はいくる

「ナルキッソスの鏡」 小池真理子

この世には数えきれないほどの主義・傾向がありますが、その中でも<ナルシズム>の認知度の高さは群を抜いていると思います。これはギリシャ神話に登場する美少年・ナルキッソスが、泉に映る自分の姿に恋したエピソードに由来し、自分自身を強く愛する精神状態と指すとのこと。あまりによく知られた用語なので、「あの人ってナルシストだよね」「今の言い方、ナスルシストっぽかったかな」等々、日常会話に登場する機会も多いです。

そして、<自分を強く愛する>という特徴が描写しやすいからか、ナルシストが登場する作品もたくさんあります。『ちびまる子ちゃん』の<花輪クン>のように、コミカルな自分大好き人間として描かれることが多い気がしますが、語源であるナルキッソスが自分を愛するあまり死を遂げたことを考えると、本来のナルシズムとはもっと真摯で頑ななもののように思います。今回ご紹介するのは、小池真理子さん『ナルキッソスの鏡』。あまりに深く自分を愛した者の運命が印象的でした。

 

こんな人におすすめ

人の狂気をテーマにしたサイコサスペンスが読みたい人

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己の美貌を深く愛する女装趣味の美青年、子ども達との平和な暮らしを守るため殺人を重ねる母親、恋人を女友達に奪われたショックで自殺を図った女。三人の運命が、とある高原の避暑地で交錯する。美青年の気まぐれに翻弄される女はどこへ向かうのか。人知れず高原に住む親子が抱える秘密とは何なのか。血と狂気に塗れた高原で、生き残るのは果たして・・・・・直木賞作家が描く、衝撃のサイコサスペンス

 

二〇〇〇年に入った頃から、密度の濃い恋愛小説が目立つ小池ワールドですが、それ以前にはブラックな味わいのサスペンスやホラーもたくさんあります。本作はまさにその代表格。繰り返し描写される狂気にゾワゾワさせられること請け合いです。殺人シーンもけっこうあるのですが、小池真理子さん独特の上品で色気ある文章のせいか、グロテスクな印象はあまり受けません。思えば、この方の作品でこれだけ明確に連続殺人の場面があるものは少ない気がするので、そういう意味でも貴重な一作です。

 

類まれな美貌を持つ青年・真琴は、叔母夫妻から頼まれ、避暑地に建つ別荘の管理と飼い犬の世話を行うことになります。静かだということ以外、特に楽しみもない暮らしですが、真琴にとっては渡りに船。自身の美しさを愛する真琴には、女装という隠れた趣味がありました。別荘に一人きりなのをいいことに、思う存分女装を楽しみ、己の美貌を堪能する真琴。そんなある日、真琴は乃里子という女を助けます。乃里子は婚約者を女友達に奪われたショックから、自殺を図ったのでした。救助された時、真琴が女装していたせいで、乃里子は彼が女性だと思い込みます。そんな乃里子に対し、真琴は思い付きで<鏡子>と名乗り、同性として接します。しばし、穏やかな時間を過ごす二人ですが、その平穏は長くは続きませんでした。この高原には、愛する家族との暮らしを守るため、長年凶行を重ねてきた殺人鬼が潜んでいたのです。

 

プロローグで訳ありっぽい男女が登場した時、この二人が主人公なのだと思った人。彼らがわずか数ページでいきなり謎の大女に殺害されて度肝を抜かれた人は、私以外にもたくさんいるのではないでしょうか。評論家の香山二三郎さんもコメントされていますが、作品全体に流れる空気は映画『サイコ』によく似ています。あと、避暑地の閉塞感はS.キングにも近いかな。日本を舞台にした小説にも関わらず、上質な海外ホラーを楽しんでいる気分に浸れました。

 

軸となるのは女装趣味の美青年・真琴、自殺未遂を助けられた乃里子、子どもを愛するあまり狂った女・益代の三名なのですが、実質的には真琴と益代のダブル主人公と言ってもいいくらい、二人の存在感が強烈です。真琴は鬱屈した家庭環境で育つ中、自分の美しさを愛でることに安らぎを見出してきたキャラクター。素の自分を眺めるだけでなく、女装し、女としても美しい己を見て陶然とするという複雑な精神性を有しています。これ、描き方を間違えるとただのうぬぼれたおバカキャラになりそうですが、真琴の美貌描写が丁寧で美しいため、雰囲気はどこまでも妖艶で耽美的。文章だけで彼の美しさをこれだけ表せるところがすごいですね。ただ艶っぽいだけでなく、窮屈な幼少期を過ごしてきた真琴の息苦しさもちゃんと感じさせる辺り、小池さんの表現力の高さを実感しました。

 

そしてもう一人、本作の恐怖部分を一手に担うのが、恩田益代というキャラクターです。益代は息子と娘の三人で高原に隠れ住んでおり、子ども達を心から愛しています。子ども達を喜ばせるため、高原を訪れた観光客を密かに誘い出し、殺害し、彼らの所持品をプレゼントとして二人に贈る益代。また、被害者の行方を捜すため訪れた関係者達も、益代は次々と手にかけていきます。金銭欲でも復讐でもなく、ただただ子ども達のためを思い、躊躇なくさくさく犯行を重ねていく益代が不気味で不気味で・・・また、日に日に年頃になっていく長男が、自分達の暮らしに違和感を感じる場面、益代がそんな長男に苛立つ場面なども緊迫感たっぷりでした。この親子、生まれつきの殺人者一家などではなく、最初は普通の家族だったのにあることがきっかけで道を踏み外した、という背景もなかなか面白いです。確かにその夫はイラッとくるけど、だからといって極端に走りすぎだぞ、益代・・・

 

益代一家が殺人者だということは最初の方で分かるのですが、クライマックス、彼らに関してはちょっとしたどんでん返しもあります。よくよく読んでみるとちゃんと伏線があるし、この一家と真琴達がどう絡むか、終盤まで分からずハラハラさせられることは必至。レビューサイトなどでは「真琴と益代達がもっと関わって欲しかった」という感想もあるようですが、私は両者に距離感があったからこそスリリングだったと思います。<高原を舞台にしたサスペンス>というといかにも画面映えしそうだけど、最後のどんでん返しの性質上、映像化は難しそうかな・・・

 

かくして<鏡子>の秘密は守られた度★★★★★

追いかけて来る大女って怖すぎる・・・度★★★★☆

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