はいくる

「境界線」 中山七里

フィクションの世界においては、しばしば、登場シーンはわずかにも関わらず存在感を発揮するキャラクターがいます。こういったキャラクターで私が真っ先に思いつくのは、西澤保彦さん『仔羊たちの聖夜』に登場する事件関係者の弟・英生さん(分かる方、います?)。出てくるのはたった数ページなものの、明晰な言動といい、<肉体的にも精神的にもぜい肉をそぎ落としたようなストイックな凄みがある>容姿といい、やたら印象的なんですよ。私はちょっと影のあるキャラに惹かれてしまいがちなので、「いつか別作品の主要登場人物になってくれないかな」と今でも思っています。

こうした脇役にスポットライトを当てる作風で有名なのは、当ブログでもお馴染みの中山七里さんです。『さよならドビュッシー』の序盤で死亡する香月玄太郎は『要介護探偵の事件簿』『静おばあちゃんと要介護探偵シリーズ』でメインキャラになっていますし、中山作品のあちこちでちらほら顔見せする総理大臣・真垣は『総理にされた男』の主役です。主役と脇役、立ち位置が変わることで視点も変わり、かつては分からなかった背景などを垣間見ることができてとても面白いですよね。この作品では、他作品では脇役だったある人物の意外な過去を知ることができました。中山七里さん『境界線』です。

 

こんな人におすすめ

・戸籍売買が絡んだ作品に興味がある人

・東日本大震災を扱ったヒューマンドラマが読みたい人

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東日本大震災から七年。行方不明の妻子を待ち続ける宮城県警刑事・笘篠のもとに、ある知らせが舞い込んでくる。失踪中の妻・奈津美の免許証を所持した遺体が見つかったというのだ。混乱しつつ駆け付けた笘篠が見たもの、それは妻とは似ても似つかない女性の遺体だった。なぜ彼女は、妻の身分を騙っていたのか。捜査陣も困惑する中、新たに発見された、すべての指が切断され顎を潰された男性の遺体。その遺体の人物もまた、他人の戸籍で生きてきたことが分かり、二つの事件が繋がった。震災によって奪われたものと残されたものの痕跡を描く、宮城県警シリーズ第二弾

 

シリーズ第一弾『護られなかった者たちへ』が佐藤健さん主演で映画化され、俄然注目度が上がった宮城県警シリーズの続編です。今回は、一作目よりさらに東日本大震災の色合いが濃く描かれた内容になっています。かなり過酷な描写もありますが、それでもするりと読めてしまうのは、まさに中山七里さんの筆力あってこそでしょう。

 

東日本大震災で家も妻子も消え失せたという過去を持つ刑事・笘篠。ある日、笘篠は「行方不明の妻らしき遺体が見つかった」という報告を受けます。ですが、笘篠が見たものは、妻・奈津美の免許証を所持した、まったく見知らぬ女性の遺体でした。程なくして、指と顎を失った男性の遺体が発見されますが、彼もまた、震災で行方不明となった他人の戸籍を使っていたことが分かります。懸命な捜査の末、二つの遺体の本物の身元が判明。死んだ二人が、いずれも消したい過去の持ち主だったことから、笘篠は一つの予測を立てます。何者かが、震災で失踪中の人間の戸籍を売買しているのでは?さらに捜査を進めるため、笘篠が訪ねた人物。それは、名簿屋ビジネスを行う五代という男でした。

 

この五代を見てピンとくる方もいるでしょうが、『護られなかった者たちへ』で主人公・利根のムショ仲間だった五代です。あの時は、決して多いとは言えない登場ページ数にも関わらず、陽気さの裏に見え隠れする底知れなさが強く記憶に残りました。本作では、中盤以降、彼とその過去が重要な要素として語られます。なぜ五代は今の五代となったのか。向こう見ずなだけの五代を変えた、少年時代の友との出会い。聡明な友を絶望させた東日本大震災。踏み越えてはいけない境界線を踏み越え、大人になっていく少年たち・・・クライマックスのネタバレになるのであまり深くは語れませんが、真っ当に生きていくはずだった男が呟く「善人だろうが悪党だろうが死んでしまえばただの物体」という言葉があまりに切なかったです。

 

本作で一番、著者の着眼点が凄いなと思ったのは、震災の瞬間を刑務所に収監中だった五代の視点で描いたところです。服役囚達は皆、凄まじい揺れに動揺し、何があったのか、外にいる家族は大丈夫なのか、刑務官に問いかけます。当然、この時点では刑務官達にも何も分からず、誰もがただただ不安と恐怖を覚えるばかり。しかし、どれだけ揺れようと、強固な造りの刑務所は壊れません。町の人々がライフラインを失い、寒さや飢えに苦しんでいても、刑務所には物資の備蓄があるため決まった時間には食事が提供され、夜は布団で寝ることができます。善人であるはずの外の人々と、悪人であるはずの囚人達。一体この違いは何なのだと、五代がぼんやり考える場面が印象的でした。

 

そして、タイトルが『境界線』になっている通り、<違い>というのが本作のキーワードになっています。生と死、善と悪、奪ったものと奪われたもの、戸籍を売るものと買うもの。その違いは、はっきりしているようで実は曖昧であり、きっかけさえあれば簡単に踏み越えてしまえる。東日本大震災のような未曾有の災害ともなれば、尚更です。震災がテーマという関係上、手放しで大団円と言えるような結末ではありませんが、ラストである行動に出た笘篠の姿が救いのように感じられました。ところで、最後に<優秀な弁護士>という文言がちらっと出るのですが、これってもしかして・・・?

 

震災が奪ったものは命だけではない度★★★★★

この犯罪がフィクションであってくれればいいんだけど・・・度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    中山七里デビュー10周年企画の最後の作品だったと思います。
    戸籍を売り買いするのは、「隣はシリアルキラー」でもありました。
    境界線の意味が重たいほど伝わってくる作品でしたが、中山キャラクターが登場していたのは覚えていないので再読しようと思いました。
    次から次へと新作が出てすぐに読めるので忘れてしまうことも多いですが、一度読んだ本を読み返すのも良いと思って新作と同時進行で読んでます。
    今、ホーンテッド・キャンパスを読みながら届いた本読んでます。
    辻村深月さんの新作はお薦めです。

    1. ライオンまる より:

      これが10周年企画の最後だったんですね。
      非常に重いテーマの作品ながら、主人公が少しずつでも前進しようとする姿が救いでした。
      「ホーンテッドキャンパス」最新刊は予約しましたよ。
      「琥珀の夏」、どこの感想サイトでも高評価ばかりですね!
      早く読みたいです。

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