私が大人になったらやりたいと思っていたことの一つ、それは「行きつけのカフェを見つけること」です。家の近所に居心地のいい店を見つけ、店員さんとも顔馴染みになり、お茶やスイーツを楽しみながらのんびりとした時間を過ごす・・・たぶん、ドラマか何かで見たシチュエーションだと思いますが、子どもの頃から本気で憧れていました。
そんな夢を持っていたからなのか、カフェを舞台にした小説も大好き。森沢明夫さんの『虹の岬の喫茶店』、池永陽さんの『珈琲屋の人々』、村山早紀さんの『カフェかもめ亭』など、どれも面白かったです。最近読んだカフェの出てくる小説といえば、近藤史恵さんの『ときどき旅に出るカフェ』。こんなカフェが近所にあったらなぁ。
この先自分に特別なことなど起こりっこない---――そんな風に思いながら、毎日を淡々と過ごすアラフォーOL・瑛子。ある時、瑛子はかつての同僚・円(まどか)がカフェを営んでいることを知る。苺のスープ、ロシア風チーズケーキ、月餅、ザッハトルテ・・・カフェで出会う、世界各国のスイーツの数々に魅了される瑛子。さらに店には、日常のちょっとした謎が次々と舞い込んできて・・・・・
近藤史恵さんのフード系小説といえば、フレンチレストランを舞台にした『ビストロ・パ・マル』シリーズがあります。あちらは男性が狂言回しを務めているのに対し、本作の主人公は女性。そのせいか、目線がより繊細で柔らかい気がします。それでいて、「素敵なカフェだね。スイーツ美味しいね」で終わらせず、現実の苦味もしっかり描写しているところが近藤さんらしいですね。
「苺のスープ」・・・円が営むカフェ・ルーズに惹かれ、常連となる瑛子。そんなある日、瑛子は成り行きで会社の後輩とその婚約者の三人でカフェ・ルーズに行くことになる。にこやかに迎えてくれる円だが、一つ気になることがあるようで・・・・・
退職していく同僚を見て、一人取り残されたような気分になる瑛子の心情がすごくリアル。仲間の新たな旅立ちを応援したいのにできない・・・この複雑な気持ち、誰しも一度は味わったことがあると思います。表紙になっている苺スープも文句なしに美味しそう!
「ロシア風チーズケーキ」・・・取引相手の男性から繰り返される「お中元やお歳暮に酒を送らないでくれ」という要望。だが、瑛子の会社から彼に酒を送った事実はない。戸惑う瑛子は、ある時、くだんの取引相手がカフェ・ルーズにいる現場を目撃し・・・
ココア入りのチーズケーキの甘さと、明かされる真相のブラックさとの対比が印象的です。でも一番びっくりしたのは、「ロシア風チーズケーキ」が「ナポリタン」「トルコライス」などと同じく単なる名称で、ロシアとは無関係なこと。そういう料理って多いですよね。
「月はどこに消えた?」・・・忽然と消えた四個の月餅。状況からして、盗まれたとしたら犯人は社内の人間でしかありえない。でもまさか、たかがお土産の月餅を?瑛子の話から円が導き出した結論とは。
シビアな問題を取り上げた話が多い中、このエピソードのオチはとてもほのぼの。知っているようで知らない月餅の豆知識も楽しめます。カフェと中華菓子ってなかなか見ない組み合わせですが、案外合いそうですね。
「幾層にもなった心」・・・幼馴染の珠子と久しぶりに会い、一緒にカフェ・ルーズを訪れた瑛子。珠子の夫は単身赴任中だが親しい女友達がいて、頻繁に連絡を取り合っているという。最近は妻子への土産選びも手抜きで、毎回同じケーキしか買ってこないらしいが・・・
このエピソードの中心となるケーキ「ドボシュトルタ」は私も大好きなので、読みながら涎が出そうでした。浮気問題、異性との友情問題が醸し出す不穏さを、ケーキが上手く中和してくれた思います。でも、嘘はいかんよ、嘘は。
「おがくずのスイーツ」・・・ある日、カフェ・ルーズにやって来た女性客。彼女は円の知り合いのようだが、円を侮辱的なあだ名で呼び、振る舞いも攻撃的だ。さらに瑛子は、その女性を見て顔色を変えた客がいるのに気付き・・・・・
