はいくる

「水銀虫」 朱川湊人

実は私、頭に大が付く虫嫌いです。刺されたとか噛まれたとかいう経験があるわけでもないのですが、あの細い手足やもぞもぞした動きが嫌で嫌で・・・ゴキブリやスズメバチはもちろんのこと、チョウチョやテントウ虫さえ冷や汗をかくレベルです。

ただ、実物が目に映らなければ比較的大丈夫ですので、虫が登場する小説は何冊か読みました。世界的に有名なフランツ・カフカの『変身』、その『変身』をどことなく連想させる黒澤いづみさんの『人間に向いてない』、生理的な気色悪さが読者を襲う貴志祐介さんの『天使の囀り』などは、初読みの時のインパクトを今でもはっきり覚えています。これらはすべて、物理的に虫が存在する作品ですので、今回は嫌悪感やおぞましさの象徴として虫が出てくる作品を取り上げたいと思います。朱川湊人さん『水銀虫』です。

 

こんな人におすすめ

後味の悪い短編ホラー小説が読みたい人

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不審な女との会話から浮かび上がる恐ろしい真実、幸せそうな夫婦が抱える業深い秘密、家族のため悪魔と戦おうとする少年の末路、孫を亡くした祖母がなしたおぞましい選択、クリスマスイブに甦る過去の傷、少年たちが山で出会った異形の生き物、心を病んだ妻を裏切る夫の行く末・・・・・体を、心を、その虫が這い廻り蝕んでいく。闇の世界を垣間見た人々の運命を描く、戦慄のホラー短編集

 

タイトルの<水銀虫>とは、恐らく作者である朱川さんの造語で、何らかの罪を背負う人々の心を這い廻って穴を開ける存在なんだとか。実際にこの水銀虫が作中に登場するわけではないのですが、何かが全身をぞわぞわと蠢き這いずるような恐怖感はまさに虫そのもの。不倫、いじめ、薬物など、各話の生臭いテーマともマッチしていたと思います。

 

「枯葉の日」・・・喫茶店で荒んだ様子の女と相席になった主人公。女は妙に馴れ馴れしいが、ある事情からやけっぱちになっていた主人公は彼女に一日付き合うことにする。紳士的に振る舞う主人公に、女は問う。「そんなにいい人なのに、どうして人を殺したりしたの?」と・・・・・

ものすごくやるせなく救いもない話なんですが、登場人物や風景の描写がなかなか美しく、詩的な雰囲気さえ感じました。この主人公は、何かがほんの少し違えばまっとうな人生を歩んでいたのだろうなと思えてより哀しい・・・そして、主人公と女、それぞれが見るお互いの姿を想像するとゾッとしちゃいます。

 

「しぐれの日」・・・荒れた家庭に帰りたくない一心で、見知らぬ家の軒先で雨宿りする少年。そんな彼に、近所のアパートに住む女性が声をかけ、家に招いてくれる。間もなく女性の夫も帰宅し、少年は幸せそうな夫婦と共に楽しい時間を過ごす。夫婦にはどうやら子どもがいるようなのだが・・・・・

少年の目に映る若夫婦があまりに幸福そうで、これは絶対何か裏があると思ったのですが、まさかこういう展開だったとは(汗)この夫婦は覚悟の上かもしれないけど、いきなりこんなものを見せられた少年は一生心の傷になったんじゃないでしょうか。ラスト、少年が町で見かけた夫の姿がやるせないです。

 

「はだれの日」・・・十七歳を迎える直前、姉が自殺した。あんなに明るく、自殺する理由など何一つないのに。打ちのめされる母に近づいてきたのは、姉の友人・さな子。彼女の支えで母は気力を取り戻しつつあるように見えたが、実はさな子は人の心を弄び死に追いやる悪魔のような女だった。母を守るため、弟はある決断をし・・・・・

本作は基本的に<得体の知れない存在への恐怖>を描いているのですが、このエピソードで恐怖の根源となるのは生きた人間。でも、他人を洗脳して支配下に置く事件って現実にもあるし、今この瞬間もどこかでこんなことが起きていそうな気がします。弟の気持ちは分かるけど、ラストの展開を見るにさな子は・・・・・後味悪っ!!

