はいくる

「黒と茶の幻想」 恩田陸

小説の楽しみ方は、パズルを解くのとは違います。明確な答えがあるわけではないので、同じ物語に対し、いつ何時でも同じ感想を抱くとは限りません。子どもの頃に読んだ本を大人になって再読してみたら、まったく別の解釈が生まれることもあり得ます。

世代によって解釈が分かれる作品として、よく挙がるのがジブリアニメの『火垂るの墓』。子ども目線で見ると、主人公兄妹の叔母は冷酷な酷い人なのですが、大人になって鑑賞すると、「あの大変な時代に、働かない子ども二人が居候していたら、そりゃ冷たい態度にもなるよなぁ」と、叔母の心情が分かってしまうのです。先日再読したこの本も、二十年以上前に初読みした時とはまた違う印象を受け、新鮮な驚きがありました。恩田陸さんの『黒と茶の幻想』です。

 

こんな人におすすめ

長編旅情ミステリーが読みたい人

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さあ、行こう。<美しい謎>を解くための旅へ---――学生時代の仲間だった利枝子、彰彦、蒔生、節子の四人組。卒業から時を経て、四十歳を間近に控えた彼らは、ひょんなことからとある島に生える杉を見に行くことにする。四人に課されたお題は、各自<美しい謎>を持参し、旅行中に全員でその謎を解き合うこと。謎解きをしながらの旅は和やかに進むも、やがて四人の間に、大学時代に突如失踪した女性の影がちらつき始める。なぜ彼女は消えたのか。謎を掘り下げていく内、四人はそれぞれが秘めていた過去に向き合い始め・・・・・恩田陸が贈る、美しくも切ない長年ミステリー

 

本作が刊行されたのは二〇〇一年。当時、まだ学生だった私の感想は「恩田陸さんの作品には相変わらず美男美女ばかりだな」「屋久島(作中ではY島と記載)の自然って凄いな」ということくらいでした。それから時が流れ、主要登場人物四人と同世代になった今読んでみると、彼らの心情が分かること分かること。謎そのものの面白さもさることながら、職場でのやり取りや配偶者の病気、義実家との関係など、現実的な要素も織り込まれていて、感情移入しまくりでした。それでいて決して生臭くならないのは、恩田陸さんの筆致が抒情的で美しいからでしょうね。

 

「第一部 利枝子」・・・旅の最中、利枝子にとって気がかりなのは、元恋人である蒔生のこと。そして、かつての親友・憂理のことだ。利枝子は大学時代、今回の旅の仲間である蒔生と付き合っていたが、ある時、蒔生から「憂理のことが好きになってしまった」とフラれたのである。その後、憂理は卒業記念の一人芝居を披露した後に失踪するのだが、利枝子はずっと蒔生に聞きたかった。「蒔生、あなたは憂理を殺したの?」と・・・・・

一見、誰より穏やかで落ち着いた風情の利枝子が持つ、情念の濃さ・深さが印象的でした。愛する夫と娘がいながら、蒔生への疑いも愛情も捨てきれないジレンマ・・・親友だった憂理への気持ちも、友情というより恋心に近い感じだったのでしょうか。ちなみに、この憂理という女性は、恐らく『麦の海に沈む果実』に登場する憂理と同一人物です。未読でも支障はありませんが、読んでいるとより感慨深いと思いますよ。

 

「第二部 彰彦」・・・旅行の発起人である彰彦には、紫織という姉がいる。大変な美女だが節操のない性格で、彰彦の男友達は全員彼女に弄ばれ、捨てられた。そんな彰彦には、高校時代、友紀という名の親友がいた。彰彦にとって唯一心許せる存在だったが、ある時、不審な形で死を遂げている。まさか、紫織が殺したのではないか。彰彦はずっと疑い続けているのだが・・・・・

刊行当時、私の周りの恩田陸さんファンの間で<初恋泥棒>と呼ばれていたのが、この彰彦です(笑)ものすごい美形で、裕福な家に生まれ、頭の回転の早い毒舌家。しかし実際は、誰より真っすぐな性格の持ち主で、自身の恵まれた境遇にコンプレックスを抱いています。内面ドロドロだった利枝子の後に素直な彰彦の章が来ることで、物語の雰囲気もガラリと変わりました。親友の死に紫織が関わっているであろうことは薄々察しがつくのですが・・・友紀の最期の場面を想像してみると、その禍々しさに背筋が寒くなりそうです。

 

「第三部 蒔生」・・・幼い頃から人にも自分自身に対しても冷めていて、何の感情も抱けない蒔生。何度恋人ができてもうまくいかず、結婚生活も破綻した。そんな彼が胸に秘め続けてきた、憂理失踪の謎。利枝子達に詰問された蒔生は、とうとう憂理について語り始め・・・・・

蒔生は、悪ぶった態度の彰彦とは逆に、一見人当りが良く柔和ながら、実は人の気持ちというものが分からず、自分自身のこともどうでもいいと思っています。一番人に興味のない彼が、憂理のことも紫織のことも、誰より知っているというのが何とも皮肉・・・でも、こういう掴みどころのない人間が妙に人を惹きつけるっていうの、分かるんだよなぁ。彼の目線で語られる、失踪前の憂理が抱えていた苦悩が切なかったです。

 

「第四部 節子」・・・消えた憂理の謎は解け、一同は島のシンボルとも言える杉目指して歩き続ける。その最中、節子の胸に去来するのは、孤独だった子ども時代のこと、淡い想いを寄せていた蒔生のこと、間もなく別れの時が訪れる夫のこと。やがて、旅の終わりに四人が目にしたものとは果たして・・・

メンバーの中で一番バランスの取れた性格であり、<グループに彼女がいれば旅行はうまくいく>と評される節子が語り手を務めます。作中最大の謎だった憂理失踪事件の真相は第三部で判明しており、この第四部ではもともとの目的だった<J杉(縄文杉のことでしょう)を見ること><疚しいことのあるものには見えない伝説の桜を探すこと>に焦点が当てられます。ミステリー的な要素はないのですが、読み終わってみると、この旅は節子目線で島を歩くことでしか終わらせられなかったんだなと、しみじみ納得。こういう終わり方だったからこそ、四人はまた日常に戻ることができるのでしょう。蒔生に一発食らわせてやったことも含め、節子姐さん、素敵すぎます。

 

核となるのは憂理失踪事件ですが、作中ではその他にも<三歳の息子が馬を怖がるのはなぜなのか><叔父夫婦の家に泊まりに行った時、明け方に聞こえた音と振動は一体何なのか><高校時代、クラスメイトの自宅から一斉に表札が盗まれた理由とは>等々、各自が持ち寄った謎が語られます。四人が状況証拠から推理するだけで真相は確かではありませんが、この考察がすごく練ってあって面白いんですよ。色々と非現実的な部分(既婚者が家族置いて男女混合のグループ旅行になんて行かないだろう!とか)はあるものの、そもそもこの旅行のテーマは彰彦曰く<非日常>。ぜひ、彼らと一緒に屋久島を旅するつもりで楽しんでください。

 

語り手ごとの見え方の違いが面白い度★★★★★

屋久島紀行文としても秀逸です度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

     40歳を迎えた昔の仲間が屋久島で旅とは羨ましいと思いながらも、何か起こりそうな雰囲気満載ですね。
     クローズドサークルミステリーでなく旅情ミステリーで昔に戻るようで現実から逃れられない切なさがありそうです。
     夜のピクニックの20年後?~そんな雰囲気を感じます。4

    1. ライオンまる より:

      まさに大人版「夜のピクニック」です。
      こちらは全員アラフォーなため、仕事や結婚等、現実的な面にもしっかりフォーカスされていました。
      結構なボリュームですが、読み応えありますよ。

  2. オーウェン より:

    こんにちは、ライオン丸さん。

    この恩田陸さんの「黒と茶の幻想」は、日常の些細な謎から、人生を左右することになった謎まで、とにかく大小さまざまな謎が、たくさん積み重なってできている物語ですね。

    それぞれの謎には、きちんとした正解があるわけではなく、推理合戦があるわけでもなく、その多くは、会話の中で、まるで糸が解けるように、自然に明らかになっていきます。

    それらの謎の中で一番大きく、物語の要となっているのは、「梶原憂理」の存在。
    恐らく、既にこの世にはいないであろう憂理の存在が、まるでY島(屋久島でしょう)の森のように作品全体を覆っています。
    この「梶原憂理」と「森」は、静かでありながらも、圧倒的な存在感を持って迫ってきますね。

    1つの物語が、この4人の視点から順に語られていくのですが、この4人がそれぞれに魅力的です。
    かなりの美人なのに、飾り気のないストレートな性格のせいで、全然美人に見えない節子、目立つ美人ではないけれど、清潔感と品の良さがある利枝子。
    冷たく、恐らく、自分以外は誰も愛していない蒔生。
    驚くほどの美形なのに、口を開けば皮肉と毒舌で周囲を驚かせる彰彦。

    それぞれが、きちんと自分で物を考え、感じ、そして受け止めています。
    だからこそ、4人の距離感もこれほど心地良いのでしょう。
    お互いにリラックスしながらも、緊張感を孕み、しかし、生々しくない関係。
    学生時代からの友達ということで、今さら見栄をはる必要がないというのも大きいでしょうけれど、生々しい感情が、少し浄化されたようなこの年代という設定が、また効いているように思います。

    4章のどれも、とても魅力的でしたが、私が一番惹かれたのは蒔生の章。
    一番気になったのは、やはり蒔生と憂理のことでした。
    蒔生の心の中の声と、実際に話している声の対比。

    このクライマックスは凄いですね。しかし、最後の節子の章には、終章に相応しい静けさがあり、旅の終りの物悲しさとよく調和していて良いですね。
    このように、静かに終焉を迎えるような終わり方は、「六番目の小夜子」を彷彿とさせるものがありますね。

    4人はこの旅行を通して、それぞれに既に忘れていた出来事や、気付いていなかった気持ちを改めて受け止めることになります。
    まさに、過去を取り戻す旅。それらは、彼らにとっては決して優しく心地よいことばかりではなく、辛く哀しいものも多く含まれています。

    しかも、過去を取り戻すことなど、本当は誰にもできはしないのです。
    結局、彼らがしたことは、過去を消化し、仕舞いこみ、もしくは葬り去り、人生のターニングポイントを無事に迎えるということでしょうか。

    自分が思う自分と、他人の思う自分との違い、4人がそれぞれに見るそれぞれの真実。どれが正しく、どれが間違っているということはなく、その全てが真実なんですね。

    誰に何にシンクロするかによって、人によって、まるで違う読み方ができそうな気がします。
    とにかく、この作品は、恩田陸さんのエッセンスがぎっしりと詰まった作品だと思います。

    1. ライオンまる より:

      オーウェンさん、こんにちは。
      恩田陸さんらしい幻想的な雰囲気ながら、消化不良感は全然なく、最後まで楽しく読むことができました。
      最近の恩田作品はファンタジー寄りのものが多い気がしますが、個人的にはこの頃の、きちんと結末が提示される作風の方が好きだったりします。
      かなりのボリュームにも関わらず、定期的に読み返したくなる一冊です。

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