<何かを始めようとした時に限って、別のことに目がいってしまう>という経験をお持ちの方、一定数いらっしゃると思います。よく聞くのは、<勉強を始めた途端、部屋の掃除をしたくなった>とかですね。普段は特に気にならないのに、一体どうしてなんでしょう?
私の場合、一番よくあるのは<掃除を始めたら本棚の本が目についてしまい、つい読みふけってしまった>というパターンです。こういう時に目がいくのは、大抵、ずいぶん昔に読んだので細部を忘れてしまっている本。時間が経って読み返すと、また新たな面白味や驚きがあるんですよ。つい先日も、片付け中にこれを見つけてやらかしてしまいました。今邑彩さんの『よもつひらさか』です。
こんな人におすすめ
後味の悪いホラーサスペンス短編集が読みたい人
じわじわと忍び寄る文通相手の狂気と恐怖、古い鏡が映し出す戦慄の光景、愛らしい名前の持ち主が知った悲しい真実、異形の人影が語る血塗られた運命、己を偽る男が見た欲望の行方、絵に心奪われた少女の妄執の果て、娘と会うため坂を通る男の残酷な運命・・・・・日常を侵食していく恐怖を描くホラーサスペンス短編集
一九九九年に刊行された短編集です。若者の連絡手段として当然のように手紙が出てきたり、<同性愛><ストーカー>という概念が今ほど一般的ではなかったりと、所々に時代を感じさせる描写はあるものの、面白さは損なわれていません。予定外でしたが、充実の読書タイムを過ごせてしまいました。片付けは全然できませんでしたが・・・・・
「見知らぬあなた」・・・公園で男性のバラバラ死体が発見された。ニュースを見た主人公は、被害者が自分の元夫だと知り、衝撃を受ける。一体だれがこんな惨いことを。その時、主人公の脳裏に、文通相手の存在が浮かぶ。この文通相手は主人公に過度に執着しており、これまでにも異様な行動を取っていて・・・・・
オチ自体はさほど目新しいものではないので、サスペンスやホラーに慣れた読者なら気づくと思います。この話の秀逸な点は、電話でもメールでもSNSでもなく、文通というレトロな連絡手段をテーマにしたところでしょう。顔どころか声すら分からない相手が危険人物だとしたら・・・主人公の不安や恐怖の描写が生々しかったです。
「ささやく鏡」・・・亡き祖母が主人公に遺した古い鏡。それを覗くと、鏡面に不可解な光景が浮かび上がる。まさかこれは、私の未来の姿なのか。驚く主人公だが、鏡に映った光景は次々と現実にものになっていき・・・・・
この鏡が<未来を映す鏡>なのか<人間に、映った光景通りの行動を取らせる鏡>なのか、はっきりしないところがなんとも不気味でイイ!本当、鏡ってホラーとの相性ばっちりですね。あと、孫にこんな不気味な鏡を遺す祖母の真意が分からず、ちょっとゾッとしてしまいました。お祖母ちゃん、主人公に何か含むところがあったの・・・?
「茉莉花」・・・一室で向かい合う女流小説家・添田康子と編集者。康子の本名は<茉莉花>という可愛らしいものだが、あえて地味なペンネームを使っている。それは、彼女が子どもの頃に体験した不思議な出来事のせいだという。それは、離魂現象にまつわるものらしく・・・・・
前の二話とはガラリと雰囲気が変わり、純度一〇〇%のミステリーです。一度のすれ違いでねじれてしまった女性二人の人生がやりきれない・・・ラスト、決して幸せそうではない二人の姿が目に浮かぶようでした。なお、この話は短編集『盗まれて』にも収録されていますので、「同じ話を二度読むなんて損!」という方はご注意ください。
「時を重ねて」・・・探偵の主人公は、旧友から妻・美砂子の浮気調査を依頼される。美砂子は一人で旅行に出かけるも、チケットも泊まる部屋もすべて二人分。終始一人なのに、一体なぜ二人旅のように振る舞うのか。尾行しながら首をひねる主人公だが、意外なところから真相が判明し・・・・・
後味悪いイヤミス「茉莉花」とは打って変わって、ちょっと不思議ながら心温まるミステリー・・・なのですが、主人公の旧友の態度の悪さにはイラッとさせられました。奥さんの浮気疑う前に、自分の行動を振り返れ!!聡明な美砂子の今後に幸あれと願わずにいられません。
「ハーフ・アンド・ハーフ」・・・同性愛者の真由子と、訳あって偽装結婚した主人公。お互いに浮気はOK、世間からの信頼も増すという快適さに大満足の主人公だが、三年後、主人公に本命の恋人ができたことで風向きが変わる。その相手・妙実は、真由子の恋人でもあったのだ。いわば真由子から恋人を寝取った形だが、意外なことに真由子は冷静そのもの。「こうなった以上、離婚した方がいいわね。互いの持ち物はきっちり半分ずつしましょう」と言い出して・・・・・
違う作家さんの作品にも、同じテーマのものがあります。ただ、この話の場合、<そもそも条件重視の契約結婚であり、お互いに不都合が生じたら即離婚という約束ができていた>という点が実にユニーク。主人公が恋愛的な意味でパートナーを裏切ったわけではない(裏切ったのは本命彼女の方)ところが、物語をより複雑かつ残酷なものにしています。この後、どれほどの修羅場になることやら・・・・・
「双頭の影」・・・骨董屋の店主が語る、奇妙な昔話。かつて、店主が訪れた寺の天井には、不気味な黒いシミがあった。それは、頭が二つ、腕が三本、足が四本ある、まるで化け物のような形だったという。どうやらそのシミは、人の血や体液が染みついてできたものらしいのだが・・・・・
一番お気に入りの話です。不気味なシミの話に綺麗にオチをつけた後、最後の最後にもう一捻りしてある展開がなんとも鮮やかでした。ちなみにこの骨董屋、払ったお金に応じて店主が見聞きした面白い話を披露してくれるというシステム(上記の話も、その中の一つ)。この店主をストーリーテラーに、短編集一冊くらいできそうです。
「家に着くまで」・・・主人公は、乗り込んだタクシーの運転手と、未解決のキャスター殺人事件について語り合う。運転手は、事件について持論があるらしい。最初はただの世間話だったが、車内の空気は次第に不穏な方向へ向かっていき・・・・・
『世にも奇妙な物語』で「推理タクシー」というタイトルで映像化されています。タクシーという<動く密室>の中、どんどん緊張していく空気が臨場感たっぷりでした。腹に一物あるのは主人公か、それともタクシー運転手か。ラストまで飽きさせない展開に拍手喝采です。
「夢の中へ…」・・・人間関係に行き詰った主人公は、現実から逃げようと飛び降りを図る。失敗し、数日で目を覚ますも、主人公の決死の行動が功を奏したのか、状況は好転。その後は平凡ながら穏やかな暮らしを送っていく。俺にしてはまずまずの人生だな。年を取った主人公は、自分のこれまでの日々を振り返って・・・・・
意識不明になった後、劇的な出来事が起こるでなく、平々凡々な人生を送る主人公が逆に斬新・・・と思いきや、ラストでしっかり反転させてくれました。現実では、こうなる可能性の方が高いのかな。主人公目線で見ると、幸福ではないかもしれないけれど単純に不幸とは言い切れない、複雑なラストが印象的です。
