人気のある小説や漫画、アニメ作品には、しばしば<スピンオフ>なるものが存在します。和訳すると<派生作品>のことで、本編で人気のあった脇役が主役になるというパターンが多いですね。<続編>ではないので本編より過去の出来事が分かったり、本編では触れられなかったキャラクターの背景が判明したりする楽しみがあります。
すでに世界観が出来上がっているためストーリーが作りやすく、本編ファンの注目も集まるというメリットのせいか、ありとあらゆる創作物でスピンオフは作られています。小説に限定すると、柴田よしきさんの『麻生龍太郎シリーズ』、宮部みゆきさんの『楽園』、米澤穂信さんの『ベルーフシリーズ』などが印象的でした。今回ご紹介するのも、私の中で五本の指に入るくらい好きなスピンオフ作品です。恩田陸さんの『象と耳鳴り』です。
こんな人におすすめ
本格推理短編集が読みたい人
国宝の茶碗が呼び覚ます友の記憶、群衆の中に突如現れた死体、町の給水塔にまつわる不気味な噂、老婦人が語る凄惨な思い出、少年たちの言葉から浮かぶ罪の気配、死刑囚が投函したポストカードの謎、寂れた庭園で明かされる悲劇の真相・・・・・貴方はこの謎を解き明かせるか。退職判事・関根多佳雄が出会う十二の謎めいた物語
『六番目の小夜子』の主要登場人物・関根秋の父親である関根多佳雄が主人公です。私は『六番目~』より先に本作を読みましたが、話自体は完全に独立しているので、まったく支障ありません。ミステリーといっても、派手な天才犯罪者や大量殺人犯が出るわけではなく、基本的に関根多佳雄が関係者と会話している内に真相に気付くという流れなので、雰囲気はとても小粋でお洒落。厳めしそうに見えて飄々ととぼけた元判事・関根のキャラも魅力的で、すっかりファンになってしまいました。
「曜変天目の夜」・・・妻と共に国宝である曜変天目茶碗を見に来た関根多佳雄。会場で、ふいに関根は、何年も前に死んだ友人のことを思い出す。友人が死ぬ前に口にした「今日は、曜変天目の夜だ」の意味とは、果たして・・・・・
私はこの話を読んで初めて<曜変天目茶碗>の存在を知りました。典雅で幻想的な美しさを持つ茶碗と、エピソードの雰囲気がぴったり。謎自体は驚異的な記憶力を誇っていた友人の死に関するもので、茶碗とは関係ないのですが、小道具としては最高だと思います。落語の『頭山』の絡め方も上手いですね。
「新・D坂の殺人事件」・・・混み合った渋谷駅前に出現した男性の死体。あまりに急な出来事であり、一部始終を正確に見ていた目撃者はいない。そんな中、事件直前、一人の老人が頭上を仰いで「堕天使を」見ていたと話しており・・・・・
江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』をモチーフにしたタイトルとは裏腹に、現代社会の歪みが描かれたエピソードです。こういう事件って、今この瞬間もどこかで起きているのかもな・・・またこのエピソードは、とある男目線で話が進みます。他人から見た関根がどんな老人なのかというのが分かって、なかなか面白いですよ。
「給水塔」・・・関根は、散歩仲間の時枝とともに、とある給水塔を見にやって来る。周辺では不審な出来事が相次いでおり、「あの給水塔は人を食う」という噂が流れているらしい。関根と時枝は手持ちの情報から推理ゲームを繰り広げるが・・・・・
こういう都市伝説や噂を扱った話って大好きです。ただ、物事を立体的に考えるのが苦手な私は、給水塔の形と位置、謎解きを脳内で再生するのが大変でしたが(汗)ちなみにこの時枝(たぶん、『新・D坂の殺人事件』で関根と知り合った男)は今後、恩田ワールドの名脇役となり、『MAZE』『ブラック・ベルベット』にも登場します。関根との掛け合いも面白いので、いつか再共演してくれないかな。
「象と耳鳴り」・・・喫茶店で関根が出会った老婦人。彼女曰く、昔から象を見ると耳鳴りがするのだという。どうやら原因は、彼女が幼い頃、象が人を殺す現場を目撃したことにあるようで・・・・・
表題作なだけあって、短いながら読者に与えるインパクトは強烈です。「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」という上品ながら意味不明な台詞と、そこから浮かび上がる悲惨な過去の対比が印象的。最後の最後でもう一つ、とある可能性がちらっと仄めかされる展開も好みでした。
「海にゐるのは人魚ではない」・・・息子の春とともに知人を訪ねる関根。途中で車が故障し、足止めを食らっていると、通りすがりの子ども達が「海にいるのは人魚じゃないんだよ」と会話するのを聞く。その一言から、関根はとある想像をして・・・・・
どこか寂しげな中原中也の詩の使い方が絶妙です。関根親子が考える真相が生臭く残酷な分、作中で繰り返される詩の繊細さが際立って感じられました。ちなみにこの時、関根親子は知人から「謎を抱えた招待客が集まるから、話を聞きにおいで」と誘われたとのこと。このエピソードは知人宅に到着前に終わってしまうのですが、そこで一体何が起こるのか、気になって仕方ありません。
「ニューメキシコの月」・・・骨折で入院した関根のもとを、東京地検で働く貝谷が見舞いに訪れる。彼が持参したのは、九人の男女を殺した死刑囚・室伏から送られたポストカード。なぜ室伏は貝谷にこのカードを送ったのか。善良な医師だったはずの室伏は、なぜ大量殺人を犯したのか。貝谷に対し、関根は自らの仮説を語り出し・・・・・
