<テレパシー>という超能力があります。これは、心の中の思いが、言葉や身振り手振りを使わずに他人に伝わる能力のこと。SF作品などで敵相手に大立ち回りするような派手さはないものの、実生活では結構便利そうな能力に思えます。
テレパシーが登場する小説としては、筒井康隆さんの『七瀬三部作』と宮部みゆきさんの『龍は眠る』がぱっと思い浮かびました。どちらにも、己の能力に苦しみ、葛藤する超能力者が登場します。では、この作品ではどうでしょうか。瀬尾まいこさんの『掬えば手には』です。
こんな人におすすめ
テレパシーが絡んだヒューマンストーリーが読みたい人

いっぱしの読書家を気取っている私ですが、最近、買う本の冊数はずいぶん減りました。読みたい本がある時は、図書館で借りるのが基本。欲しい本を片っ端から買っていくとあっという間に財布が空になってしまいますし、本の置き場所も無限にあるわけではありません。子どもの頃はあまりよく考えず小遣いをどんどん本に費やしていましたが、成人した今となってはそうもいかないのが現状です。
私は九州人ということもあり、子どもの頃から方言が身近に存在していました。成長後、地元を離れた時、標準語だと思っていた言葉が実は方言だと知って驚いたり、話し言葉から同郷出身者が分かって何となく嬉しかったりと、方言にまつわる思い出も結構あります。そう言えば、メダカは理科教育が広がるまで<メダカ>という統一名がなく、方言による呼び名が日本全国に五百個近くあると知った時は衝撃だったなぁ。
皆さんは、どんな都市伝説がお好きですか?国内外合わせると膨大な数の都市伝説が存在しますが、ホラー大好き人間な私は、やっぱり怪談系の都市伝説に惹かれます。口裂け女、赤マント、三本足のリカちゃん、さとるくん、ひきこさん・・・話を聞いた人のところに現れる<カシマさん>なんて、怖すぎてパニック起こしそうになったっけ。
そこそこ大きな自治体の場合、たいてい地域内に複数の図書館を持っています。多くの図書館利用者は、その中から自宅や学校、勤務先に近く、通いやすい図書館を選んで利用しているのではないでしょうか。私も自宅近くに図書館があるため、時間があるたびに通うようになって早数年。書棚の位置もすっかり頭に入り、読みたい本を探すのも楽ちんです。
日本語って、とても美しい言語だと思います。もちろん、どの民族にとっても自国の言葉は誇れるものなのでしょうが、神々が出雲大社に集まる十月を<神無月>(出雲地方では神在月)と呼んだり、雪の結晶の多くが六角形をしていることから雪を<六花>と表現したりする感覚は、日本語独自のものではないでしょうか。こういう雅な表現が大好きな私は、学生時代、古文の資料集を読んで悦に入っていたものです。
写真が発明されたのは、一九世紀前半のことです。この当時、産業革命によりいわゆる中産階級が多数出現し、彼らの間で肖像画が流行したことで、一気に写真の需要も高まったのだとか。そんな写真は一八四三年、長崎に入港したオランダ船により日本に入ってきました。当初は一枚撮るのにも特殊な技術や設備が必要だったようですが、インスタントカメラや携帯電話、スマートフォン等の普及により、今やその気になれば幼児だって写真を撮ることができます。
クリエイティブな世界には、複数の名義で作品を発表されている方がしばしば存在します。理由は人それぞれでしょうが、一番は、名前に付きまとうイメージや先入観を払拭するためではないでしょうか。〇〇先生は恋愛漫画とか、△△先生はロックミュージックとか、色々イメージがありますからね。
音楽とは文字通り<音を楽しむ>ものです。私は生憎音楽があまり得意ではありませんが、カラオケに行ったり歌を聞いたりするのは大好き。iPodにお気に入りの曲を入れ、登下校や通勤、ショッピング中などに聞くのが昔からの日課でした。
「恋愛にルールなんてない」「恋する気持ちを咎めることは誰にもできない」。小説内において、禁じられた恋に苦しむ登場人物達がしばしば口にする台詞です。まったくもってその通りで、好きという気持ちを否定したり、命令で動かしたりすることは不可能です。