はいくる

「あなたが正しくいられたとき」 芦沢央

「正義の反対は悪ではない。また別の正義」。ネット上でも頻出するフレーズなので、見聞きしたことのある方も多いのではないでしょうか。『クレヨンしんちゃん』で野原ひろしが言ったとされがちですが、本当に作中にそういう場面があるかどうかは未確認。実際は、ゲーム『パワプロクンポケット7』で、登場人物の一人が言った台詞が元ネタのようです。

誰が言ったかどうかはともかく、間違いなくこの世の真理の一面を衝いた台詞だと思います。自分の行動が誰かに不利益を及ぼしたとして、バトル漫画に出てくる悪役よろしく「フハハハハ!貴様の苦しむ顔さえ拝めればそれで満足だ!」と高笑いする人間は、そう多くないでしょう。「そんなつもりはなかった」「むしろ良かれと思って」「これこれこういう事情があったんだ」等々、己の主義主張を持っているパターンの方が多いはずです。人間の数だけ正しさがあり、意見があり、主張がある。たとえ、それがどんな結果を生もうとも。今回は、そんな皮肉な<正しさ>をテーマにした作品をご紹介します。芦沢央さん『あなたが正しくいられたとき』です。

 

こんな人におすすめ

人間の心の歪みを描いた短編集に興味がある人

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あなたは、いつも正しい人だから---――正義感の強い男に付きつけられる意外な一言、傑作を書き上げた男が知る罪と業、己の罪を隠蔽しようとする女の運命、惨たらしい殺傷事件が生んだ予想外の余波、偽装工作に走る男の足元をすくったもの、棋戦を前にした町で起こる小さな異変・・・・・揺れる人間心理の奥底を描いたミステリー短編集

 

作風としては『汚れた手をそこで拭かない』に近いと思います。『許されようとは思いません』ほど壮絶な犯罪が出てくるわけでもなく、『火のないところに煙は』のようなホラー要素があるわけでもない。「〇〇のためを思って」「つい弾みで」誰かを傷つけたり一線を踏み越えてしまったりする一般人の姿が印象的でした。

 

「あなたが正しくいられた時」・・・消防士の窪田は、学生時代の同窓会に出席する。会場は、河原でのバーベキュー。元カノの黒川が今は未亡人となり、幼い娘を連れて出席しているため、なんとなく気になって仕方がない。和やかに会が進む中、黒川の娘が川に転落するも、窪田が冷静に救助して事なきを得た。事故発生直前、窪田には、黒川が自ら娘を川に突き落としたように見えたのだが・・・・・

表題作なだけあり、収録作品の中で一番インパクトがありました。子ども時代から正義感が強くて優しく、今なお<正しい>道を歩き続けている窪田。そんな彼が、思わぬ真相を突き付けられた瞬間のショックは、想像を絶します。元カノの黒川も、窪田の姉も、そんな窪田の良さを頭では分かっている分、余計にやるせないというか・・・でも、窪田が消防士として優秀なのは間違いないと思うので、今後もそこは損なわないでほしいです。

 

「代償」・・・主人公は売れない作家。苦節数年を経て、ようやく会心の出来と言える一作を書き上げた。これならきっと売れる。長年、自分を支えてくれた妻にも恩返しできる。主人公は意気揚々と原稿を妻に読んでもらい、感想を求めた。ところが妻は、「これとそっくりなWeb小説をインターネット上で読んだことがある。向こうの方が先に公開しているから、盗作扱いされるのでは?」と言い出して・・・

本作収録作品は、複雑にねじれた人間心理を描いた話がほとんどで、「当事者でなければこの気持ちは理解できないよな・・・」と思わせるものが多いです。そんな中、この話はオチへの持って行き方がストレートで、一番すんなり納得できました。Web小説が絡んだ盗作問題がテーマかと思いきや、まさかそう着地するとはね。主人公が、妻への感謝と配慮を忘れない姿は良かったです。

 

