この世には、是非が簡単に決められないものがたくさんあります。<復讐>もその一つ。聖書に<復讐するは我にあり>と書いてあるように、個人が勝手に復讐することは許されないという考え方は、社会に根強く浸透しています。現実問題、一人一人が自由気ままに憎い相手に復讐していけば秩序は崩壊してしまうわけですから、それもやむをえないと言えるでしょう。
その一方で、「加害者に相応の罰を与えるのは、被害者の権利ではないのか?」という考え方も、間違っているとは言い切れません。実際、過去には<目には目を>で有名なハンムラビ法典や、江戸時代の仇討ち等、一定のルールの下で復讐を許した例も存在します。果たして復讐は許されるのか否か。この作品を読んで、改めて考えさせられました。櫛木理宇さんの『世界が赫に染まる日に』です。
こんな人におすすめ
少年犯罪にまつわるサスペンスが読みたい人

一昔前、この世における性的指向は異性愛、すなわち男女間で性的な愛情を抱き合うのが一般的とされていました。同性愛という概念自体は昔から存在したようですが、多少例外はあれど、それは基本的に不健全で非常識。差別の対象となったり、病気の一種と捉えられたり、最悪、魔女狩りのターゲットとされることすらあったと聞いています。
デスゲームもの、というジャンルがあります。これは、逃亡不可能な状況に置かれた登場人物達が、生死を賭けたゲームに参加する様子を描いたもの。生還者は一人だけと決められていたり、進行次第では全員生還も可能だったり、敗者は命ではなく社会的生命を奪われたりと、個性的な設定がなされていることが多いです。
一説によると、鳥類の中で一番賢いのは鴉だそうです。その知能は霊長類に匹敵し、記憶力・観察力にも優れ、人間の顔を見分けたり、道具を使ったりすることも朝飯前。分野によってはサルを超える成績を出すこともあるのだとか。その賢さや真っ黒な外見、敵を集団で攻撃する習性などから、不吉の象徴であり、魔女や悪魔の手先とされることが多いです。
一昔前、<お年寄り>という言葉が持つイメージは、貫禄や老練、泰然自若といったものでした。最近はどうでしょうか。老害、暴走老人、シルバーモンスター・・・残念ながら、そんなマイナスイメージのある単語が飛び交っているのが現状です。もちろん、老若男女問わず、非常識で悪質な人間はいつの時代も大勢いました。ただ、感情をコントロールする前頭葉の機能は、ただでさえ加齢により低下するもの。加えて、核家族化や非婚化が進む現代において、かつてのように家族と暮らすことができず、コミュニケーション能力が一気に衰えて暴走するお年寄りが増えたことは事実だと思います。
本の内容と、その本を読むタイミングというのは、密接な関係があります。例えば、大きな物事に臨む時はスカッとする勧善懲悪ストーリーがいいとか、落ち込んでいる時は悪人が出てこないハートフルコメディがぴったりとか。たかが本、されど本。読書には人の気分を左右する不思議な力があるものです。
これは小説に限った話ではありませんが、この世には<万人受けするジャンル>と<そうでないジャンル>の二種類があります。前者はコメディやヒューマンストーリー、後者はイヤミスやホラー。好みはあるにせよ、ユーモラスなほのぼの小説を読んで吐き気を催す人は少ないでしょうが、イヤミスやホラーだとそれがあり得ます。
相手の人となりや行動を表現するための比喩として、しばしば動物が用いられます。「ライオンのような雄姿だ」となれば<勇ましく堂々とした態度>、「まるでねずみのような奴」なら<こそこそと卑しい様子>となるでしょう。実際にその動物がそういう性質かどうかは、それこそ個体差もあるのでしょうが、動物が持つイメージというのはあると思います。
現在、インターネットは生活の至る所に浸透しています。一体いつからかは正確には分かりませんが、少なくとも私が大学生になる頃には、多くの人達が当たり前のようにネットで情報を検索したり、発言や創作物をネットに投稿したりしていました。ネットの危険性が声高に叫ばれるようになったのも、この頃からだと記憶しています。
今更言うまでもない話ですが、殺人という犯罪は多くのものを奪っていきます。被害者本人の命や尊厳はもちろん、その家族の人生をも大きく揺るがし、ひっくり返し、時に破壊してしまうことすらあり得ます。昔見たドラマで、息子を殺された父親が言っていた「家族全員殺されたようなものだ」という台詞は、決して大げさなものではないのでしょう。