日本という国にとって、桜は特別な花です。様々な組織でシンボルマークとして使われ、桜のシーズンにはあちこちで花見が催され、桜をテーマにした歌や絵画は数知れず。薄紅色の花びらを一斉に付けた、華やかでいながら清々しい様子が愛される所以でしょうか。
その一方で、桜には妖しく底知れないイメージもあります。梶井基次郎は著作『桜の樹の下には』で「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いていますし、そこから進化したのか「桜の花びらが薄紅色なのは、下に埋まった死体の血を吸っているからだ」などという怪談まで存在します。同じ美しい花でも、元気一杯に咲くチューリップや向日葵とは違う、どこか寂しげで妖艶な様のせいかもしれませんね。今回は、ちょっと季節外れですが、桜の持つミステリアスな雰囲気を活かした小説をご紹介したいと思います。花房観音さんの『鬼の家』です。
こんな人におすすめ
妖しくも哀しい怪談短編集が読みたい人
かつて千本の桜が植えられていたとも、死者のための卒塔婆が千本建てられていたとも言われる千本通り。鬼が棲むと伝えられるその土地に、さる資産家が邸宅を建てたことが悲劇の始まりだった。孤独からよそ者の男を求めた貴婦人の運命、禁忌を破った少年が見た罪の行方、幸福の絶頂だった新妻が知る一族の秘密、一人の男を間に挟んだ女達の争いの結末、あまりに対照的な双子と知り合った男の末路・・・・・京都を舞台に繰り広げられる、美しくおぞましい六つの恐怖
京都を舞台にしたどろどろの愛憎劇は、花房観音さんの十八番。本作ではそこに<鬼>という怪談要素が加わっていますが、重きを置かれているのは人間の狂気や悪意ですし、花房観音さんお得意の官能描写も控え目で、恐ろしくも読みやすい作品だと思います。何より、作中のあちこちで出てくる桜の描写がものすごく綺麗!和風ホラーに桜の組み合わせって、なんでこんなにぴったりはまるんでしょうね。
「第一話 桜鬼」・・・時は明治。桜子は、富豪である夫・松ケ谷吉二郎が自分のために建ててくれた洋館に住んでいる。何不自由ない生活だが、多忙な夫とはなかなか会えず、寂しさを持て余す毎日だ。そんなある日、桜子は館の前で行き倒れかけていた夫婦を助け、なりゆきで家に置いてやることにする。夫の名は李作、妻は梅。桜子は、李作の異国風の美貌に惹かれていき・・・・・
すべての悲劇と恐怖の始まりが描かれたエピソードです。明治維新後という、活気に溢れていながらどこか混沌とした時代が、この話の持つ退廃的なムードとマッチしていました。いきなり現れた李作と梅夫婦はいかにも怪しげで、普通なら桜子ピンチ!となるところですが・・・これも、この土地が持つ鬼の力なのでしょうか。
「第二話 鬼の子」・・・豪華な洋館で暮らす少年が、親からきつく言い渡されている一つの掟。それは、屋敷内のある部屋にだけは決して近づいてはいけないというものだった。一体あの部屋には何があるのか。疑問に思う少年だが、ついに秘密を知る日がやって来て・・・
このエピソードの主人公は、第一話に出てくる桜子の息子。まだ子どもなので、屋敷内で何が行われているかよく分かっていないのですが、そこここの描写からヤバい気配が読者にびんびん伝わってくるという書き方が巧いです。主人公の出生の秘密が明らかになる場面は、あまりの悲惨さに言葉を失いました。
「第三話 鬼人形」・・・優しい夫、思いやりのある義両親、広々した洋館での贅沢な暮らし。幸福を噛み締める新妻だが、一つだけ理解できないものがある。それは、玄関ホールにぶら下げられた不気味な人形で・・・・・
今回主役を務めるのは、松ケ谷家の現当主の妻という、いわば<外>から来た人間です。夫である松ケ谷塔一郎(第一話の桜子の孫)は誠実な人物のようだし、後半、諸々の事情が分かった後も真摯に妻を思いやっているように見えます。いい人じゃん、と思っていたら・・・最後の最後に明らかになった業の深さに啞然とさせられました。主人公である妻が、そんな夫を喜んで受け入れているところが妙に怖かったです。
「第四話 奥様の鬼」・・・最初の妻と死別後、新たな妻を迎えた松ケ谷家当主。次第に驕慢さを増していく後妻。前妻への敬意から、後妻を軽蔑する女中。女中は後妻に対し、とある企みを実行に移すことにして・・・・・
<優しい最初の妻が死んだ後、強欲な女が後妻になる>というのは、『シンデレラ』『白雪姫』などでも見られる物語の王道パターン。このエピソードの場合、後妻に反感を抱くのが実子ではなく女中であり、当主との間に男女関係を絡めることができるのが面白いです。この後妻、驕り高ぶった意地悪な人で、末路としては自業自得な面も多々あるのですが・・・まあ、人を呪わば穴二つということでしょうか。
「第五話 守り鬼」・・・牧雄は、大きな洋館に住む文彦と友人になる。文彦には、光と影と言えるほどに似ていない双子の兄・綾彦がいた。綾彦の存在に引っかかるものを感じつつ、文彦との友達付き合いに支障はなく、恋人もでき、日常を謳歌する牧雄だが・・・
基本、男女関係が中心となる収録作品中、このエピソードのみ主人公と男友達の関係が主軸となっています。牧雄の末路は悲惨だけど、宿命から逃れようとして逃れられなかった文彦も哀れだよなぁ。これ、牧雄が女だったらどんな展開になったのか、少し気になります。
「第六話 寂しい鬼」・・・取材のため、千本通りの洋館を訪れた主人公は、そこで桜子という女主人と対面する。桜子は、自宅だった洋館をカフェレストランに改築して成功を収めた話題の人物。桜子は、いずれ宿泊もできるようにしたいからモニター第一号として泊まってくれないかと主人公に持ちかけて・・・・・
ここで舞台は現代になり、同時に、第一話から続く因縁が結実します。桜子は見るからに怪しげだったけど、まさか主人公にもこの家との繋がりがあったとはね。桜子が主人公に語る、洋館を結婚式場にするという計画の真意が怖すぎました。ところで、さらりと流されたけど、洋館で働く徳松夫婦って第一話と同じ人達?まさかこの人達も人間じゃない?
女主人の名前が<桜子>であることからも分かる通り、本作の至る所には桜が登場します。前書きでも書いたように、桜はどことなく儚く寂しげな雰囲気のある花。第一話の桜子が人の道を踏み外したのだって、そもそもは寂しさが原因なんですよね。能には、孤独に耐え兼ねた女が鬼になる話もあるし、寂しさというのは恨みつらみよりよっぽど人を鬼畜に堕とす力があるのかもしれません。
鬼と人とは表裏一体・・・度★★★★★
こんな素敵な洋館で結婚式を挙げてみたい!!度☆☆☆☆☆
面白そうです。ホラーミステリーはホーンテッド・キャンバスシリーズのようにヒューマンドラマとの組み合わせが好みです。桜をテーマにしている短篇集ということで特に興味深いです。年齢を重ねるほど桜の花が好きになっていく気がします。スマホのフォルダは桜の写真だらけです。
華やかさと妖しさが並び立っているところが、桜の魅力ですよね。
そんな愛すべき桜の花が、ホラーの小道具としてうまく使われていました。
各話の登場人物達の繋がりを考えるのも面白かったです。