「穴二つ」・・・中年男の主人公は、インターネット上で女性を名乗り、ミドリという若い女性と親しくなる。主人公には妻がいるものの、ミドリへの思いは募るばかり。どうにかミドリと現実で交際できないか。思い悩む主人公だが、実はミドリにも秘密があって・・・・・
今でこそネット上での性別偽装など珍しくもなんともないけれど、執筆当時はなかなか巧妙なやり口だったのではないでしょうか。この時代、このネタで面白い短編を生み出せる創作力に脱帽です。なお、「家に着くまで」同様、この話も『世にも奇妙な物語』で「ネカマな男」というタイトルで映像化されています。主演は椎名桔平さん。さすがの演技力で冴えない男を好演しているものの、やっぱりイケオジなんですよ。この人ならネットで嘘なんてつかなくても、遊び相手くらいすぐ見つかるんじゃ・・・と思ってしまいました。
「遠い窓」・・・車椅子の少女は、父と共に引っ越してきた洋館がお気に入り。洋館にはアパートを描いた絵が掛かっているのだが、絵の中の窓が、夜ごとに開閉を繰り返すのだ。この絵には、描き手である画家の魂が宿っているに違いない。空想に耽る少女は、やがて夢で画家と逢瀬を果たすまでになる。だが、そんな幸せな日々は、父が再婚相手の女性を連れてきたことで終わりを告げ・・・・・
「双頭の影」と並んで好きな話です。てっきり<夜な夜な動く絵>が中心となって進むかと思いきや、それはあくまで脇役。少女の残酷さと、彼女を取り巻く複雑な人間関係が浮き彫りになり、後味最悪のラストまで一気読みさせられます。ラスト、ものすごく幸せそうな少女がこれから直面するであろう現実を思うと、救われない気持ちになりました。
「生まれ変わり 」・・・亡き叔母にずっと恋心を抱き続けていた主人公。二十年後、叔母と瓜二つの女性を見かけた主人公は、彼女こそ叔母の生まれ変わりだと信じ、つけ回すようになる。調べたところ、彼女には結婚を約束した相手がいるらしい。邪魔者は許さない。主人公はとうとう婚約者を殺害してしまうのだが・・・・・
主人公目線で話が進むので一見純愛ですが、実は立派な(?)ストーカーの話。どんどん手を汚していく一方、<若い女性が中年男である自分を本気で好きになるはずない>等、妙に常識もあるところが逆に不気味です。今後が気になるという点では、これが収録作品中一番でした。
「よもつひらさか」・・・この世とあの世を繋ぐ坂、黄泉平坂。主人公が通る坂もまた、<黄泉平坂>と呼ばれているらしい。だが、長く疎遠だった娘と孫の家に行くためには、この坂を通らなければならない。途中、なりゆきで同行することになった青年曰く、この坂を通って行方不明になった人もいるそうで・・・・・
この状況で青年が登場した瞬間、ホラー慣れした多くの読者が「こいつ、怪しいぞ」と思うことでしょう。それは間違っていないのですが、大事なのは主人公の行動。何てことない一つの動作により、終盤、奈落の底に突き落とされる主人公が哀れです。日本神話に出てくる黄泉平坂のエピソードを知っていると、より面白さが増すと思います。
ヒト怖系のサスペンス作品もたくさん収録されていますが、とにかく最終話がインパクト大のため、超ど級ホラーという印象が強いです。そう思うと、収録順って大事ですね。「時を重ねて」辺りが最終話なら小気味良いサスペンス短編集になったでしょう。でも、ホラー大好きな私としては、この収録順に決めてくれた関係者全員に最敬礼したいです。
救いのない話が多いので要注意!度★★★★★
どれもこれも映像化向き度★★★★☆
読んだことのある作品でレビューもありました。
自分のレビュー読んで何となく思い出しましたが、不穏な雰囲気に好みの作風だった気がします。
双頭の影が面白かったと書いてありますが、よく思い出せないので再読しようと思います。
明日からリフレッシュ休暇に入りますので読書三昧ですが、予約本が届きすぎて読み切れるか不安です。
イヤミスあり、ホラーありで、お得感たっぷりの短編集でした。
昔読んだ作品って、自分でも驚くほど内容を忘れてしまうことがありますよね。
この他にも今邑彩さんの短編集を何冊か再読中ですが、いずれも細部を忘れていたため、新鮮な気持ちで楽しめています。
リフレッシュ休暇、いい読書タイムを過ごせるといいですね。
こちらにも新刊が三冊届いたので、さくさく読んでいこうと思います。