音楽とは文字通り<音を楽しむ>ものです。私は生憎音楽があまり得意ではありませんが、カラオケに行ったり歌を聞いたりするのは大好き。iPodにお気に入りの曲を入れ、登下校や通勤、ショッピング中などに聞くのが昔からの日課でした。
小説の世界にも、音楽をテーマにした作品がたくさんあります。それらを読んでつくづく思うのは、音楽を文章で書き表すのは至難の業だということ。単に楽曲を表現するだけでも難しい上、曲に込められた作者や奏者の感情、それを聞く側の音を楽しむ心を文字で描写するには、大変な筆力が必要となります。恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』や宮下奈都さんの『羊と鋼の森』などは、この点を見事にクリアした傑作でした。それからこの作品でも、音楽の楽しさが丁寧に描写されていましたよ。瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』です。
こんな人におすすめ
若者の清々しい成長物語が読みたい人
やる気があったはずの音楽の道に邁進することができず、怠惰な日々を送る主人公・宮路。ある日、レクレーションで演奏するため老人ホームを訪れた彼は、圧倒されるような素晴らしいサックス演奏を聞く。奏者は、ホームに勤務する介護士・渡部だった。またあの音色が聞きたい。その一心でホームに通い詰めるようになった宮路は、やがて目を逸らしてきた自分自身と向き合うことになる---――音楽を通じた再生を描く、爽やかな成長ストーリー
『夜明けのすべて』刊行から半年も経たないうちに瀬尾まいこさんの新作が読める!ということでワクワクしながら手に取りました。生き辛さを抱えた主人公が出てくる『夜明けのすべて』に対し、本作の主人公はなんだかだらけた極楽とんぼ。これはちょっと共感しにくい・・・?と思ったのも束の間、序盤である人物が出てきた辺りからぐいぐい物語に引き込まれ、気づけば主人公のことも応援していました。
主人公・宮路、二十九歳、無職。一度はミュージシャンを志すも、死ぬ気で音楽に挑む情熱はとうになくし、裕福な親から仕送りがあるのをいいことにだらだらと暮らしています。そんなある日、宮路は余興のため訪れた老人ホーム<そよかぜ荘>で、神がかったサックス演奏を耳にします。奏者は、<そよかぜ荘>で働く介護士の渡部。渡部の演奏をまた聞きたいがために<そよかぜ荘>に通い始めた宮路は、次第に入居者の老人達とも親しくなります。そして、自分は今まで何をしてきたか、何がやりたいのかを考えるようにもなりました。
前半、親の脛をかじりまくって無職生活を送り、名サックス奏者である渡部に「一緒に音楽ででかいことしようぜ」と具体的な計画もなく持ちかける宮路は、はっきり言って甘やかされたボンボンそのもの。生活に苦労している人間の目には、ごく潰しと映っても仕方ありません。『夜明けのすべて』の美紗や山添君が、どうにか病気と折り合いをつけて暮らしていこうと四苦八苦する姿とはあまりに差があります。
のほほんとした宮路にイラッとしながらも嫌いになることはできず、いつしかエールを送ってしまうのは、彼の言動の端々に人柄の良さが出ているせいでしょうね。<そよかぜ荘>で出会った老人に用事を言いつけられれば、ブツクサ言いつつも引き受ける。面白い本を買って来てくれと頼まれれば、どんな本なら老人を楽しませられるかを必死に考える。ウクレレを教えてほしいと請われれば、わざわざ教則本を買ってまで練習するetcetc。甘ったれながら狡猾さや陰湿さが微塵もない宮路の姿、彼が少しずつ大人として前進していく姿は清々しいです。出番は少ないながら、宮路父の、息子を甘やかしつつも決して見放しているわけではない様子も好印象でした。
さて、そんな宮路の成長に少なからず影響を与える介護士・渡部ですが、この名前にピンときた方もいると思います。彼は、瀬尾さんの著作『あと少し、もう少し』で主要登場人物の一人だった渡部君の成長後の姿なんです。あの頃はティーンエージャーだった渡部君が、今や立派な介護士に・・・前作を読んだことがある読者なら、感慨深さを覚えること請け合いです。ふらふらした宮路に対し、柔和ながらブレない芯がある渡部の人物造形が、これまた巧みなんですよ。入居者達の老いや病に直面し、感情的になる宮路を、現実的に淡々と諭す渡部の言葉・・・確かに、介護を仕事にしている以上、「可哀想」「気の毒だ」という気持ちだけじゃどうにもならない部分がありますよね。ただただ優しく接するより、よっぽど心に響くものがありました。
老人ホームという場所特有の悲しい別れや変化の場面はありますが、そこは瀬尾まいこさんの作品なだけあって、後味の悪さは微塵もなし。要所要所で挟まれる音楽のシーンはとても生き生きしていて、宮路らと一緒に演奏を楽しんでいる気分になれました。ラスト、ある人物の演奏を宮路が聞くシーンの切なさと、それを上回る温かさといったら・・・・・久しぶりに坂本九さんの歌が聞きたくなったなぁ。
扉をたたく音は、どこにだって流れている度★★★★★
『あと少し、もう少し』を読んでおけば楽しさ倍増!度★★★★★
主人公の宮路の甘い考え方にもイライラするところなく何かやらないとと焦りながらも何も出来ない、何をすれば良いのか分からない~そんな気持ちに共感してしまいました。
どこかのほほんとした渡部君の辛辣な言葉が印象的でそれが主人公の千里の道の一歩になったと思いました。
悩める人に背中を押す渡部君が「あと少し、もう少し」で太田と中学駅伝を走った吹奏楽部の中学生だったのでしょうか?再読したくなりました。
読み終わった後に「頑張れよ」と言いたくなりました。
主人公の甘さや中途半端さは、誰しも一度は経験するものだと思います。
彼の場合、渡部君をはじめ、時に励まし、時に現実を見せてくれる相手と知り合えてラッキーでしたね。
渡部君は「あと少し~」の駅伝チームのメンバーでした。
細部を忘れてしまったので、私も再読したいです。