はいくる

「歌舞伎座の怪紳士」 近藤史恵

私は自他共に認める運動下手な人間ですので、体を動かす遊びはあまり得意ではありません。反面、インドア系の趣味は色々やりました。読書はもちろんのこと、映画鑑賞、音楽鑑賞、観劇、お菓子作り、ジグソーパズル、猫カフェ巡りetc。そんな中、歌舞伎には何となく興味を持てませんでした。あの独特の台詞回しや化粧に馴染めなかったんだと思います。

ですが、歌舞伎を現代風にアレンジしたスーパー歌舞伎を見て、歌舞伎に対する印象が変わりました。考えてみれば、歌舞伎とはそもそも庶民の娯楽。演目だって、心中だの敵討ちだの三角関係だの、生臭く人間味溢れるテーマがたくさんあります。今回は、そんな歌舞伎がより身近に感じられる小説を取り上げたいと思います。近藤史恵さん『歌舞伎座の怪紳士』です。

 

こんな人におすすめ

歌舞伎をテーマにしたミステリー小説が読みたい人

スポンサーリンク

過去の辛い経験から引きこもり生活を送っている主人公・久澄。そんな彼女は、ひょんなことから不思議なアルバイトをすることになる。それは、指定された舞台を鑑賞し、依頼主に感想を教えるというものだった。仕事を引き受けた久澄は様々な芝居を観に行くが、やがて劇場で必ず同じ老紳士に出会うことに気付く。おまけに、劇場では奇妙な事件が起きて・・・・・傷ついた心の再生を描く、ちょっぴり不思議な歌舞伎ミステリー

 

作者の近藤史恵さんの著作の中には、『探偵今泉シリーズ』『胡蝶殺し』のような歌舞伎界をテーマにした作品がたくさんあります。これはたぶん、近藤さんが歌舞伎を研究されていた経験に由来するのでしょう。上記の作品は、主要登場人物が歌舞伎界に身を置く人間でしたが、本作の主人公はそれまで歌舞伎とは何の接点もなかった元OL。前半は歌舞伎に対して「どんな感じなんだろう?」と身構える描写もあるため、歌舞伎に馴染みのない読者も共感しやすいと思います。

 

主人公の久澄は、実家で家事を引き受けて暮らす二十七歳の女性。前の職場で酷い目に遭ったトラウマから、今なお過呼吸などの症状に苦しんでおり、社会復帰できずにいます。ある時、久澄は祖母から「付き合いの関係上、様々な舞台のチケットが送られてくるが、年も年だし全部は観に行けない。代理で鑑賞して、感想を聞かせてほしい」と頼まれます。バイト代が出ることもあり、快諾する久澄。あれこれ観劇しに行くようになりますが、ふと、そこで必ず同じ老紳士に出会うことに気付きます。その上、他人の鞄のペットボトルをこっそりすり替える女性や爆破予告騒ぎにまで出くわし、久澄の閉ざされていた世界が少しずつ動き始めるのです。

 

観劇マニュアルなどではなく、小説でこれほど詳細に歌舞伎についてレクチャーしてある作品ってなかなかないのではないでしょうか。歌舞伎初心者の久澄が主人公である関係上、観劇時の服装や当日のタイムスケジュールまでしっかり描写してある親切さ。本作を読み終えれば、恐らく歌舞伎見物に必要なマナーは一通り学んだと言っても過言ではありません。もちろん、演目についても鑑賞中の久澄目線で丁寧に描いてあります。今はコロナ禍で劇場に行くのを控えている方も多いでしょうし、ちょっとした観劇気分が味わえると思います。

 

そんなワクワクドキドキした観劇パートとは裏腹に、登場する謎はほろ苦く深刻です。不倫、詐欺、会社内でのハラスメント。その陰に潜む、劣等感や見栄、嫉妬、傲慢といった黒い感情。特に、主人公・久澄が引きこもりになった理由が判明する場面は胸が痛かったです。ただ、久澄の過去をはじめ辛い出来事が延々と続くことはなく、一つ一つの描写はさらりとしているので、暗い気持ちを引きずらずに済みました。久澄が社会復帰を決める一番の動機が「お金を稼いで、もっと色々な舞台を観に行きたい」というのも、親近感があっていいですね。これが、「良くしてくれている家族に恩返しがしたい」とかだったら、立派だと思いつつもあまり感情移入できなかったかもしれません

 

また、久澄だけでなく、優秀な姉の香澄や、久澄にアルバイトを持ち掛けた祖母・しのぶさんの描き方も素敵でした。何でもできると思っていた姉の、思いがけない真実。厳格な祖母が抱えてきた過去の秘密。観劇を通して少しずつ前向きになった久澄が、それらを受け止める場面はとても清々しいです。ここに、劇場でたびたび遭遇する老紳士の正体を絡めてくるところが巧いんだよなぁ。彼が口にする「誰かがあなたを責めようとして発する言葉は、自分が一番言われたくない言葉」という台詞、ズシンときました。

 

メインは歌舞伎ですが、オペラや現代劇も登場し、最後まで飽きさせません。ちなみに、久澄が歌舞伎好きな女性と語り合う会話で出てくる役者は、『探偵今泉シリーズ』『胡蝶殺し』に登場するキャラクターです。今も役者として活躍中のようで嬉しい限り!あちらの続編はもう出ないのかな?

 

こんなに歌舞伎が分かりやすい小説はなかなかない!度★★★★★

表面だけじゃ見えないものってたくさんある度★★★★☆

スポンサーリンク

コメント

  1. しんくん より:

    演劇やミュージカルなど舞台は大好きですが歌舞伎は眠たいだけで意味が分からないと思っていましたが、大変歌舞伎に興味が沸きました。オペラもいつか観たいと思います。社会復帰出来るように前向きになっていく主人公の様子が良かったですね。

    1. ライオンまる より:

      歌舞伎の入門書としても優れた一冊だと思います。
      辛い描写もそれなりにありつつ、登場人物全員に救いがあるところもいいですね。
      不倫夫やパワハラ男には何らかの天罰が下ってほしいと思いますが・・・

しんくん へ返信する コメントをキャンセル

*

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください