるかもしれません。逆に、何らかの事情でエステに行きたくても行けない方にとっては、あまりに心地良さげな施術シーンに禁断症状が出てしまうかも?私の場合、残念ながらすぐエステに行く機会はなさそうなので、本作を読み返して我慢しようと思います。
まさか動機がそんなことだったとは・・・度★★★★☆
いい人と悪い人を決めるのは簡単・・・?度☆☆☆☆☆
永井するみさんの作品はかなり読んでいたと思いましたが、これは未読でした。
永井するみさん独特のお仕事小説~業界の事情に深く踏み込んでミステリーとヒューマンドラマを掛け合わせる内容と展開~これはエステ業界を舞台にしているようでイヤミス要素もあるようで楽しみです。
永井するみさんがご在命ならコロナ禍の今をどう描くのか?とふと思いました。
けっこう分量のある作品ですが、中だるみなく一気読みできました。
永井するみさんは心理的な閉塞感を描写するのが上手でしたし、コロナ禍をテーマをしていたら、さぞ面白い作品を書かれたでしょうね。
つくづく早すぎる死が悼まれます。