はいくる

「虜囚の犬」 櫛木理宇

相手の人となりや行動を表現するための比喩として、しばしば動物が用いられます。「ライオンのような雄姿だ」となれば<勇ましく堂々とした態度>、「まるでねずみのような奴」なら<こそこそと卑しい様子>となるでしょう。実際にその動物がそういう性質かどうかは、それこそ個体差もあるのでしょうが、動物が持つイメージというのはあると思います。

では、<犬>はどうでしょうか。犬は忠誠心や家族愛が強く、命を賭して主人を守ることさえある頼もしい存在。反面、強者に服従する性質から、「あいつ、犬みたいに尻尾振りやがって」等、力に屈する態度の喩えとして用いられることもあります。この作品を読んでいる間、私の頭には鎖に繋がれ屈服させられる犬の姿がずっと浮かんでいました。櫛木理宇さん『虜囚の犬』です。

 

こんな人におすすめ

洗脳をテーマにしたイヤミスが読みたい人

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本当に囚われていたのは、一体誰だったのだろう---――男がホテルの客室でめった刺しにされて亡くなった殺人事件。捜査のため被害者宅を訪れた警察は、そこで監禁された女性と、二人分の遺体を発見する。被害者とされた男性・薩摩治郎は、実は加害者でもあったのだ。なぜ薩摩は、かくも残酷な監禁殺人事件を起こしたのか。そんな薩摩を殺したのは一体誰なのか。元家裁調査官の白石は、友人の刑事・和井田から薩摩について知っていることを教えてほしいと頼まれる。薩摩は少年時代、とある刺傷事件に関わっており、退職前の白石が担当だった。和井田の押しに負け、渋々と当時のことを思い出す白石。かつて、薩摩は接見した白石に対し、「ぼくは、犬だ」という言葉を繰り返していて・・・・・繰り返される虐待の連鎖の果てに救いはあるのか。読む者の胸をえぐる、おぞましきサイコミステリー

 

暗く薄汚れた部屋、鉄条網、首輪を付けられぼんやり座り込む女性、彼女の背後に浮かぶ犬の影・・・この表紙だけで陰鬱な香りがぷんぷん漂ってくる本作。表紙のイメージに違わず、内容は家庭内暴力、児童虐待、いじめ、洗脳、監禁、拷問と重苦しい要素のオンパレードです。櫛木理宇さん曰く、一九八〇年代にアメリカで起こった拉致監禁事件をモチーフにしているそうですが、北九州や尼崎で発生した殺人事件を連想する読者の方が多いかもしれません。人間の自意識が崩壊していく様をまざまざと見せつけられ、どんよりした気分になりつつも読む手を止められませんでした。

 

主人公の白石は、妹と同居し、家事一切を担う専業主夫。家裁調査官時代、悲惨な出来事に巻き込まれ、志半ばで職を辞した過去があります。ある日、白石のもとを、古い友人である刑事・和井田が訪れました。和井田が語ったのは、ビジネスホテルで男性の刺殺体が発見された殺人事件。被害男性・薩摩治郎の家からは、監禁された女性と、二人分の遺体が発見され、事件は混迷状態に陥ります。薩摩は少年時代、傷害事件で家裁に送られたことがあり、その際に担当したのが白石でした。「長いこと社会から隔絶されて生きてきた薩摩にとって、お前は数少ない、正面切って相対した大人。薩摩という人間について、分かることを教えてほしい」。和井田に頼まれた白石は、気が進まないながら薩摩のことを思い出し、自分なりに事件について調べ始めます。そこから浮かび上がってきたのは、想像を絶する暴力の連鎖でした。

 

こうしたあらすじから想像できる通り、本作の暴力描写はかなりエグいです。監禁した女性を長期間に渡って暴行し、凌辱し、死ねばその肉をミンチにして他の被害者に食べさせる・・・しかし、犯人である薩摩もまた、実父の手によって幼い頃から虐待されていました。終始罵倒され、心身共に痛めつけられ、母親に甘えることも友達と付き合うことも禁じられた薩摩の心に何が巣食ったか、想像を絶するものがあります。そして、薩摩を虐待した父親も、血筋が原因で陰湿な差別といじめを受けてきた過去があり・・・と、まさに負の連鎖。こんな風に育ってきた人間に健やかな心を持てと言う方が無理なんじゃと、彼らの所業を忘れてつい同情しそうになるほどでした。

 

凄惨な描写が続く中の清涼剤は、白石が作る美味しそうな料理の数々や、和井田との気の置けないやり取りでしょう。特に和井田との会話は、いかにも付き合いの長い男子!という感じで、つい笑ってしまいそうです。そんな白石もまた、家裁調査官時代に悲惨な目に遭い、生涯消えぬであろうトラウマを負いました。もう犯罪と向き合うことはできない。そう考えていた白石は、薩摩治郎の事件に関わるうち、少しずつ熱意を取り戻していきます。実際、白石の聞き込みの仕方は物腰柔らかかつ知的で、接する人達がつい胸襟を開いてしまうのも納得の巧みさ。彼には今後も和井田とタッグを組み、事件に臨み続けてほしいです。

 

と、こんな風に白石や薩摩家の物語が進む中、所々で少年二人のエピソードが挿入されます。陰湿な継母との関係に悩む海斗と、年の離れた弟のいる家庭で孤立感を強める未尋。ひょんなことから知り合った二人は意気投合し、夜な夜な街を遊び歩く仲になります。やがて彼らが始めたのは、人を支配し、操る禁断のゲーム。次第に常軌を逸していく二人の様子が恐ろしいと同時に、白石のパートとどう絡むのか分からず、ハラハラしっぱなしでした。真相判明した時は、「えーっ!!」とびっくり・・・櫛木さんの作品で、こういうトリックが仕掛けられているのは珍しい気がするので、嬉しい驚きでした。

 

まったく救われない登場人物もいる反面、白石の再生物語としては光を感じる構成になっており、希望がないわけではありません。難点は、登場人物がけっこう多い上、養子縁組や結婚でころころ苗字を変えているパターンがあり、人間関係の把握がちょっと難しいことでしょうか。分量はさほどではないものの、気合を入れてじっくり取り組める時に読むことをお勧めします。

 

洗脳なんて絶対されない度☆☆☆☆☆

一旦上げてからエピローグでどん底に落とされる度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

    櫛木理宇さん独特のおぞましさ、胸糞悪くなるエグイ描写にゾクッとしながら、元家裁調査官の白石が登場してガラリとイメージが変わりました。
    白石自身がトラウマを克服しながら事件の核心に触れていく場面、洗脳・虐待の意外な真犯人~文章ばらではのトリック、櫛木理宇さんの作品にありがちなパターンですが白石が立ち直った場面には救われたと思ったら、またおぞましいエピローグ・・・これこそ櫛木理宇だと思わされる終わり方でした。

    1. ライオンまる より:

      最近、「ホーンテッドキャンパス」の最新刊を読み、ほろ苦くも爽やかな気分に浸ったばかりなので、あまりの落差に
      衝撃を受けました。
      虐待シーンの惨たらしさ、どんなに努力しても救われない人は救われないというやり切れなさが胸に突き刺さって・・・
      白石が新たな一歩を踏み出せたところと、少年二人に未来がありそうなところが希望です。

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