はいくる

「愛に似たもの」 唯川恵

愛とは決して後悔しないこと、最後に愛は勝つ、愛は地球を救う・・・愛に関する有名な台詞や歌詞、格言は数えきれないほど存在します。愛はキリスト教で最大のテーマとされていますし、日本においても、年齢や性別の枠を超えた深く広い慈しみの感情として捉えられることが多いです。お金や権力を求めるのは何となく卑しい気もしますが、<愛のため>というお題目があると、気高く誠実なもののような気がしますよね。

ですが、これはちょっと危険な考え方なのかもしれません。何しろ愛には決まった形があるわけでもなく、人によって無限に捉え方が変わるもの。本人にとっては<愛>でも、他人からすればまったく違うものだということもあり得ます。この作品では、愛のように見えてどこか違う、様々な感情が描かれていました。唯川恵さん『愛に似たもの』です。

 

こんな人におすすめ

女性のどろどろした感情をテーマにした小説が読みたい人

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どこまでも、どこまでも、沈み込むように落ちていく-----美貌を誇る女が知った予想外の真実、年下の青年に感じる庇護欲の行方、変貌した女友達に感じる微かな優越感、賢い選択をしようとあがく女を待ち受けていたもの、不倫相手の妻と交わしたささやかな約束、暗い思い出のある故郷でかけられた意外な言葉・・・・・これは果たして愛と呼べるのか。落とし穴にはまりつつある八人の女性を描いた、愚かで悲しい短編集

 

唯川恵さんは、切なくなるような恋愛小説もたくさん書かれていますが、個人的にはこういう毒のある作品の方が好きだったりします。『愛に似たもの』というタイトルがこれまた秀逸ですよね。主人公達にとっては愛なのかもしれないけど、実際は優越感だったり妄執だったり見栄だったり・・・どんどんずれていく女性達の姿が、怖いようで、どこか哀れでもありました。

 

「真珠の雫」・・・女を武器にしてのし上がり、若くして水商売の世界で成功したサチ。そんな彼女にとって、垢抜けない異父姉・直美はどうにも苛立たしい存在だ。とはいえ、直美が愚鈍であればあるほど安心できることもまた事実。何しろサチには敵が多い。最近は、サチのパトロン兼情夫である西野を狙う女が出てきていて・・・・・

野心溢れる美貌の妹と、冴えないが真面目な姉。この構図だと姉の方が主役になりがちですが、あえて妹側が主役となることで、物語の陰影がより深まっている気がします。妹が、ただルックスだけを武器にした軽薄女ではなく、虎視眈々と階段を上っていく策略家という点もなかなか面白いですね。意外に読後感は悪くないのですが、この姉妹、これからどうなるんだろう?

 

「つまずく」・・・離婚後、公子の人生はまずまず順風満帆だ。成功したビジネスに、仲の良い女友達。それに加え、最近は出入りの花屋の店員・稔とのひと時が楽しい。若く純朴な稔は、公子にとって色恋抜きで純粋に世話してあげたくなる相手なのだ。いつか、稔が一人前になるまで育ててやろう。そんな公子の思いとは裏腹に、稔は派手な女と付き合い始めたようで・・・

公子が稔に抱いた感情がストレートに恋愛なら、問題はここまで拗れなかったのでしょう。性を抜きにした庇護欲だからこそ、自分の暴走に気付けなかった気がします。もともとはしっかりキャリアと人間関係を築いてきた聡明な女性なのだから、なんとか立て直してほしいと思いますが・・・身勝手な元夫は一蹴されてざまあみろって感じです。

 

「ロールモデル」・・・理美のもとに飛び込んできた、親友・藍子の夫の訃報。幼い息子を抱えて未亡人となった藍子はすっかり打ちのめされ、ありとあらゆる場面で理美に頼るようになる。才色兼備で溌剌としていた藍子に頼りにされることに、密かな喜びを感じる理美。だが、一年が経つ頃には、藍子の様子にも変化が現れて・・・

今までお手本だった相手から、逆に頼りにされ、お手本にされる。理美がそこに快感を感じることを責めることはできません。藍子に対しても、多少は見下すような気持ちがあったにせよ、貶めるようなアドバイスはしていないし、二人の間に友情が存在することは確かなのでしょう。だからこそ、踏み出してはいけない一歩を踏み出してしまった理美の行動が恐ろしかったです。

 

「選択」・・・賢い選択をしてきたはずなのに、どこで間違ったのだろう。最近の広子はため息をついてばかりだ。エリートだったはずの夫は仕事でつまずき、家計はかつかつ。パートと家事に明け暮れ、おまけに姑の介護まで押し付けられ、子どもができる気配もない。そんな時、広子は元恋人の藤木が青年実業家になったという噂を聞いて・・・

全部で八話ある話の中、一番好感度を集めにくい主人公は、この話の広子のような気がします。ひたすら打算だけで動き、周囲を振り回し、うまくいかないと「こんなはずじゃなかった」と不満たらたら。最後の展開は自分で招いたものですし、自業自得と感じる読者も多そうですね。この辺りできちんと現実というものと向き合えればいいんですが。

 

「教訓」・・・周りが次々に結婚し、焦りを禁じ得ないアラサーの美郷。鬱々とした日々の中、ようやく井口という恋人ができる。もう別れ話は嫌だ。彼と絶対に結婚したい。過去の恋愛で得た教訓をもとに、井口との仲を深めていく美郷だが・・・・・

