「用があって警察署に行ってきたよ」と言われたら、「え?警察署?何で?」と思う人が多いのではないでしょうか。では、「交番に行ってきたよ」ならどうでしょう。時と場合にもよりますが、私なら「落とし物か何かあったのかな」と軽く流す可能性が高いです。交番は警察署と比べ、生活に密着した印象がありますよね。
もちろん、交番の仕事が気楽だなどと言うつもりは毛頭ありません。交番に勤務する警察官が襲撃される事件は現実でも起こっています。また、小説でも、乃南アサさんの『新米警官・高木聖大シリーズ』や、米澤穂信さん『満願』収録の「夜景」などで、交番で働く警察官たちの苦悩や葛藤が描かれています。今回ご紹介するのは、一風変わった交番勤務の警察官が登場する小説です。降田天さんの『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』です。
こんな人におすすめ
倒叙ミステリー短編集が読みたい人
かつて「落としの狩野」と呼ばれたほどの取り調べの名手ながら、今は訳あって交番で働く警察官・狩野雷太。日夜誠実に職務をこなす彼は、今日も様々な事件に出会う。禁断の欲望を抱えた青年の過ち、家族ごっこに安らぎを見出す女詐欺師、一凛の薔薇に託された元泥棒の願い、同居する女友達に殺意を抱く美大生、過去を隠す男と警察との執念の攻防戦・・・・・この愛を、憎しみを、狩野は見抜くことができるのか。人気作家が仕掛けた五つの罠
『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』と同様、犯人が主体となって描かれる、いわゆる<倒叙式>と呼ばれるタイプの短編集です。犯した罪をどうにか隠そうと奮闘する犯人の前に現れる、にやにやへらへらした警察官・・・これが本作のタイトルにもなっている狩野雷太です。狩野が穏やかに会話しながらじわじわ犯人を追い詰めていく流れは、とても巧妙で周到。それまで犯人の一人称で物語を読んできた分、思わず狩野に反感を抱いてしまいそうになるほどでした。<犯罪者>という一言では片づけられない、悲しみや悩みを抱えた犯人たちのキャラクター造形も魅力的です。
「鎖された赤」・・・少女を監禁したいという欲求を抱えて生きてきた大学生・尊。ふとしたきっかけで、空き家となった祖父宅の蔵に少女を監禁することに成功するが、なんと蔵の鍵を紛失してしまう。このままではせっかく捕らえた少女が餓死してしまう。焦った尊は、鍵の落とし物が届いていないか、交番に尋ねに行くが・・・・・
第一話から、少女を誘拐・監禁するという下劣かつ悪質な犯罪が登場します。だからこそ、誘拐犯である尊が狩野に追い詰められていく流れは気分スッキリ・・・のはずなんですが、ここで効いてくるのがラスト数ページの展開です。最後の最後で明らかになる隠蔽された罪と、尊が卑劣な犯行に走った理由。それを知ると、憤りよりむしろやるせなさがこみ上げてきました。
「偽りの春」・・・詐欺を生業にして各地を転々としつつ生きてきた女・光代。ある日、詐欺仲間の二人が出奔した上、これまでの詐欺行為をネタに金を要求する脅迫状まで届く。逃走を考える光代だが、彼女にはこの地を離れたくない理由があった。
百戦錬磨だったはずの女詐欺師が、隣りに住む貧しい母子家庭と親しくなり、彼らと離れたくないという理由で逃亡を思いとどまる展開がなんとも切ない・・・騙し騙されて生きてきた彼女にとって、母子の存在は<欲しかった家族>そのものだったんだろうなぁ。光代と狩野の攻防戦では、ついつい光代を応援してしまいました。あと、本筋とは無関係ですが、狩野の相棒警官の月岡君、さらりとドイツ語までこなす姿が素敵です。
「名前のない薔薇」・・・泥棒の前科がある祥吾は、ある時、看護師の理恵と親しくなる。自らの過去を恥じ、すべて打ち明けた上で姿を消そうとする祥吾だが、理恵は関係を断つための嘘だと決めつける。売り言葉に買い言葉で、祥吾は「君の望む物を何でも盗んできてやる」と言ってしまい・・・・・
前の二話とは違い、救いと希望のあるラストが印象的でした。泥棒でありながら誠意や正義感を持つ祥吾がついた<一つの嘘>がなんとも粋。ちゃんと過去を恥じる心も持っているんだし、これから地道に幸せになってほしいものです。また、このエピソードのラストで、狩野の過去が仄めかされます。これが実に不穏な感じで、イヤミス好きの心をくすぐってくれました。
「見知らぬ親友」・・・美大に通う美穂は、学友でありシェアメイトでもある夏希に振り回されっぱなし。お嬢様育ちの夏希は、何かというとすぐ美穂を頼るのだ。だが、学費のため風俗で働いていたところを夏希に見られた美穂は、どうしても彼女に逆らえない。そんな日々にストレスを溜めた美穂は、夏希に殺意まで感じるようになり・・・
私が大好きな、女同士のいざこざがテーマになったエピソードです。一度嫌いとなったら、相手のあらゆる言葉や仕草が癇に障るという女性の心理描写にリアリティがありますね。こういうマウンティングやすれ違いは本当にツボなので、贅沢を言えば長編で、もっと掘り下げてドロドロに描いてほしかったかも。また、この話は過去の出来事で、狩野は交番勤務ではなく刑事として登場します。そして、最後一ページで明かされた衝撃の事件・・・あんまりすぎる展開に仰天してしまいました。
「サロメの遺言」・・・恭は人気作品をいくつも世に出した小説家。美大の教授だった父が教え子殺しの容疑をかけられ、取り調べ中に自殺するという悲劇を経験し、過去を隠して生きている。そんな恭にかけられた、元交際相手の殺害容疑。逮捕された恭は、「狩野雷太を連れてこい」と要求し・・・・・
「見知らぬ親友」から繋がるエピソードで、狩野が刑事から交番に移った理由が明かされます。恭の真の目的は、ミステリー慣れした読者なら割と早く分かりそう。ですが、何より強烈なのは、恭の父親が容疑者とされた美大生殺しです。そこで明らかになる、芸術に魅入られた者の壮絶な執念や欲望が怖くて怖くて・・・天与の才に恵まれるって、必ずしも幸せなことではないのかもしれません。
犯人の一人称で進むという構成上、狩野の人間像は掴みどころがない部分が多いです。相棒の月岡や、刑事時代の元同僚・葉桜など、脇役も一癖ありそうなタイプなので、これは続編があるというフラグでしょうか。続きがあるなら、バツイチだという狩野の私生活も知りたいものですね。
いつの間にか犯人に肩入れしてしまう度★★★★☆
この取り調べからは逃げられない度★★★★☆
犯人の立場・心理で進んでいく短編ミステリーですね。
犯人から見て何を考えているか分からない~古畑任三郎やコロンボがどう映るか?
犯人の心理から描かれたミステリーはいろいろありましたが、この作品のキャラクターにどれも興味深い設定で面白そうです。
「サロメの遺言」が特に面白そうです。
犯人側から見た刑事がどれだけ鬱陶しいか、よく分かる作品でした。
話の構成上、狩野に感情移入はしにくいんですが、犯人たちの心理描写は一読の価値があると思います。
「サロメの遺言」はただただ圧倒・・・