はいくる

「月蝕島の魔物」 田中芳樹

小説の中にはしばしば実在した歴史上の人物が登場します。その人物が主役の話ももちろん面白いですが、個人的には、創作キャラクター主役の話に脇役として実在の人物が登場する方が好きですね。歴史に名を残す人物が、周囲の目にどんな風に映っていたか。そんな描写を読むのが好きなんです。

この手の作品で私の一押しは、浅田次郎さんの『蒼穹の昴』。西太后や袁世凱、孫文といった歴史上の人物がわんさか登場しますし、主要登場人物の一人と少年時代の毛沢東が絡むシーンは感動でした。こちらは日中合作でドラマ化されたほどの有名作品なので、今回は別の作品を取り上げたいと思います。田中芳樹さん『月蝕島の魔物』です。

 

こんな人におすすめ

ヨーロッパが舞台の冒険譚が読みたい人

スポンサーリンク

ヴィクトリア朝時代のイギリス。主人公・ニーダムは、クリミア戦争で心に傷を負いつつ故郷に帰還する。就職先に恵まれ、唯一残された肉親・姪のメープルとの生活も順調で、久しぶりの平和を謳歌するニーダム。そんな中、ニーダムとメープルはふとしたきっかけでディケンズとアンデルセンという大作家コンビの面倒を見ることになる。タイプは違えど我が道を行く二人に、ニーダムは翻弄されっぱなし。おまけにディケンズが、世間を騒がす謎の島<月蝕島>に行きたいと言い出して・・・・・果たして彼らは、謎と陰謀渦巻く月蝕島から無事脱出することができるのか。心躍る冒険ファンタジー

 

田中芳樹さんは、『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』などの傑作を生み出した有名作家です。と同時に、<遅筆で、シリーズ物がなかなか完結しない>という点でも有名な様子。田中さんは今なお手書きでの執筆にこだわるそうなので、その辺りに原因があるのかな。ですが、この『月蝕島の魔物』から始まる『ヴィクトリア朝怪奇冒険譚三部作シリーズ』はきちんと完結しています。<年老いたニーダムがメープルの勧めで若き日の出来事を回想する>という設定で、主人公コンビが数十年後も健やかに暮らしていることが最初から分かることもあり、安心して読めますよ。

 

クリミヤ戦争から故郷のイギリスに帰還したエドモンド・ニーダム。たった一人の肉親である姪のメープルはニーダムを暖かく迎えてくれ、会員制貸本屋への就職も決まり、程々に順調な日々を送り始めます。そんな折、雇い主から言い渡されたのは、ディケンズとアンデルセンという世界に名だたる文豪二人の世話係を務めること。聡明なメープルのサポートもあってどうにか任務をこなすニーダムですが、ある時、ディケンズが「月蝕島に行く」と言い出したことでとんでもない大騒動に巻き込まれることになるのです。月蝕島は、沖合で丸ごと氷山に閉じ込められた帆船が発見され、世間の注目を集める場所でした。

 

いやー、面白かった!!田中さんは作品に政治的な駆け引きや権謀術数を盛り込むことも多いのですが、本作は子どもから大人まで楽しめるシンプルな冒険譚。理性的に見えて実は超強いニーダムや、快活で機転の利くメープルがあの手この手で敵と戦う展開にわくわくしっぱなしでした。ストーリーにも<平民を支配する残虐な領主一家><島を徘徊する謎の怪物><若者に胆力で負けない高齢者>などなど、冒険気分を盛り上げる要素がてんこ盛りで、自然と胸が熱くなります。

 

そして、本作を語る上で欠かせないのが、次々登場する歴史上の人物たちです。何と言っても、主人公コンビと一緒に冒険に出かけるディケンズとアンデルセンの文豪二人組が最高に楽しい!マルチな才能を持つ頑固親父のディケンズと、子どものように純粋すぎて突拍子もない行動に出るアンデルセンのやり取りに笑わせられたり時にほろりとさせられたり・・・本作を読んで知りましたが、この二人に実際に親交があったとのこと。<作品を酷評されてショックを受けたアンデルセンがディケンズのもとで泣きじゃくった><作家として名高いディケンズは、実は奇術師としても優れた腕前を持っていた><アンデルセンは、就寝中に死んだと勘違いされて埋葬されないよう、「僕は生きています」と書いたメモを常に携帯していた>これらがすべて史実ということに驚かされます。

 

田中さんが巧いなぁと思うのは、こんな楽しい冒険譚に不自然でない形で歴史の闇を絡ませるところです。ニーダムが今なおトラウマを抱えるクリミヤ戦争の様子や、一般市民の過酷な生活環境、根強く蔓延る女性蔑視の風潮などの描写は、胸に突き刺さるようでした。その分、未来への希望に溢れ、女子教育の発展に生涯を賭けたというメープルの姿が救いに感じられます。彼女が語る「私は外国に行ったことは一度もありません。それなのに、紀元前のエジプトでピラミッドがつくられたこと、ピラミッドがどういう形をしているかということ、それらを知っています。なぜ知っているのでしょう?それは本を読んだからです」という言葉は、本作を代表する名言と言えるでしょう。

 

前にも書いた通り、本作は『ヴィクトリア朝怪奇冒険譚三部作シリーズ』の第一部。この後もニーダムとメープルの冒険は続き、偉人たちも続々出てきます。第三部では、『不思議の国のアリス』の作者であるドジソンと、<クリミヤの天使>ナイチンゲールまで登場。どちらも魅力あるエピソードがたっぷり描かれていますので、興味のある方はぜひご一読ください。

 

歴史好きにはたまらない!度★★★★☆

聡明な少女の描写が巧すぎる度★★★★★

スポンサーリンク

コメント

  1. しんくん より:

    ヨーロッパの冒険譚にクリミア戦争に実在の歴史の人物が登場~原田マハさんや深緑野分さんとは違ったヨーロッパの雰囲気がありそうです。
    一時期ハマった海外ドラマ「インディージョーンズ若き日の大冒険」を思い出します。
    歴史好きとしては読みたい作品です。
    世界史は好きでしたが高校では理系クラスは全員地理を選択させられました。
    大学時代、一般教養で歴史を選択して、歴史の講師が「日本史も世界史も勉強した生徒が少ない~一体高校時代何を選択したのですか?」と問いかけると口を揃えて「地理です」というと呆れていたのを思い出します。
    未読の作家さんですが楽しみです。

    1. ライオンまる より:

      深緑さんらとは違い、スカッとする痛快武勇伝です。
      戦争や圧政、差別などの歴史的な問題も織り込まれていますが、主人公チームのやり取りが面白いので嫌な気分を引きずることはないと思います。
      ちなみに私は根っからの文系で、選択は歴史。
      世界史とどちらにしようかギリギリまで悩みましたが、「〇〇何世」とかを覚えるのがすごく苦手だったので日本史にしました(^_^;)

ライオンまる へ返信する コメントをキャンセル

*

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください