はいくる

「胡蝶殺し」 近藤史恵

人生において、「趣味は何ですか」と聞かれる機会って意外と多いです。私の場合、そう聞かれた場合の答えは、子どもの頃から「読書です」。その趣味を大人になるまで続けた結果、こういうブログまで始めてしまいました。人間、好きなものについて語ることは楽しいですし、ついつい熱が入ります。

それはプロの世界でも同様らしく、趣味の分野において、面白い作品を書かれた作家さんは大勢存在します。例えば、ボクシング愛好家の百田尚樹さんは『ボックス!』で、将棋ファンである芦沢央さんは『神の一手』で、臨場感溢れる世界観を作り出しました。どちらも、読みながら作者の対象への愛情をひしひし感じたものです。それから、この作品もそうでした。近藤史恵さん『胡蝶殺し』です。

 

こんな人におすすめ

歌舞伎界を舞台にした小説に興味がある人

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主人公の歌舞伎役者・萩太郎のもとにもたらされた、思いがけない依頼。それは、旧知の仲であり、早くに病死した先輩役者・中村竜胆の息子の後見人になってほしいというものだった。自分には重荷だと思いつつ渋々引き受ける萩太郎だが、やがて竜胆の息子・秋司に予想以上の歌舞伎の才があることに気づく。秋司は素晴らしい役者になるかもしれない。もしかしたら、萩太郎の一人息子である俊介よりずっと上の---――少し複雑な思いを抱きつつ、秋司の指導を続ける萩太郎。だが、秋司が急な病にかかったこと、その代役を俊介が立派に務め上げたことで各々の運命が変わり始め・・・・・羽を閉じた蝶は、再び舞い上がることができるのか。歌舞伎界で繰り広げられる、親と子のヒューマンミステリー

 

近藤史恵さんは学生時代に歌舞伎を研究されていただけあり、『探偵今泉シリーズ』『歌舞伎座の怪紳士』等、歌舞伎が重要な役目を果たす作品をたくさん書かれています。その手腕が遺憾なく発揮されたのが本作。平易かつきめ細かく描写された歌舞伎界の人間模様に、あっという間に引き込まれてしまいました。「歌舞伎って、よく分からないなぁ」という人にこそ読んでもらいたいです。

 

主人公は、業界内では中堅と目されている歌舞伎役者の市川萩太郎。ある時、病死した先輩役者の一人息子・秋司の後見人になってほしいと頼まれます。負担の大きい役目ですが、自身も幼い頃に父を亡くした萩太郎は、秋司を見捨てられず引き受けることに。この秋司という少年、わずか七歳ながら歌舞伎の才に溢れ、教えられた技をどんどん飲み込んでいきます。萩太郎には、俊介という秋司と同学年の息子がいますが、こちらが歌舞伎に興味を示さず、どれだけ指導しても上達しないのとは大違い。少し残念な気持ちを味わいつつ、秋司を我が子同様に教え導く萩太郎。いつか、俊介と秋司には、二人で『春鏡鏡獅子』の胡蝶を舞わせたい。そんな夢を持つようになりました。

 

ところが、記念すべき初舞台直前、重要な役を任されていた秋司がおたふく風邪にかかってしまいます。幸い大事には至りませんでしたが、感染症であるため、舞台に立つことは不可能。台詞の多い難役を誰が代わりに演じるのか・・・というところで、白羽の矢が立ったのは俊介でした。実は俊介は驚異的な記憶力を持っており、自分だけでなく共演者の台詞をすべて暗記していたのです。その後、わずかな時間で必死に稽古した結果、俊介の代役は大成功。各所で<神童>とまで絶賛される一方、秋司はおたふく風邪にかかった後遺症で難聴を患ってしまいます。もはや役者の道を進むのは難しいと、歌舞伎界から消えた秋司。そんな秋司を惜しみつつ、どうすることもできない萩太郎。果たして、俊介と秋司の胡蝶は夢のまま終わってしまうのでしょうか。

 

現代日本において、この物語が成立するのは恐らく歌舞伎界くらいのものだと思います。舞台に立てるのは男性のみ。どれだけ資質があっても有力な後ろ盾がなければ生き残ることは不可能。<何らかの事情で本役が休演した場合、例えその事情がすぐ解決しても、代役には三日間その役を務めさせなければならない。三日過ぎても本役の休演が続くなら、以後は代役が本役となる>という不文律。本人の意思がどうだろうと、年齢や生まれつきの体形で役柄が左右されるetcetc。ともすればややこしく感じられそうですが、近藤史恵さんの描き方が丁寧なため、複雑な事情もすんなり理解することができました。

 

そこで繰り広げられる人間模様が、これまた複雑で濃密です。幼いながら重責を担おうとする才児・秋司と、土壇場で意外な才能を開花させる俊介が魅力的なのはもちろんですが、私が一番感情移入したのは萩太郎でした。血の繋がりのない秋司に親身になってやった萩太郎の誠意は、間違いなく本物です。しかし、それは実子の俊介が歌舞伎にまるで興味を持たず、「あの子には歌舞伎役者以外の道もあるかも」と思っていたせいでもありました。そんな俊介に予想以上の資質があり、本人もやる気を出し始めた時、萩太郎の心に葛藤が生まれます。この状況で、果たして自分は俊介と秋司を平等に扱ってやれるのか・・・家と血統を重視する伝統芸能の世界独特の苦悩が生々しかったです。単純に「上手な方にいい役をあげればいいじゃん」という世界じゃないんだろうなぁ。

 

ただ、物々しいタイトルおよび込み入った事情とは裏腹に、本作の読後感はとてもいいです。登場人物に陰湿な人間はいないので、トラブルが起きても安心して読めますし、ラストはちゃんと希望があるものでした。中でも、前半は子ども子どもしていた俊介が、第二部ではさっぱりした快男児に成長していて好感度大!この俊介を見る限り、萩太郎の子育て・弟子育ては大成功と言えるでしょう。

 

ちなみに、中盤で出てくる女形の人間国宝・瀬川菊花は、『探偵今泉シリーズ』にも登場します。大きく絡んでくることはないものの、いかにも大御所らしい存在感があり、物語に彩りを添えてくれていました。こういうゲスト出演もあるということは、今後、別の歌舞伎を扱った作品に俊介や秋司が出てくることもあり得るのでしょうか。今から楽しみです。

 

歌舞伎と人間ドラマの絡め方がお見事!度★★★★★

タイトルの<殺し>とはそういう意味ね度★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

     よく趣味がない、と聞きますが趣味は自分で自覚するものか見つけるものか?と考えます。
     思いつくまま好きなことやっていて趣味だったと感じるのが、読書であり映画であり一人旅でありドライブでした。
     近藤史恵さんは「歌舞伎座の紳士」を読みましたが歌舞伎に興味が深いということを改めて思いました。
     歌舞伎は学生の頃見ましたが退屈だったと思うイメージしかありません。
     良い齢になった今、歌舞伎や能という日本の文化を理解したいと思います。
     この作品は、図書館で何度か目にしました。
     中山七里さんの鑑定人氏家の続編が出るという情報をネットで見たので楽しみにしてます。

    1. ライオンまる より:

      一度だけ歌舞伎を鑑賞する機会がありましたが、同じく、退屈してしまいました。
      ただ、ああいう伝統芸能は、年齢によって感じ方が違うのかも?という気もしています。
      この本自体はとても分かりやすく面白かったですよ。
      こちらは櫛木理宇さんの「逃亡犯と~」が予約順位一位まで来ました。
      今月中には読みたいものです。

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