この女性客が本当に不愉快で、途中まで苛々して仕方ありませんでした。「いじる」というオブラードに包んだやり方で相手を馬鹿にするなんて、本当に最低。でも、真実を知ると、女性客だけ責めても解決しないなぁと・・・社内のハラスメント問題は根が深いです。
「鴛鴦茶のように」・・・同じマンションに住む女子中学生・結希が、夜遅くにカフェ・ルーズにいるのを見かけた瑛子。結希は父親の再婚が決まってから、夜に出歩くようになったという。再婚相手である香奈のことは嫌いではないようなのだが・・・
これまた心温まるオチでほっとしました。中学生の繊細かつ複雑な心理が読んでいて痛々しいですが、周りの大人がいい人なので救われます。それにしても、コーヒーと紅茶って合うんだ・・・どちらも好きな私としては、ぜひ試してみたいです。
「ホイップクリームの決意」・・・カフェ・ルーズの近くにオープンした「ヴァワヤージュ」。店のコンセプトやメニューはカフェ・ルーズとそっくりで、わざとやっているとしか思えない。客が流れてしまわないかと不安になる瑛子だが・・・・・
私は大の甘党で、スイーツにもそれなりに詳しいので、ザッハトルテにまつわるエピソードにはすぐ気づきました。まがいものの知識で店を運営しても、客はついてこないでしょう。この話から、今後の不穏な展開が予想され始めます。
「食いしん坊のコーヒー」・・・ヴァワヤージュの元店員だという青年から相談事を持ちかけられる瑛子。青年曰く、ヴァワヤージュのオーナーはカフェ・ルーズを潰そうと躍起になっているという。さらに、彼は円に一目惚れしたと打ち明けて・・・
職場恋愛に対する瑛子の価値観が、一本筋が通っていて素敵です。「女性は好かれたら喜ばなきゃならないし、そうでない女性は嫉妬ばかりしているのだと思ってる?」この台詞に頷いた読者も多いのではないでしょうか。
「思い出のバクラヴァ」・・・瑛子は人事部の同僚から、かつて円が会社を辞めた理由を聞く。次第に明らかになっていく円の過去。ヴァワヤージュのオーナーの出現。そしてついに、円と彼との関係が判明し・・・
身内の介護という、このご時世では誰もが他人事ではいられない問題が出てきます。いつも柔和な円の背負う過去は決して明るくありませんが、祖母とは愛情で結ばれていた点が救いですね。バクラヴァは激甘スイーツで有名ですが、超甘党の私にはちょうど良いです。
「最終話」・・・ついに円の口から過去の確執が語られる。円が家族と疎遠になりながらも、カフェ・ルーズをオープンできた理由。それを知った瑛子は、円の親友だという女性と話をして・・・
はー、良かった!最後のページまで読んで、心からそう思えました。世間の目にとらわれない円の生き方は本当に美しい。最後のオチにはちょっと驚きましたが、なるほど、伏線は張ってありましたね。
最終話で円のプライベートもちょっとだけ出てきましたし、これはシリーズ化される伏線でしょうか。できれば、瑛子の恋物語や、誤解されやすい同僚の亜沙実、円に片思いする宮郷君のエピソードなども読んでみたいですね。もちろん、珍しいスイーツの数々も楽しみにしています!
こんなカフェがあれば絶対に通う度★★★★★
スイーツは甘いばかりじゃない度★★★★☆
こんな人におすすめ
カフェを舞台にしたコージーミステリーが読みたい人
喫茶店を舞台にした作品は結構読んだと思いますが、一緒に旅をしながら美味しいスイーツを味わっているような気分になりちょっとしたミステリーもある気持ち良いストーリーでした。苺のスープやロシア風チーズケーキを食べたくなりました。このような店が近くにあると行きたいですね。
美味しそうなスイーツの数々に頬が緩みっぱなしでした。
客や円が抱える悩みはけっこう深刻なものが多かったですが、和やかなカフェシーンがうまく中和してくれていたと思います。
円の現在の恋人がいつか出てきてほしいものです。