はいくる

「お勝手のあん」 柴田よしき

私は昔から食べることが大好きです。嫌なことがあれば好物を食べてリフレッシュしようとするし、旅先でまず調べるのは現地の美味しいお店や名物料理。だからこそ、美味しい料理を作ってくれるコックさんのことは無条件で尊敬してしまいます。

調理師を主役にした小説は数えきれないほどありますが、どちらかというと男性を主人公にしたものの方が多い気がします。調理師の世界は筋力・腕力が求められる上、職人気質が色濃く長年に渡って修行する必要があるため、妊娠や出産でキャリアを中断するケースが多い女性はまだまだ少ないのだとか。とはいえ、だからといって女性の味覚や料理のセンスが劣っているということにはなりません。優れた料理の腕を持つ女性は、今も昔も大勢存在します。今回ご紹介するのは、柴田よしきさん『お勝手のあん』。初の時代小説ということで楽しみにしていましたが、期待以上の良作でした。

 

こんな人におすすめ

・幕末を舞台にした小説が好きな人

・料理人の成長物語が読みたい人

スポンサーリンク

幸運な偶然を経て宿屋<紅屋>に引き取られた娘・やす。厳しくも温かい大人達や、信頼できる仲間と支え合いながら、懸命に奉公を続けている。やすの最大の武器は、天性の嗅覚と料理に対する発想力。いつか、料理の道で一人前と呼ばれるようになりたい。いつか、この力を<紅屋>のために役立てたい。たとえ、女が料理人になるのが困難な世の中だったとしても---――激動の時代の中、慎ましくもひたむきに成長していく少女を描いた、清々しい成長物語

 

女性調理師主役の時代小説と言えば、一番有名なのは髙田郁さんの『みをつくし料理帖シリーズ』でしょう。本作と設定が似た部分も多いのですが、一番の違いは、本作の主人公・やすがまだ幼いことだと思います。第一作ということもあるでしょうが、子どもであるやす目線で物語が進むため、『みをつくし料理帖』と比べると時代背景の描写が少なく、その分、やすを含む登場人物達の心理描写に重きを置いている印象でした。

 

幼い主人公・やすは酒浸りの父親から女衒に売られるも、手違いと偶然の積み重ねにより、宿屋<紅屋>に女中見習いとして引き取られます。そこで出会ったのは、穏やかな料理人の政一や、厳格ながら思いやりある女中頭のおしげ、おっちょこちょいだが可愛い奉公人仲間の勘平など、優しく誠実な人々。<紅屋>に引き取られた幸運を噛み締めつつ働くやすですが、実は彼女は、生まれつき非常に優れた嗅覚の持ち主でした。間もなくその能力を政一に見込まれ、厨房で働くようになります。もっともっと料理の腕を磨きたい。引き取ってくれた<紅屋>に恩返ししたい。そう願うやすですが、それはこの時代、とても困難な夢でした。

 

実はこの時代、女性の料理は家族に振る舞うためのものであり、金を出してまで食べるものではないという考えが主流だったのです。やすの素質を高く買ってくれている大旦那様や政一にも、そういう世の中の流れはどうにもなりませんし、やすだってそれは百も承知。働き者で気配り上手なやすは女中頭のしげに見込まれ、接客に回ってはどうかと打診されます。どれだけ努力しても一生下働きで終わる可能性が高い厨房担当に対し、接客ならばいずれ女中頭にまで出世し、部下を持って采配を振るうことだって夢ではありません。にもかかわらず、申し出を辞退し、こつこつ料理の修行に励むやすの一途さ、いじらしさに胸が温かくなりました。

 

それにしても、この修行シーンで登場する料理の素晴らしさといったら!時代小説なので、当然、昔ながらの和食ばかりなんですが、一つ一つの描写がものすごく丁寧で美味しそうなんですよ。季節の香り漂う筍料理や、使用人総出で作るよもぎ餅、疲れた体に染み入る湯漬けなど、色々出てきますが、私のイチオシは天ぷらです。ただの天ぷらだけでなく、「宴会で天ぷらを出すとなると、盛り付けや配膳の都合で冷めてしまう。どうすれば冷めても美味しい天ぷらを作れるか」という課題に対し、やすがひねり出した答えが秀逸!この場面を読んだ後、コンビニに揚げ物を買いに走った読者は、私の他に一体何人いることでしょう(笑)

