はいくる

「芥川症」 久坂部羊

創作の世界には<パスティーシュ>という用語があります。これは一言で言うと、作風の模倣のことです。似たような用語に<オマージュ>があり、実際、日本では厳密な区別はない様子。ただ、色々なパスティーシュ作品、オマージュ作品を見る限り、前者は先行する作品の要素がはっきり表れているのに対し、後者は作家が先行作品を自分なりに読み取った上で作品化するので、「え、〇〇(作品名)のオマージュなの?」とびっくりさせられることが多い気がします。

パスティーシュとして真っ先に挙がるのは、清水義範さんの作品でしょう。作家歴四十年以上ということもあって著作は多いのですが、私的イチオシは英語教科書(!)のパスティーシュ作品『永遠のジャック&ベティ』。学生時代の英語教科書を読み、登場人物達の会話に対し「なんでこんな不自然な喋り方をするんだろう?」と思ったことがある方なら、間違いなく爆笑すると思います。それからこれも、粒揃いの傑作パスティーシュ短編集でした。久坂部羊さん『芥川症』です。

 

こんな人におすすめ

古典作品のユーモア・パスティーシュ小説が読みたい人

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父の急死の謎を追う息子の葛藤、難病から生還した男を待ち受けていたもの、人間の耳を偏愛する作家の行く末、生き物を助け続ける看護師の運命、芸術を愛する開業医のやめられない娯楽、介護を巡りすれ違う父子の願い、自然な死を望む医師の皮肉な最期・・・・・芥川龍之介の名作をもとに描かれる、黒い笑いに満ちた短編集

 

表紙の、明らかに芥川龍之介と思われる男性が白衣を着ているイラストにまずニヤリ。考えてみれば、芥川龍之介の著作には、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などをもとにしたパスティーシュ作品がたくさんあるんですよね。そこからさらにパスティーシュ作品が生まれるのだから、想像力の広がりって本当に無限!生々しいホラーあり、皮肉たっぷりのブラックユーモアあり、最後に笑えるコメディありと、バラエティ豊かな一冊です。

 

「病院の中」・・・たった一人の家族だった父の急死。六十歳という、あまりに早い死だ。天涯孤独となった主人公は、病院での待機中、一つの疑念に囚われる。果たして父は、本当に最善の治療を施してもらっていたのだろうか。真偽を確かめるべく、病院関係者と向き合う主人公だが・・・・・

元ネタは「藪の中」。父の死の真相を求め、病院内を行ったり来たりする主人公の姿はまさに「藪の中」そのものです。意図的なのでしょうが、収録作品中、一番多くの医学用語が登場しており、主人公の混乱や不安がひしひしと伝わってきました。ただでさえ頭に血が上っている時に、小難しい専門用語を出されても、一般人には意味不明ですよね。さんざん振り回された挙句、知りたくなかった真実まで知らされた主人公の精神状態が心配です。

 

「他生門」・・・心臓病を患い、命の危機に瀕した主人公。幸い、<救う会>の尽力により寄付金が集まり、アメリカで移植手術が受けられる。晴れて健康体となった主人公の手元には、諸経費の支払い後に余った寄付金が残った。これはラッキーと、遊興三昧の日々を送る主人公の運命や如何に。

元ネタは「羅生門」。主人公のあまりのダメっぷりにイライラすること必至。でも、読み終えてみれば、彼だけが悪いと言い切れない部分もあり、なんだか複雑な気分です。実際、漫画やドラマでは、難病を乗り越えた患者が立派に成長するキラキラ感動ストーリーがよく取り上げられるけど、そうそうご立派な部分だけじゃいられないのが人間だよなぁと・・・元ネタとの絡め方が一番しっくりきた話です。

 

「耳」・・・主人公・神尾は、ホラー小説でとある文学賞を受賞し、デビューを果たした新人小説家。デビュー作は大ヒットを記録し、一躍時の人となるも、二作目の執筆がさっぱり進まない。そんな神尾のヒントとなればと、担当編集者は再生医療の研究所を紹介する。そこで、人間の耳がネズミの背中に生えている光景を目にし、衝撃を受ける神尾。実は彼には、耳に異常に執着するという性癖があり・・・・・

元ネタは「鼻」。シニカルな前二話と違い、グロテスクささえ感じるホラーでした。主人公の耳への執着がどう生きてくるのかと思っていたら・・・まさか、そう来るとは(汗)レビューサイトでも同じ感想が多かったですが、これは芥川龍之介というより江戸川乱歩の雰囲気が強い気がします。猟奇的な描写が苦手な方にはかなりキツいであろう場面があるので、ご注意ください。

 

