はいくる

「Q&A」 恩田陸

<群衆事故>という事故があります。文字通り、統制・誘導されていない群衆によって引き起こされる事故のことで、集団の密度が高ければ高いほど発生リスクが高まるのだとか。二〇二二年に韓国で起きた梨泰院群衆事故は記憶に新しいですし、日本でも二〇〇一年に兵庫県明石市で花火大会帰りの群衆が歩道橋に殺到し、十一名の死者を出す大惨事になっています。

これは群衆事故に限った話ではありませんが、悲惨な事故が起こった場合、<なぜそんなことが起こったか>を調べるのはとても大事なことです。そして、フィクション作品の場合、大抵この<なぜ>の部分にとんでもない謎や秘密が仕掛けられていることが多いです。では、この作品はどうでしょうか。今回は、恩田陸さん『Q&A』を取り上げたいと思います。

 

こんな人におすすめ

インタビュー形式で進むホラーミステリーが好きな人

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首都圏のショッピングセンターで起きた、悲惨な群衆事故。死者六十九名という大惨事ながら原因がまったく分からず、関係者は頭を抱える。事態解明のため、事故の負傷者や目撃者に聞き取り調査が行われるも、彼らの証言は食い違うばかり。不倫中の主婦、認知症の妻を抱えた老人、習い事のコーチからのセクハラに悩む小学生、元妻への鬱屈した思いを持て余す弁護士、事故の日から家族を失う恐怖に苛まれる消防士・・・・・あの日、あの場所で一体何が起きたのか。謎が謎を呼ぶ、新感覚ホラーミステリー

 

私の大好物、登場人物の証言形式で進んでいく作品です。他に例を挙げると、貫井徳郎さんの『愚行録』や深木章子さんの『鬼畜の家』『敗者の告白 弁護士睦木怜の事件簿』などと近い雰囲気ですね。これらが一個人が巻き込まれた殺人事件を扱っているのに対し、本作で出てくるのは社会を震撼させた群衆事故。犯人捜しではなく事故原因究明というテーマが、なかなか目新しいです。

 

明るく賑わう某ショッピングセンターで、大変な事故が起きます。客達がなぜか突如パニックを起こしてその場から逃げ出し、結果、大規模な群衆事故が発生。最終的に死者六十九名、負傷者一一六名という大惨事となったのです。一体どうしてこんな事故が起きたのか。原因を突き止めるため、事故の関係者達の証言を集めるものの、彼らの話はてんでばらばら。奇行に走る老夫婦を見たという者、異様な液体を撒く男がいたという者、騒ぎの最中に妙な臭いをかいだという者。さらにこの事故は、騒動鎮圧後も人々の心に深い傷を残し、やがて社会を巻き込む事態に繋がっていきます。果たして、悲劇の発端となった事故の原因は何だったのでしょうか。

 

とにもかくにも、前半で語られる事故当日のショッピングセンターの様子が怖すぎる・・・なぜか唐突に「悔い改めなさい」と言ってのけて刃物を出す老夫婦に、謎の液体(後に犬の尿と判明)を撒く男だなんて、目撃した人間が大急ぎで逃げ出すのも分かる不気味さです。この辺りまで読んだ読者の多くは、「なるほど。不審な出来事がたまたま同時刻にあちこちで発生し、パニックが連鎖したのか」と思うでしょうが、これはあくまで前半の話。後半は一気にきな臭くなり、やがて社会を混乱の渦に巻き込む悲劇に発展していきます。

 

とはいえ、私としては、愚かで悲しい人間模様が描かれる前半の方が好きですね。認知症の妻との生活に悩み、冷たい息子への恨みを募らせるおじいさんとか、男から性的な目で見られることに疲弊した女子小学生とか、読みながら気分が塞いでくる描写が目白押し。中でも、ショッピングセンターに駆けつけた消防士の話がインパクトあったなぁ。悲惨な現場を目撃した彼はPTSDを患い、「自分の家族もこんな災難に巻き込まれたらどうしよう」という恐怖から逃れられなくなります。悩む彼が思いついた、絶対に家族を奪われずに済む方法。仄めかされる末路の救いのなさに唖然としてしまいました。

 

この消防士に限らず、事故の影響で人生が大きく変わった人達の描写が、なんとも業深いのです。事故から無傷で生還した娘をシンボルとして祀り上げ、宗教団体を立ち上げる母親の話なんて、現実にあり得ないと言い切れない所が実に嫌な感じ。ただ、この母親にしろ、他の事故関係者にしろ、誰一人として故意に嘘はついていないんですよね。誰もがあの日、自分が見聞きしたものを信じ、「これが真実なんだ」と語っている。その真実がまるで噛み合わず、結果として全体像がさっぱり掴めない。五里霧中としか言いようのない混迷ぶりが生々しかったです。

 

前半と、政府陰謀説や新興宗教が絡んでくる後半とではずいぶん雰囲気が違いますが、スリリングさは折り紙付きです。注意点は、紹介文の中でも書いた通り、本作はミステリーというよりホラーだという点でしょうか。最後の最後で真相の一端らしきものが語られるものの、ここはもはや心霊現象かSFかというレベル。私はこういう展開が結構好きなのでOKですが、ミステリー的な解決編を待っていた方は拍子抜けしてしまうかもしれません。ご注意ください。

 

災厄とは大体が理不尽なもの度★★★★★

実は登場人物が少しずつ繋がってます度★★★★☆

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コメント

  1. しんくん より:

    群衆事故と言えば韓国の事件もそうですが、兵庫県明石市の事件はかなり衝撃的でした。実家が明石市に近いこともあり楽しいはずのお祭りでこのような悲劇が起こるのは現実的にあってはならない、危機管理の大切さを改めて思いました。
     昨日テレビで放映された「ジュラシック・ワールド」を観ていると危機管理も利益が絡むと後回しになりこのような悲劇が起こる~政治的、宗教的なものもお金が関係していると感じます。これは是非とも読んでみたいですね。

    1. ライオンまる より:

      私が本作を初めて読んだのは、刊行直後の二〇〇四年。
      韓国の群衆事故はまだ起こっていなかったので、脳裏にはずっと明石の歩道橋事故が浮かんでいました。
      SF要素がふんだんに含まれてはいるものの、架空と言い切れない現実感・臨場感があって恐ろしかったです。

  2. しんくん より:

     まさに韓国の梨泰院雑踏事故そのものだと感じました。
     テロとか政府の陰謀以前のただのパニックが拡散しただけだと感じました。
     韓国の梨泰院雑踏事故も明石の歩道橋事故も起こるべくして起こった?とすら思うほど群集心理の激しさは恐ろしい。
     多くの人に話を聞いて答えがでないまま終わるのがまさにホラーであり現実味がありました。
     
     

    1. ライオンまる より:

      執筆当時は梨泰院雑踏事故のことが分かるはずもありませんが、重なる部分がすごく多いですよね。
      恩田陸さんは、本作の頃から、明確な真相・オチを描写しないホラーないしファンタジー寄りの作風に移っていった気がします。
      三月末に新刊「spring」が刊行されていますが、これはどうなんでしょう?

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