元教師、元医者、元社長、元プロアスリート・・・現役から退いたこれらのポジションは、フィクション界隈で重要な役割を果たすことが多いです。現役時代に培った技能と経験と人脈がある一方、退職済であるがゆえに職権はない。有能さと不自由さ、両方を描写することができ、物語を盛り上げやすいことが理由のような気がします。
そんな中、ミステリーやサスペンスで一番登場率が高いのは<元刑事>ではないでしょうか。都筑道夫さんの『退職刑事』をはじめ、元刑事が活躍する小説は数えきれないほど存在します。今回取り上げる作品でも、元刑事が実にいい働きをしていましたよ。芦沢央さんの『嘘と隣人』です。
こんな人におすすめ
日常の悪意を描いた連作短編集に興味がある人
ストーカーによる傷害事件の陰に隠れた意外な魂胆、女性の転落死から垣間見える思惑の行方、二人の遺体からあぶり出される社会の闇、痴漢事件が導くどす黒い真相、陰湿なSNS投稿を巡る嘘と真実・・・・・退職刑事・平良正太郎が現代社会のひずみに挑む連作ミステリー短編集
第一七三回直木賞候補作品です。この回は、直木賞・芥川賞ともに受賞作なしという、なかなか珍しい結果となりました。審査員の方達が熟考の上に決めたことなのでしょうが、私個人の好みでいえば、候補作の中で本作が一番面白かったと思います。
「かくれんぼ」・・・平良の顔見知りのシングルマザーが、ストーカーと化した別居中の夫に襲撃される傷害事件が発生。夫は、妻のスマホの位置情報を頼りに居場所を突き止めたらしい。だが、彼女はこうなることを事前に予期し、位置情報が表示されないように設定していたはず。となると、何者かが勝手にスマホをいじった可能性が浮上して・・・・・
一番衝撃的な襲撃事件の方は、離婚調停中の夫が犯人ということがあっさり判明。<なぜ妻の居場所がバレたのか>に焦点を当てるところが捻ってありますね。でも、絶対やらないけど、やらかしてしまった人の心理は分からないでもないんだよなぁ。被害者の妻と子供が今後穏やかに生きていけるよう、願ってやみません。
「アイランドキッチン」・・・妻と共に終の棲家を探し始めた平良は、その過程で、かつて関わったOLの墜死事件を思い出す。当初は自殺と思われたものの、OLが生前、とある女性から付きまとわれていたことが発覚。この女性による殺人事件かと思われたのだが・・・・・
転落死したOLの苦悩は痛ましく、彼女を追いつめた人間の身勝手さは醜悪の一言。ただ、読了してみると、事件そのものより<アイランドキッチン>を巡る真相の方がインパクトあるという予想外の話でした。こういう空回り、現実でもよくありそうなところがすごく嫌・・・とりあえず、何かする時は必ず関係者全員の意見を聞きましょう。
「祭り」・・・引っ越し作業を進める中、平良が想起した過去の事件。それは、認知症の男性とベトナム人技能実習生、二人の遺体が近距離で発見されるというものだった。ベトナム人・タンは実習先から脱走して引っ越し会社に勤務しており、同じくベトナム人の同僚が殺人の容疑者となる。不法就労が露見することを恐れての犯行という見方が強まるも、平良は引っかかりを感じ・・・・・
なるほど、外国人労働者を巡る社会の闇の話ね・・・と思わせておいて、根底に、国籍問わず無関係でいられないハラスメントの心理が潜んでいるという構成が巧みでした。最後の平良の述懐がキツいなぁ。こういう経験、生涯一度もないと断言できる人は恐らくいないであろうところが、余計にやりきれなかったです。あと、クレーム対策として、わざと部下や後輩に厳しく接し、客から文句を言い出しにくいようにするというのは、結構効果的な気がします。
「最善」・・・平良は、妻の友人・沙知から悩みを打ち明けられる。沙知の夫・水口は通勤電車内での痴漢で逮捕されるも、本人は冤罪を主張しているらしい。痴漢発生時、水口と同時にもう一人、身元不明の男も容疑者となったのだが、そちらの男は駅員の隙を衝いて逃走。その場に残った水口がなし崩し的に犯人扱いされたのだという。それで沙知の気が済むならばと事件を調べる平良だが、やがて予想外の事実が判明し・・・・・
断トツでお気に入りの話です。てっきり痴漢冤罪事件がメインかと思いきや、本ボシがそちらだったとは。さらりと挟まれた過去のエピソードの活かし方も上手く、表題作にしてもいいくらいの衝撃度だと思います。真相が分かってみると、「最善」というタイトルがえぐい・・・
「嘘と隣人」・・・同じマンションの住民から平良に持ち掛けられた相談事。それは、とある女性が、粘着質なネットストーカーに悩まされているということだった。くだんの女性・理絵がSNSに投稿すると、必ず否定的なコメントをし、ブロックしても新しいアカウントで付きまとってくるらしい。危害を加えるような発言はないため警察を頼ることもできず、困り果てているそうだ。平良は、旧知の仲である探偵・吉羅の力を借りることにするのだが・・・
本作はどの話も基本的に<最初、平良がトラブルに臨む>→<事態が予想外の方向に転がり出す>という展開で進むのですが、その流れ方が一番しっくりくる話でした。アンチコメントの犯人に関しては、たぶんそうじゃないかなと思っていたものの、そこからもう一捻りするとは予想外。こういう嘘って簡単に責められないし、どう捉えるべきか、悩んじゃいます。平良&吉羅の、荒波を潜り抜けて来た者同士の友情は良かったです。
私、後になって気づいたんですが、本作主人公の平良は『夜の道標』にも主要登場人物だったんですね。当時は現役バリバリの刑事だった平良が、今は揉め事に関わりつつも穏やかなセカンドライフを送っていると知り、なんだか安心しました。まだまだ頭脳も行動力も衰えていないようだし、今後の活躍に期待大です。
些細な嘘が人の人生を振り回す度★★★★★
平良さん、周りから頼られすぎ!度★★★★☆
元刑事の平良は夜の道標に登場していたのですね。再読したくなりました。
読んでいて平良のように引退や退職した刑事は警察から距離を置くと後から警察が見落としたような悪意を後から思い出すような場面が実際にあると感じました。特に被害者やストーカーに悩んでいる人が逆に刑事や加害者を利用するパターンが印象的ですが少なからずあると感じましたが、そのようなオチだったか忘れました。芦沢央さんの新作、たまたま図書館で見つけました。お前レベルの話はしていない、は面白そうです。垣谷美雨さんの楽しみです。村田沙耶香さんの世界99やっと読み終えました。
宮部みゆきさんや若竹七海さん等、元刑事が活躍する小説を書いている作家さんは大勢います。
それだけ物語に絡めやすい存在なのでしょうね。
平良は私生活でもものすごく頼られているようなので、今後もどんどん事件に臨んでいってくれそうです。
こちらは藤崎翔さんの新作が予約順位二番目で、今からわくわくしています。