「薄着の女」・・・自身を脅迫してきた元カレを殺害してしまったアイドル・ユリ。こんなことがバレたら、念願だった女優への道が閉ざされる。応援してくれた家族やファンを失望させてしまう。ユリは決死の覚悟で現場を密室に仕立て上げ、完全犯罪を目論んだ。捜査のためやってきたのは、なんとも風変わりな刑事で・・・・・

やるせなさやほろ苦さが漂う収録作品中、この話はシニカルなユーモア溢れる密室ミステリーです。犯行が冒頭で行われる倒叙形式の作風といい、探偵役を務める十時(ととき)警部のポジションといい、三谷幸喜さんの有名刑事ドラマを連想する読者も多いでしょう。謎解き自体はかっちりした構成のものなのですが、一番印象的なのはラスト一ページ。作中でやたら繰り返されていたフレーズが、まさかそんな意味だったとはね(笑)

 

「立体パズル」・・・作家である主人公の癖は、自作の舞台となる土地を実際に歩き、家々を観察し、買い物をすること。そうすることで、登場人物たちが立体的に感じられるのだ。そんなある日、主人公の息子と同い年の少年が、騒音でクレームを入れてきた男に殺害されるという事件が起こる。犯人は逃走中だが、彼の前半生は驚くほど輝かしいものだった。犯人がこの町をうろついているらしいという噂が流れ、大人たちは不安を募らせるが・・・・・

通常の小説なら、騒音を理由とした殺傷事件に焦点が当てられそうですが、その辺りの描写はどちらかというとあっさり目。事件を知って警戒心を抱く<正しい>大人たちと、その正しさの果ての<ある可能性>がメインテーマとなっています。子どもが犠牲となっているだけあって、終始漂うヒリヒリした雰囲気が臨場感たっぷり。これは完全に私の想像ですが、芦沢央さんの作家としてのスタンスは、この主人公に近いのでは?と思っています。

 

「待てば無料」・・・体が不自由な祖父を、不注意から死なせてしまった主人公。焦るあまり、咄嗟に偽装工作を施し、「外出から帰宅したら、祖父がもう死んでいた」という状況を作り上げた。計画は完璧のはずだった。その一風変わった刑事が現れるまでは。

十時警部再登場です。作中で明言されてはいませんが、うっかりミスにより祖父を死なせた主人公が隠蔽に走る理由は「え、じいちゃん死んだの?ヤバ。バレたら俺、怒られるじゃん」というもの。この辺り、嫌な意味でリアリティありますね。どう考えても、偽装工作がバレた方が大問題でしょうに。あと、倒叙ミステリーという性質上、結局は犯行を暴かれるわけですが、最後に十時刑事がちょっとした読み違えをしてしまうところが印象的でした。名刑事すら読めないほどの動機のしょーもなさ・・・こういうこと、現実にもあるよなぁ。

 

「投了図」・・・将棋の大きなタイトル戦が行われることとなり、盛り上がる地方都市。そんな中、町に棋戦の中止を訴えるビラが貼られるという騒ぎが起こる。古書店を営む主人公・美代子はふと、嫌な予感を覚えた。ビラの文字が、夫のものとよく似ているのだ。まさか、あのビラを貼ったのは夫なのか。仮にそうだとしたら、夫はなぜそんなことをするのか。夫はかつて奨励会に所属していたほどの将棋好きなのだが・・・・・

将棋というテーマと、コロナ禍の絡め方が秀逸でした。あの時期は、一体何が正しいのか、分かる人なんて誰もいなかったですものね。決して褒められるべきではない行いが出てくるけれど、手を取り合う主人公夫婦の姿や、一途に将棋を愛する少年の姿が清々しかったです。なお、この話は芦沢央さんの将棋ミステリー短編集『神の悪手』と世界観を共有しています。既読なら「おっ」と思う場面がありますよ。

 

本作収録作品は、すでにアンソロジー等に収録されたものばかりです。もし「絶対に初読みしたい!」と思う方は、あとがきに収録本のタイトルが記載されているので、チェックすることをお勧めします。私はたまたますべて未読だったので、新鮮な面白さを味わうことができました。

 

著者曰く「ごった煮のような短編集」・・・だがそれがいい!!度★★★★★

比較的読後感の良いものばかりです度★★★★★

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