<結婚>という形式そのものがゴールになってしまっている美郷を、愚かと笑うことは簡単です。ですが、この年齢の女性が、あらゆる意味で結婚に対してプレッシャーを感じることもまた事実。こういう感覚は、特に妊娠出産に関して、女性より焦らずに済む男性には分かりにくいかもしれません。ラストの美郷の姿を想像すると、その暗い眼差しが目に浮かぶようで、ちょっとゾッとしてしまいました。

 

「約束」・・・編集者である幾子の仕事の一つ、それは癌で闘病中のイラストレーター・葉月のイラストを取りに行くこと。実は幾子は葉月の夫・昭雄と不倫中なのだ。いけないことと分かりつつ、穏やかな昭雄とのひと時を手放すことができない。やがて、葉月は幾子と一つの<約束>をした末に他界。その後、幾子と昭雄は結婚するのだが・・・

収録作品中、唯一、ホラーの香りが漂う話です。これは、死んだ前妻が夫の不倫に気付いていたか否か、その相手が信頼する編集者だと知っていたか否かで、ラストの解釈も変わってきそうですね。私としては「すべて知っていた」説を推したいですが・・・この先、子どもが不幸なことにならないかが、気になって仕方ありません。

 

「ライムがしみる」・・・恋人にフラれたばかりの美樹は、なじみのバーのママに愚痴をこぼして憂さ晴らし。その最中、酔った男が店の看板を壊すというハプニングが起こる。後日、その酔っ払い・道夫と再会した美樹は、彼の意外な誠実さに気付き、付き合うことに。順調に仲を深めた二人は、同棲しようと決めるのだが・・・・・

情念が絡みつくような六話目に対し、この七話目はどこかユーモラスな味わいです。主人公達にとっては笑いごとじゃないんだろうけど、男と女のドタバタぶりがまるでコメディ舞台劇のよう。まあ、回復不能なダメージを負ったわけじゃないし、美樹とママはこれからも愚痴をこぼし合いつつ仲良くやっていってほしいものです。

 

「帰郷」・・・母が脳梗塞で倒れたという知らせを受け、千沙は十三年ぶりに帰郷する。千沙にとって、故郷は嫌な思い出しかない町だ。高圧的な父親と、使用人のように従属する母親、同級生達のいじめ。そんな日々から逃げ出すため、一念発起して上京し、全身整形で美女に生まれ変わった。権力者の愛人の力もあり、華やかに暮らす千沙を見て、故郷の誰もが目を丸くする。ところが、母の見舞いに訪れた病院で、看護師が意外な言葉を口にして・・・

何をもって幸せな人生だと決めるのか。その基準は人それぞれで、外野がどうこう言えるものではありません。美女に生まれ変わり、都会で華やかに暮らしつつ、黒い背景のある愛人との生活に危うさを感じる千沙。高圧的な夫に従属して生きてきながらも、子宝に恵まれ、病床には毎日誰かしら見舞いに来てくれる母。二人の女性の対比が印象的でした。いつか、この母娘がちゃんと向き合って話せる日がくるといいな。

 

唯川恵さんは多作な作家さんという印象がありましたが、最近は新作を見かけていません。調べたところ、二〇一七年の『淳子のてっぺん』以来、新作小説が出ていない様子。昭和の花柳界を舞台にした長編が連載中のようですが、刊行はもう少し先のようです。しばらくは過去の著作を再読しつつ、新刊が読める日を楽しみに待とうと思います。

 

愛と呼ぶにはあまりに根が深い度★★★★☆

女性への理想が崩れるかもしれません度★★★★★

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コメント

  1. しんくん より:

    唯川恵さんの作品は久しぶりです。
    「一瞬でいい」「淳子のてっぺん」「テティスの逆鱗」「肩越しの恋人」など印象に残る作品が多かったですが最近読んでいません。
     どれも唯川恵さんらしい作風が感じられます。
     図書館で探してきます。 

    1. ライオンまる より:

      唯川恵さんの文章は柔和なので、ビターな話でもすんなり読めてしまいます。
      著作は全部、何度も読みましたが、それでも定期的に再読したくなります。
      早く新刊出ないかなぁ。

  2. しんくん より:

    読み終えました。
    流石唯川恵さんだと言いたくなるような見事な短編集揃いでした。
    「約束」はゾクッとしました、上手く行きすぎていたので何かあると思っていたら印象的なラストは流石でした。
     「真珠の雫」も大人しそうな女性を甘く観ると痛い目に遭うという唯川恵さんそのままの展開でした。
     男の自分でも共感出来そうな女性の心理描写の見事さは何度読んでも感心します。
     先に読んだ柚木麻子さんの新作「オール・ノット」に近い内容だと感じました。

    1. ライオンまる より:

      こういう作風は唯川恵さんの十八番ですよね。
      ホラー大好きな私には、「約束」のジャパニーズホラーっぽい雰囲気がぐさっと刺さりました。
      ヒロインが、不倫小説にありがちな、軽薄な尻軽女タイプではない分、ラストの不気味さが際立ちます。

      「オール・ノット」、もう読まれただなんて羨ましい!
      あらすじを見て面白そうだと感じたので、早く図書館に入ってほしいです。

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