はいくる

「獏の耳たぶ」 芦沢央

小説を面白いものにするためには、もちろん内容が大事です。ですが、それと同じくらい、タイトルが魅力的であることも大事だと思います。書店や図書館で本棚の前を歩き、タイトルに惹かれて本を手に取ることもあるでしょう。実際、内容を知らないにも関わらず、「タイトルが面白そう」という理由で読んだ本もかなりあります。

海外作品であればダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』やアガサ・クリスティ―の『そして誰もいなくなった』、日本の作品なら恩田陸『麦の海に沈む果実』や東野圭吾『むかし僕が死んだ家』などなど、タイトルが魅力的であるだけでなく、そこに込められた意味も味わい深いんですよ。ここ最近読んだ小説の中で、タイトルの意味に唸ってしまった作品はこれ。芦沢央さん『獏の耳たぶ』です。

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望んだ妊娠にも関わらず、繭子は出産後、衝動的に新生児室の息子を隣りに寝ていた子どもとすり替えてしまう。様々な偶然の積み重ねによりすり替えは発覚せず、子ども達はそれぞれの家庭で大切に育てられる。赤の他人の子と知りながら、段々と「我が子」である航太に愛情を感じていく繭子。だが、二人の少年が四歳になった時、ついに「取り違え」が発覚し・・・・・二組の家族と二人の少年。彼らの行く手に待ち受けるものとは。

 

ここにいる我が子がもし他人の子だったら。まるで悪夢のような話ですが、決してありえないことではありません。現実にも、取り違えにより赤の他人のもとで育つことになった子どもは存在します。ですが、この物語の中では、母親・繭子が自らの意思で息子を他人の子どもとすり替えるのです。すり替えたのは、顔見知りの妊婦・郁絵の子どもでした。

 

はっきり言って、繭子のこの行動は理解不能。もしかしたら、繭子自身にもよく分かっていないのではないかという気さえします。おまけに二人の女性は産後も交流を持ち、互いの息子同士も顔を合わせます。抱いているのが他人の子、目の前にいるのが実の子だと繭子は知り、郁絵は知らない・・・何とも残酷な場面ですが、彼らを待つ本当の試練はこんなものではありません。四年後に「取り違え」が分かったことで、二家族はさらなる地獄を見ることになるのです。

 

繭子の行動は許し難いものですが、その一方、周りの人物も、決して完全無欠の善人ばかりではありません。繭子の不安定さの原因を作った母親、出産に対する不安や緊張に鈍感な夫、無意識とはいえ配慮のない振る舞いをした郁絵、妻の貞操を信じられずに息子のDNA鑑定を行った郁絵の夫。彼らの行動の結果が、繭子による子どものすり替えであり、四年後の発覚です。この「小さな言動の積み重ねが悲劇を呼ぶ」という展開の描き方はさすがに巧く、イヤミス作家の面目躍如だなぁと思いました。

 

物語の前提に「子どものすり替え」がある以上、大団円を迎えることはできません。ですが、ここで唯一の救いとなるのは、タイトルの『獏の耳たぶ』です。悪夢を食べてくれるという獏。その耳たぶとは一体何を表しているのか。熱く語りたいところですが、ネタバレになってしまうので、ここでは抑えておきます。ただひたすらに二人の少年の幸せを願う、そんな作品でした。

 

血の繋がりの意味って何ぞや・・・度★★★★☆

何よりもまず子どもたちが笑顔でいられますように度★★★★★

 

こんな人におすすめ

血と縁について考えさせられる小説が読みたい人

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