本作はどの話も小道具の使い方が上手いんですが、中でもこのエピソードのポストカードが一番印象に残りました。アンセル・アダムスの写真と、そのポストカードを送って来た死刑囚、そこから関根が考えた一つの仮説・・・美しさ、醜さ、愚かしさ、それらが渾然一体となったラストが胸に迫ってきます。
「誰かに聞いた話」・・・自宅で妻の桃代と他愛ない会話を交わす関根。ふいに関根は、とある寺の銀杏の木の下に、強盗が奪った金を埋めたという噂を思い出す。どこかで確かに聞いたのだが、誰から聞いた話か思い出せない。妻と話す内、一つの可能性が浮上して・・・
「知り合いから聞いたんだけど」「友達が言ってたんだけどね」こんな出だしで会話を始めることは多いですが、その<知り合い><友達>が一体どこの誰なのかまで突き詰めることはあまりありません。そんな無責任さや不確かさがこのエピソードのテーマ。ラスト一行、桃代が放つ一言って、よく考えるとすごく怖い台詞なような気がします。また、年下相手だと食えない老紳士な関根が、妻には勝てないところ、なんだか愉快です。
「廃園」・・・関根は亡くなった従姉妹・結子の家を訪れる。ここにはかつて見事な薔薇園があった。廃れた庭で、結子の娘である結花と向かい合う関根。そこで結花が口にした、幼い頃に庭で見たものの正体とは・・・・・
一番お気に入りのエピソードです。かつて薔薇が咲き乱れていた庭の描写、そこが寂しく廃れてしまった様子、その庭で愛憎を燃やしていた女の姿の描き方がなんとも美しく幻想的。恩田陸さんが女性の愛憎劇を書く印象ってあまりないのですが、このエピソードを読む限り、そういう方面の描写力も文句なしのようですね。いつか、前日譚という形で、関根と結子の物語が読んでみたいです。
「待合室の冒険」・・・知人の葬式帰り、人身事故で足止めを食らった関根と春。待合室で過ごしていると、春が「人が駅に来るのは何のためだと思う?」と聞いてくる。ただの時間潰しかと思われた会話が、やがて予想外の方向に転がり始め・・・・・
再び関根親子が事件に巻き込まれます。ただこれは、収録作品中数少ない、作中ではっきり事の顛末が分かるエピソード。私は恩田作品のわざと結末を曖昧にするところが好きですが、こうやってしっかり結末を明示されるのもそれはそれで面白いですね。最後数行の親子の会話がお洒落です。
「机上の論理」・・・弁護士の姉・夏と検事の弟・春。従兄弟の隆一を含め三人で飲みに行った時、隆一は二人に一枚の写真を見せた。「これはある人の部屋を写した写真。写っている物から、住人の人物像を推理してみない?」推理ゲームが大好きな夏と春は大喜びで乗るのだが・・・・・
このエピソードでは作中で事件らしい事件も起こらず、関根姉弟が飲みながら延々と推理合戦を繰り広げます。華やかなようで地道さを持つ夏と、慎重派に見えて大胆な面がある春のキャラクター設定が面白く、二人がやり合う場面が目に浮かぶようでした。たった一枚の写真から、これだけ色々な手がかりを見つけられる推理力は見事の一言。父親のDNAは、間違いなく子ども達に受け継がれているようです。
「往復書簡」・・・関根と姪の孝子が交わす手紙の数々。とりとめのない近況報告だったはずのそれは、やがて一つの凶悪事件をあぶり出す。姪の手紙から、関根が見破った犯罪とは・・・・・
最初から最後まで、関根と姪の孝子の手紙で構成されたエピソードです。そして、手紙と手紙の間にはタイムラグがあるというところがミソ。この辺りは、メールやLINEでは決して出ない情緒のようなものが感じられます。「待合室の冒険」と同様、この話も謎の始まりから解決まで、しっかり読者に見せてくれるところも嬉しいですね。
「魔術師」・・・関根と貝谷は、最近囁かれるようになった噂について話す。自ら買った包丁で腹部を刺して死んだ男、突如として消えた大量の椅子の謎、そこここで目撃される赤い犬の正体、誰が作ったとも知れない石鹸のお地蔵さん。これらが導き出すものとは、一体何なのか。
このエピソードのみ、ミステリー一辺倒ではなく、ホラー寄りのファンタジーの香りがします。次々出てくる都市伝説の数々がすごく不気味で、一つ一つが長編ホラーミステリーのテーマになりそうなほど。それらに対する関根の考察も面白く、「ほほう」と唸らされました。こういう都市伝説ツアー、私も行ってみたいです。
一部の話を除き、作中ではっきりと事件解決するわけではなく、見聞きした謎を関根があれこれ会話しながら推理するというだけ。その後がどうなるか分からない、あるいは、今となっては分かってもどうにもならないという展開も多く、消化不良だと感じる読者もいるかもしれません。ですが、古典的な安楽椅子探偵モノが好きな読者には、かなりハマるんじゃないでしょうか。関根一家は他作品への登場率が高いので、そろそろ多佳雄氏にも元気な姿を見せてほしいものです。
日常に謎は溢れている度★★★★☆
油断していると、時折ゾッとさせられる度★★★★★
スピンオフや好きな作家さんのシリーズで登場しているキャラクターが別の作で登場した作品え読もうと思ってました。図書館が閉館する前に一緒に借りようと思います。
スピンオフと本編と2倍面白そうです。
高校生主役の青春ミステリーだった「六番目の小夜子」と比べ、こちらは登場人物の年齢層が高く、大人向けの安楽椅子探偵ものです。
何と言っても、「六番目~」にもちらりと出てきた関根多佳雄氏がすごく魅力的!
恩田作品の登場人物の中でも、トップ3に入るくらい好きなキャラクターです。