「クモの意図」・・・看護師・多恵は、生き物を殺すことができない。たとえ害虫であっても、見つけたら必ず逃がしてやる。お気に入りの落語「蜘蛛の糸」で、地獄に堕ちた罪人には救いの糸が垂らされた。私は決して殺生を行わないのだから、例え地獄行きになっても何らかの助けがあるはず。そう信じ、来る日も来る日も生き物を助ける多恵だが・・・・・

元ネタは「蜘蛛の糸」。前半、主人公が落語「蜘蛛の糸」を聞く場面があるのですが、話自体も落語のような展開を迎えます。前の「耳」がかなり強烈な内容だった分、いい清涼剤となりそうですね。本作の主人公達は全員、元ネタの登場人物にちなんだ名前を付けられているのですが、この話の主人公の名前が一番ウケました。「蜘蛛の糸」の主人公がカンダタで、こちらの主人公は「神田多恵」・・・座布団一枚!

 

「極楽変」・・・開業医である主人公は、治療を通じ、売れない造形作家・ジュローと知り合う。彼の個展に出向いてみると、並べられた作品はいずれもグロテスクで薄気味悪いものばかり。実際、ジュローのアーティストとしての評価は芳しくないようだ。そんなはずはない。君は必ず芸術家として大成できる。そう励ます主人公は、ジュローに対し、ある提案をして・・・・・

元ネタは「地獄変」。一番お気に入りの話です。と同時に、「耳」と並ぶほどグロい話なので、好みは分かれるかもしれません。面白いのは、通常、この手の話で主人公となりがちな造形作家側でなく、作家のパトロンとなる開業医側の視点で物語が進むということ。行動の一つ一つ、思いの一つ一つにどんな意味があったのか。ラスト、明らかになった真相は鳥肌ものです。

 

「バナナ粥」・・・ケアマネジャーの直子は、玉井吾一郎という老人の担当となる。気難しい吾一郎は介護を拒絶することが多く、同居している一人息子との折り合いも悪そうだ。どうにかして介護を受け入れてもらわなければ、親子二人とも共倒れになる。試行錯誤する直子だが、転機は意外なところからやって来て・・・・・

元ネタは「芋粥」。プライドから介護を拒む親と、一人介護の現実に押し潰されそうになる息子。両者の葛藤が生々しく、介護の悩みを抱えたことがある読者は胸が苦しくなるかもしれません。どうか不幸な結果にならないでくれと祈った分、雪解けが見えた瞬間には心底ホッとしましたが・・・ラストにはププッと噴き出してしまいました。それにしても、バナナ粥・・・消化には良さそうだけど、お、美味しいの?

 

「或利口の一生」・・・作家になるという夢を諦め、医の道を選んだ主人公。努力の甲斐あって外科医となるも、そこには理想とあまりにかけ離れた現実があった。己の功名や手間暇を優先して治療を決める医師達、患者の負担が多い割に報われない手術の数々、呆気なく潰えていく無数の命。熟慮の結果、主人公は在宅医療の世界に進み、自分が癌になっても絶対に治療は行わないと決める。そして時は流れ、主人公が肺癌の告知を受ける日がやって来て・・・

元ネタは「或阿呆の一生」。主人公の経歴からして、著者・久坂部羊さんが一番自己を投影した話ではないでしょうか。病院治療の複雑さに関しては、第一話「病院の中」でも描かれましたが、この話では患者ではなく医師が主人公となることで、より一層深みと皮肉が増している気がします。私自身は病院での治療に割と肯定的な方なのですが、いざその時が来たらどう感じるか・・・答えに迷う命題です。

 

久坂部羊さんは、大病院での勤務後、在宅医療に携わるようになったという経歴の持ち主です。「病院の中」「或利口の一生」を読む限り、もしかしたら過剰な医療を施すことに対して色々と思うところがあるのかもしれません。かといって小難しい内容ではないので、シニカルな笑いを堪能しつつ、必要な医療について今一度考えてみてはいかがでしょうか。

 

現代医療に警鐘を鳴らす度★★★★☆

でも基本的にユーモラスです度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    久坂部羊さんの作品は図書館で見かけますが医療従事者なんですね。
    芥川龍之介は学生時代に国語と英語の教科書で出てきた「羅生門」「蜘蛛の糸」しか読んでいませんでした。
    この作品を読んで芥川龍之介の作品を読むのも良いかな~と思います。
    思えば川端康成や夏目漱石など昔の文豪の作品はあまり読んでいません。
    これを機に昔から読まれてきた作品を読んでみようと思いました。

    1. ライオンまる より:

      非常勤医師&大学講師&作家という三足のわらじを履いてらっしゃるんですよ。
      いわゆる文豪と呼ばれる作家の著作は、気軽に手を出しにくい雰囲気がありますよね。
      ただ、芥川龍之介の作品は、短編小説が多く、読みやすい傾向にある気がします。
      機会があれば、ぜひ!

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