はいくる

「その手をにぎりたい」 柚木麻子

私は昔から魚介類が大好きです。海が近い地方で育ったせいか、肉より魚の方になじみ深さを感じます。子どもの頃はそれなりに好き嫌いがあったものの、魚に関しては、骨たっぷりの焼き魚だろうと、独特な匂いの青魚だろうと、ぱくぱく食べていたものです。

日本にはたくさんの魚介料理がありますが、その中でも代表的なのは寿司ではないでしょうか。新鮮な海産物と清潔な調理環境があって初めて成立する寿司は、今や世界に誇る日本のソウルフードです。今日は、寿司がキーアイテムとして使われる作品を取り上げたいと思います。柚木麻子さんの『その手をにぎりたい』です。

 

こんな人におすすめ

バブル期前後の女性の成長物語に興味がある人

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私は、あの手に魅せられてしまった---――退職して田舎へ帰る直前、ひょんなことから出会った若き寿司職人と、彼の握る寿司に夢中になった主人公・青子。私は、自力でこの寿司を食べることのできる女になろう。青子は一念発起して再就職し、時間とお金をやり繰りして寿司屋に通うようになる。身を削るように邁進した仕事。いくつかの恋と破局。失った友情と得た同志。そしてバブル時代の終わり。そのすべての傍らには、彼と、彼の握る寿司があった。一人の女性が生きた激動の十年を描く成長物語

 

柚木麻子さんの著作には『あまからカルテット』『ランチのアッコちゃんシリーズ』『嘆きの美女』等々、食が重要なテーマとなるものがたくさんあります。本作のテーマとなるのは寿司。一見シンプルなようで無限の広がりを持つこの料理と、八〇~九〇年代前半という時代、そこで懸命にあがく女性の生き方が見事にマッチしていました。

 

主人公・青子は、数年勤めた会社を辞め、実家で見合いしようと考えているOL。ある夜、上司に連れられて高級寿司店<すし静>に入った青子は、そこで働く寿司職人・一ノ瀬の手の頼もしさと、寿司の美味しさにすっかり魅せられてしまいます。田舎に帰っては、彼とも、彼の握る寿司とも二度と会えない。青子は不動産会社に転職し、少しずつ給料を上げ、自力で<すし静>へ通えるよう奮闘します。何年もかけて常連としての地位を確立していく青子ですが、一ノ瀬との関係は客と職人のまま。カウンター越しに語り合いながら、互いに新たな出会いと別れを経験する二人。そんな中、バブルが崩壊する日がやって来て・・・・・果たして青子の秘めた思いが報われる日は来るのでしょうか。

 

青子と一ノ瀬の関係が男女としてはいっこうに進展せず、あくまで常連客と職人のまま親しくなっていくというのが面白いです。一ノ瀬の手にセクシャルな魅力を感じつつ、踏み出すことのできない青子は、同僚や仕事で知り合った男といくつか恋を繰り返します。これはミステリーではないので書いてしまいますが、一ノ瀬は一ノ瀬で、中盤、別の女性と結婚します。豊かな時間を共に過ごしつつ、カウンター越しに向き合うだけの男と女。一線は引きつつも、会話や表情の描写から二人が信頼関係を築いていくのが分かって、切なくも温かい気持ちにさせられました。二人が互いに成長していくのを見守る常連客の澤見、<すし静>をよく利用する水商売のミキ、青子と親しい元同僚の幸恵、青子の恋の相手である大島や広瀬といった脇役も個性たっぷりに描かれていて、一ページたりとも飽きなかったです。

 

そんな青子の人生をより一層豊かに彩るのが、作中に登場する寿司です。とろけるようなヅケ、季節のイカやウニ、注文時の不文律を無視して頼んだトロ、体調不良の青子のために作られたエビのおぼろetcetc。特に奇をてらったものではない、それでも職人が丹精込めて握った寿司が本当に美味しそう!供される寿司と、その時の青子の状況や心情がちゃんと重なる構成も実に心ニクいです。高級寿司店のことなどまるで分らずオドオドしていた青子が、少しずつ店内での立ち居振る舞いを学び、注文の仕方や味わい方に変化が出てくる様子。それに伴い、「女の子はクリスマスケーキと一緒だし、親元で見合いした方が賢明」と言われていた前職から、不動産会社で頭角を現し、世知に長けていくと同時に真っすぐさを失っていく姿が、共感度たっぷりに綴られています。同時に、大将が代替わりしたことで、<すし静>もまた少しずつ変わっていって・・・成長すること、変化することの意義と寂しさで、胸が一杯になりました。

 

ストレートな恋愛小説とは違うものの、時代の荒波の中でもがく社会人の人間模様を堪能できる佳作だと思います。何より、「美味しいものは自力で食べたい」というスタンスで生きる青子が好感度大!柚木作品の主人公は応援したくなるタイプが多いのですが、その中でも一、二を争うくらい好きなヒロインです。

 

青子の生き様が清々しい!度★★★★★

絶対に寿司が食べたくなる度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

     懐かしいですね。
     柚木麻子さんの「ランチのアッコちゃん」の次に読んだ作品で最近も再読しました。
     バブル時代の煌びやかな情景が目に浮かぶと同時に、お寿司の丁寧な味わいの描写が印象的でした。
     ガリの風味まで感じた気分になりました。
     読んでいて青子は「美味しんぼ」の栗田ゆう子に似ていると感じました。
     昭和時代の典型的なお嬢さん、大学と数年の社会人を経験して実家に戻って結婚する、そんなレールを降りて自分で稼いだお金でお寿司を食べることを目標に必死に業績を上げる。
     青子が思いを寄せる一ノ瀬より不動産会社時代の後輩で青子が田舎に帰る時に家財道具とマンションの売買を託した男性との関係が印象に残ってます。
     青子はランチのアッコちゃんに登場する澤田美智子の次に好きな柚木キャラクターです。
     青子や美智子のその後のストーリーを期待したいですが、そのままの終わるのもアリだと感じます。
     中山七里さんの「厄災の季節」借りてきました。
     娘が借りてきて欲しいといった加納朋子さんの「モノレールねこ」読みました。
     題名のモノレールねこの文通相手との10年振りの出会いが印象的でした。
     本日、大阪万博に行く予定ですが津波警報で途中で帰宅しました。

    1. ライオンまる より:

      津波警報、驚きました。
      予定が急遽変更となって大変だったでしょうが、大事に至らなくて何よりです。
      こちらは今回こそ影響無しでしたが、海が近い土地柄なので、決して他人事ではありません。

      栗田ゆう子!確かに!
      あの後輩男子とあっさり恋愛関係にせず、同僚のまま終わるという展開が逆に良かったです。
      私は青子はもちろんのこと、けんか別れしたミキの今後が気になるので、脇役でもいいのでどこかで再登場してほしいです。
      こちらは若竹七海さん「まぐさ桶の犬」、宮部みゆきさん「猫の刻参り」、芦沢央さん「嘘と隣人」が一気に届きました。
      久しぶりにアクセル全開で読む必要がありそうです。

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