 

「虎落の日」・・・孫を伴い、長年の女友達・雅江の家を訪ねた富士子。雅江は大切な孫を交通事故で失っていた。久しぶりに顔を合わせた雅江は、富士子と孫を歓待し、手料理を振る舞ってくれる。だが、富士子は雅江宅を訪れた瞬間からある違和感を感じていて・・・

「はだれの日」とは違った意味で、生きた人間の恐怖や怖さを描いたエピソードです。富士子らが陥った状況はあまりに悲惨なのですが、最愛の孫を亡くした雅江の心境を思うと、恐ろしさだけでなく哀しさも感じます。グロテスクとも取れる描写があるので、苦手な人とっては本当にキツいかもしれません。

 

「薄氷の日」・・・クリスマスイブ、奈央は理想的な恋人・良輔とのデートに有頂天。良輔との結婚が叶えば、夢にまで見た玉の輿が実現する。だが、奈央には一つ不安があった。それは毎年この時期になると現れる<クリスマスの怪物>のことだ。実は奈央には怪物の正体に心当たりがあって・・・・・

世にも奇妙な物語で「クリスマスの怪物」というタイトルで実写化されています。主人公を待つ運命は惨いものですが、彼女がしたことを思うと因果応報・天罰覿面という言葉が浮かびます。そういう意味では、収録作品中で一番後味が良いエピソードかも?こんな風に悪い子にお仕置きをする存在って、いてもいいのかもしれませんね。

 

「微熱の日」・・・学校帰りに秘密基地に向かう男子小学生二人組。この基地で秘密の遊びに耽るのが彼らの楽しみなのだ。途中、転校生の山崎と出くわし、流れで三人揃って基地に向かうことにするのだが・・・・・

後味悪いを通り越して胸糞悪さすら感じました。やっぱり、子どもが残酷な運命に巻き込まれるエピソードは精神的にキツいですね。<あれ>が気の毒なのは言うまでもありませんが、やんちゃの高すぎる代償を払う羽目になった主人公達の今後も心配です。本当なら、<少年時代にちょっと悪さした思い出>で済むはずだったのになぁ。

 

「病猫の日」・・・大学図書館勤務の主人公は、心を病んだ妻の介護に悩んでいる。どれだけ妻を支えても先は見えず、疲労はピーク。若い女性部下のアプローチに心の慰めを見出す毎日だ。そんなある日、主人公は不審な黒ずくめの男を目撃し・・・・・

最終話は、他の収録作とは少し趣が異なり、ミステリーとも取れる要素があります。主人公を単なる不倫男ではなく、鬱病を患う妻の世話で疲れ切っているという設定を加えて描いているところが印象的ですね。ラストの展開は賛否両論ありそうですが・・・本作は水銀虫に蝕まれた人々を集めた短編集なので、主人公は罪を背負うという解釈で合っているんでしょう。

 

作中に<水銀虫>という言葉が出てくるのは第三話「はだれの日」だけですが、どのエピソードにも主人公らが感じる恐怖を虫で喩えた箇所があります。<何百匹もの虫が頭の中を走り回っているような>だの<足の早い甲虫が神経の上をコチョコチョ走っているみたいな>だの、描写が妙にリアルで生理的嫌悪感を感じること間違いなし。後味は悪いですが短編ということもあってするする読めます。やっぱり私は、朱川さんのヒューマンストーリーよりイヤミスや絶望ホラーの方が好きだなと再認識しました。

 

誰の心にも水銀虫はいる。ただ気づいていないだけ度★★★★★

ハッピーエンドは期待しないで度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    小説・漫画・ドラマで虫はカラスや黒猫同様、不吉な出来事の始まりというイメージがあります。暑くなる時期にちょうどいいホラーのようですね。
    朱川さんの作品は未読でした。
    救いのない結末のようでも何故か読みたくなりそうです。

    1. ライオンまる より:

      蒸し暑くなる時期にはぴったりですよ。
      朱川さんは、郷愁を誘うヒューマンストーリーもたくさん書かれていますが、インパクトという点では
      こういうホラーの方が勝っていると思います。

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