はいくる

「看守眼」 横山秀夫

学生時代、進路指導の先生から「どんな職業でもいい。プライドと責任を持てる仕事をしてください」と言われたことがあります。この言葉の意味が少しずつ分かってきたのは、恥ずかしながら社会人になってから。会社員だろうと自営業だろうと専業主婦(夫)だろうと、自分のやることに誇りを持っている人は素敵です。

そんな人々を主人公にした<お仕事小説>というジャンルがあります。天祢涼さんの『謎解き広報課』では田舎の町役場職員の、荻原浩さんの『神様からひと言』では民間企業のお客様相談室の、坂木司さんの『シンデレラ・ティース』では歯科医受付の、様々な葛藤や挫折、やり甲斐や楽しさが描かれました。今日ご紹介するのは、普段は日が当たりにくい仕事の悲喜こもごもをテーマにした作品です。元新聞記者という経歴を持つ、横山秀夫さん『看守眼』です。

 

こんな人におすすめ

様々な職業の主人公が出てくるミステリーが読みたい人

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刑事に憧れ続けた男が追う事件の真相、大富豪の自伝から浮かび上がる罪と罰、離婚調停の中であぶり出される過去の傷、警察のHPを襲撃したクラッカーが残した言葉、記事の些細な間違いから始まる負の連鎖、負い目を持つ秘書が見出した活路・・・・・ままならない日々に煩悶しながら足掻く主人公たちを描いたミステリー短編集

 

横山秀夫さんと言えば、『半落ち』『臨場』『64(ロクヨン)』などのように、警察が絡んだ骨太な長編作品をイメージする人が多いと思います。本作はそれらとは少し趣が異なり、警察官だけでなくライターや家裁の調停委員、県知事秘書といった色々な職業の人間が登場する短編集。ジャンル分けするならミステリーなんでしょうが、短い分量の中にその職業の役割や葛藤が見事に書き込まれていて、改めて横山さんの筆力の高さを感じました。

 

「看守眼」・・・県警の機関紙編集を担当する事務職・悦子は、特集記事を出すための定年退職者の回想録が一人分足りないことに気付く。足りないのは、定年まで留置所の看守を務めた近藤という男の回想録だ。執筆を頼もうとする悦子だが、近藤は定年を前に、どうしても追いかけたい事件があるようで・・・・・

<刑事になりたかったがなれず、看守で定年を迎える男>という近藤のキャラクターが最高に味わい深いです。序盤では「プライドばかり高い偏屈男なのかな」と思わせるのですが、蓋を開けてみれば、看守という仕事を通し、見るべきものをちゃんと見極められるようになった職業人でした。メインの謎となる主婦失踪事件との絡め方もうまく、さすが表題作だなと唸らされます。

 

「自伝」・・・日々の仕事にも困るライター・只野が受けた、自伝のゴーストライターをしてほしいという依頼。相手は、国内有数の大企業会長である兵藤だ。そんな大物が、なぜ自分にゴーストライターの依頼をするのか、不思議に思う只野だが・・・

どこか清々しさのある第一話と違い、私好みのイヤミスでした。終盤の展開を思うと、主人公の只野も大概ろくでもない奴だけど、さも<気骨ある人>っぽく描かれた兵藤もなぁ・・・自分だって責任の一旦を担っているのに、どのやり方はどうなの?と思っちゃいます。ちなみにこのエピソード、玉山鉄二さんでドラマ化されているんですね。放送当時は横山作品を知らず見逃したことが、今になって悔やまれます。

 

「口癖」・・・娘二人を育て上げた後、夫と静かに暮らす家裁調停委員のゆき江。ある時、離婚調停のためにやって来た女性を見て、ゆき江は愕然とする。その女性・好美には、かつてゆき江の娘を不登校に追いやった疑惑があるのだ。不幸そうな好美を見て内心、留飲を下げるゆき江だが・・・

「自伝」と同じくイヤミスの香りがぷんぷん漂うエピソードです。ただ、この話のゆき江の方が、より読者の共感を呼ぶ気がします。誰でも、意識せずに口癖になっている言葉の一つや二つあるはず。それがもし、相手を苦しめ追い詰める言葉だったら・・・ついつい我が身を省みてしまいます。最後、黒と白が反転して真実が明らかになる展開がお見事でした。

 

「午前5時の侵入者」・・・突如警察のHPに侵入し、内容を改竄したクラッカー。すぐさま対応策を取るものの、改竄された瞬間を目撃した閲覧者が数名おり、担当者の立原は青ざめる。セキュリティ不備が取り沙汰される前に、なんとか閲覧者たちを口止めしなければ。慌てる立原は、ふと、クラッカーが残したフランス語の文章に目を止め・・・

<起こった不祥事を隠蔽しようとする警察官>という、ある意味、警察小説ではお馴染みの主人公が登場します。この手の話で、隠そうとすればするほどまずい事態になるというのがお約束。冷や汗をかきながら策を練る立原の心理描写はリアリティたっぷりでした。立原が決して悪人ではなく、家族とのやり取りなどを見るに、普段はそれなりに誠実な人物らしい所が現実味ありますね。最後の家のシーンは癒されます。

 

「静かな家」・・・新聞社で整理部員として働く高梨は、ある時、とある個展の日程を間違えて記事にしたことに気付く。慌てて関係者に謝罪に赴くとあっさり許してもらえ、安堵する高梨。ところがこの一件が、後に殺人事件にまで発展してしまい・・・

たった数文字のミスが人死にを招くだなんて、うっかり者の私には鳥肌ものです。<ミスをどうにかしてもみ消そうとする主人公>という点は四話目と同じですが、こちらは殺人事件の謎まで絡んでくるところが面白いですね。事件の真相自体は割とあっさり分かりますが、整理部員の仕事の複雑さや、自分より遥かにセンスのある年下女性社員への劣等感などの描写が上手かったです。

 

「秘書課の男」・・・県知事の秘書を務める主人公・倉内には悩みがある。信頼関係を築いていたはずの議員・四方田が、最近、妙に倉内に対して冷淡なのだ。その態度の理由に、倉内は心当たりがあって・・・・・

小心者の私は、急に冷ややかに扱われておろおろする倉内に感情移入しまくりでした。「嫌がらせされるわけじゃないんだから、冷たいくらい気にするな」という考え方もあるのでしょうが、そう簡単には割り切れないのが人情というもの。だからこそ、すべての真相に気付き、一歩踏み出そうとする倉内の姿がとても爽やかに感じられます。最終話にふさわしい、とても読後感の良い作品でした。

 

横山作品を読むのは久々ですが、やはり短編・長編にかかわらず読みごたえ抜群ですね。話そのものも素晴らしいのですが、登場人物が何気なく放つ言葉に名言が多いこと多いこと。ずいぶん前に読んだ作品も多いので、久しぶりに再読していこうと思います。

 

誰もが必死に働いています度★★★★☆

短編でこの濃厚さは凄い!度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    「64」以来読もうと思いながら読めていない横山さんです。
    ミステリーにお仕事小説~様々な職業が出てくるのが楽しみです。
    今の仕事は学生時代から憧れていた仕事に就くことが出来ましたが無難にこなすことだけしか考えていない気がします。
    いろんなお仕事小説を読みながら仕事に誇りと責任をを持つことの大切さを認識したいと思います。

    1. ライオンまる より:

      横山さんの長編小説は濃厚で読み応えあるものばかりですが、個人的には切れ味鋭い短編小説の方が好きです。
      本作では、普段なかなか人に意識されない職業に重点が置かれていて、お仕事小説としても興味深かったですよ。
      真剣に働くことの意義を考えさせられました。

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