 

と、こういった料理場面の明るさとは対照的に、時代小説らしいやるせなさもたくさん描かれています。生まれによって多くのことが決められたこの時代、どれだけ願っても叶わないことは山ほどありました。女性であるやすが職業料理人になることも、数字に強い奉公人の勘平が勘定奉行になることも夢のまた夢。途中から登場するお嬢様のお小夜は、絵師のなべ先生(たぶん、実在の絵師・河鍋暁斎)と密かに思いを寄せ合っていますが、互いの身分と立場の違いから結ばれることはありません。それぞれ、己の願いがどうにもならないものだと受け入れた上で、それでもできることをできる限りやろうとする登場人物達の姿が切なくもあり、健気でもありました。

 

なお、タイトルで気づいた方も多いかもしれませんが、本作は『赤毛のアン』に通じる部分がちらほら見受けられます。<男の子が欲しかったのに、手違いで女の子が来た>という背景を持つやすがアン、厳めしいが情の深いしげがマリラ、心優しくやすを導く政一がマシューの役回りでしょうし、お嬢様の小夜はダイアナかな。ということは、いずれギルバートのように、やすと淡い思いを交わす相手が出てきたりするのでしょうか。あと、今のところ悪人が一人もいないという点も、『赤毛のアン』と一緒ですね。すでに二作目『あんの青春 春を待つころ』が刊行されているので、早く読みたいです。

 

空腹の時は読んじゃダメ度★★★★★

いずれ時代の波が押し寄せてきそう・・・度★★★★☆

スポンサーリンク

コメント

  1. しんくん より:

    和菓子のアンのシリーズかと思ったら柴田よしきさんの作品でしたね。
    「風のベーコンサンド」シリーズのように庶民的で美味しそうな料理の描写が期待出来そうです。
     時代劇のドラマをよく観ていて「水戸黄門」「遠山の金さん」など江戸時代では料理屋を舞台にストーリーが進みましたが、実際は家庭で料理することが多かったみたいですね。
    「鬼平犯科帳」では長谷川平蔵が食通で江戸の料理を堪能している場面が多く江戸の料理にも興味を持ちました。
     これも読んでみたいですね。

    1. ライオンまる より:

      私もタイトルを見た段階では、坂木司さんの『和菓子のアン』シリーズの一つかと思いました。
      万人受けしそうな料理小説に、時代小説特有のままならなさ、切なさも加えてあって、すごく面白かったです。
      歴史上の人物がさらりと登場するところも、歴女としてはポイント高いです。

  2. しんくん より:

    文庫本でシリーズ2作目まで借りて来ました。
     江戸時代の文化、料理、庶民の生活が目に浮かぶようでした。
     なべ先生は実在の絵師だったのですね。
     幕末の時代、海外の文化との交流や天災の様子など歴史に忠実に再現しながら進むストーリーは歴史好きにはたまらない作品でした。
     漫画「美味しんぼ」に登場するような食材の仕込みや料理法、現代の仕事や心理学のマニュアルまでさらりと語る「紅屋」の先輩たちの教え、従業員たちをきちんと教育してお客の従業員も大切にする姿は現代に通じるものを感じました。
     さすが柴田よしきさんのお仕事小説とヒューマンドラマに人情を組み合わせた素晴らしい作品でした。

    1. ライオンまる より:

      私もつい先日、続編を読み終えたばかりです。
      仕事に誠実に取り組むことの尊さがひしひし伝わってきました。
      時代劇ならではの生きにくさもあって切ない気分にもなり、登場人物達の幸せを願わずにいられません。
      読了後は和食が食べたくなりますね。

ライオンまる へ返信する コメントをキャンセル

*

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください