はいくる

「歪んだ匣」 永井するみ

人あるところにドラマあり。一人の人間が存在すれば、そこには必ず悲喜こもごもが生まれます。それは創作物の世界においても同じこと。だからこそ、多くの人間達が集う場所は、様々なフィクション作品の舞台となってきました。

人が集う場所として、物語の舞台に選ばれやすいのは、学校や病院、住宅街。最近はタワーマンションが出てくる作品も多いですね。先日読んだのは、永井するみさん『歪んだ匣』。こういう舞台設定は意外と珍しく、新鮮でした。

 

こんな人におすすめ

オフィスビルを舞台にしたミステリー短編集が読みたい人

スポンサーリンク

不倫を清算しようとするOLの運命、電話番号から導き出される意外な秘密、夫の不義を疑った人妻の行く末、掃除婦が暴く飛び降りの真相、強盗事件に巻き込まれた店員の奮闘、秘書が気づいた謎の男の思わぬ正体・・・・・二十八階建てのオフィスビルで繰り広げられる、秘密と危険に満ちた人間模様

 

主人公が会社員という小説はそれこそ星の数ほどありますが、一つのオフィスビルを舞台にした連作短編集というのは読んだことがありませんでした。でも、考えてみればオフィスビルって、利害関係や上下関係で結びついた他人同士が集まる場所なわけですから、ミステリーの舞台にはぴったりですよね。永井するみさんらしく、警察が出てくるような刑事事件から、本来誰も気づかなかったであろう日常の謎まで、多種多様なミステリーが描かれていて大満足でした。

 

「重すぎて  25Fスタリオン・コーポレーション」・・・理想的な恋人との将来のため、不倫相手だった上司との仲を清算しようとするOL・亜紀。ところが、上司は別れ話にまるで取り合ってくれない。押し問答の末、亜紀は弾みで上司を階段から突き落としてしまい・・・

亜紀が相当身勝手なことは確かですが、この上司の独りよがりっぷりもかなりのもの。そのせいか、洒落にならない事態が起こったにも関わらず、読後感は結構良いです。この手のオフィス不倫小説の場合、年下女性のみ痛い目に遭い、男性管理職は無傷というパターンが多いからかな?ま、ともかく不倫はいけませんということですね。

 

「D・I・D  15Fキリシュ・コンピュータ」・・・社内で電話サポートの仕事を担当する直里は、ある時、男性同僚が一つの番号に繰り返し電話していることを知る。それはなんと、直里の母親の電話番号。父親との離婚以来、直里でさえ直接会ったことはない母と、なぜ同僚は電話しているのだろう。不審に思い、密かに調べ始める直里だが・・・

シニカルな一話目と打って変わって、ほんのりと心が温かくなるヒューマンミステリーでした。子どもの頃から寂しい思いをしつつも、誠実で聡明な女性に育った直里は素敵ですね。直里のそういう良さにちゃんと気づける人がいたこともまた素敵!これからみんなで幸せになってくれることを願います。

 

「歪んだ月  BFフィットネスクラブ」・・・もしかして、夫は不倫しているのではないか。疑心暗鬼に苦しむ主人公は、流されるように、フィットネスクラブで出会った男の誘いに乗ってしまう。そこで諍いになった挙句、勢い余って男を殺してしまうのだが・・・

夫への疑惑に疲れ、ついふらふらとよろめいてしまう気持ちは分からなくもありません。でも、その後の行動はやっぱり軽率が過ぎるよなぁ。第一話同様、取返しのつかない状況になってしまうわけだけど、これ一体どうなるの?この不倫相手、かなりいい性格の持ち主のようなので、個人的には主人公の思惑通りにいってほしいです。

 

「ドラッグストア  8F秋平建設」・・・単調な仕事にデリカシーのない同僚。日々に生き甲斐を見出せない加世子の憂さ晴らしは、ドラッグストアで万引きを繰り返すこと。ところがその現場を、いけ好かない年下の派遣社員に見られてしまい・・・

私自身、どんどんマイナス思考に陥りやすい性格なので、加世子にちょっと感情移入してしまいました。もちろん、どれだけストレス溜まろうと万引きはいけませんけどね。加世子にとって今回の出来事はかなり肝が冷えただろうけど、まだやり直せないわけじゃないし、これから真っ当な道で頑張ってくれればいいのですが。

 

「ブラックボックス  11F片倉食品」・・・勤務先ビルから身投げした一人の女性。自殺かと思われたが、彼女のオフィスに出入りしていた掃除スタッフの老女は、ある違和感を抱く。老女はその違和感を、アメリカ滞在中の娘に手紙で打ち明けてみて・・・・・

ちょっと趣向が変わり、掃除スタッフの母と在米の娘が手紙でやり取りする書簡形式のエピソード。このお母さん、高齢ながらなかなか頭が切れる上に行動力があり、長編ミステリーの主要登場人物くらい張れそうな良キャラでした。このキャラクターが、事件の苦さをうまく中和してくれていたと思います。それにしても、あんな些細な違和感によく気づいたなぁ。

 

「ダブル・オリーブ  27Fエル・デコ社」・・・白昼堂々、オフィスビル内のカフェで起きた強盗事件。店の内情をよく知っている者の犯行という可能性が高く、事件発生時、店内にいた従業員の龍に疑いの目が向けられる。疑惑を晴らすためには、同じく事件に遭遇した親子連れの客に証言してもらうしかない。ところが、肝心の親子の行方がなかなか分からず・・・・・

数少ない男性目線のエピソードである上、真昼間に起きた強盗事件という派手な出来事を扱っていることもあり、これまでの収録作品とはちょっとテイストが違うように感じました。無実の罪で疑われる龍にとってはとんだ災難だったけど、真相が分かって良かった!あとは諸悪の根源がきちんと痛い目に遭っていてくれるといいんですが。

 

「幻の味  13Fディッカーズ社」・・・レポーターを目指し、昼はオフィスビルのメール室でバイト、木曜の夜はラジオのトーク番組に出演している友里。ある時、友里はひょんなことから手に入れたキャンディが、発売前にお蔵入りした試作品だと知り、何の気なしにラジオで話題にしてみるのだが・・・・・

ふとした疑問からどんどん行動し、真相に行き着く友里は、まさにミステリー小説の主人公気質。前向きに頑張っている子っぽいので、落とし穴に落ちることなく謎解きが果たせてほっとしました。この真相は、サラリーマン生活を送ったことがあるか否かで、受け止め方が変わってくる気がします。

 

「ウーマン  23Fパラステア・インク」・・・ワーカホリックな上司がアメリカ出張となり、開放感に浸る秘書の希子。そんな中、希子はオフィスビルのエレベーターに、同じ男がずっと乗り続けていることに気付く。不審者か、誰かのストーカーか。不安に思った希子は警備会社に連絡するのだが・・・・・

過ぎるほど仕事人間な女性上司と、エレベーターで怪しい行動を繰り返す男。前半の不穏な空気と、謎が解けた後の爽やかさの対比が印象的でした。この上司、パワハラ寸前のワンマン管理職かと思いましたが、最後まで読むとなかなか魅力的な人です。とはいえ、こういうタイプには良きサポート役が必要だと思うので、希子に今後も頑張ってほしいですね。

 

「蝶のごとく  1Fホール」・・・ビル建設十周年を記念し、ホールで開催されることとなったオペラ歌手・京美のコンサート。その最中に、京美のアクセサリーが紛失するという騒ぎが起こる。マネージャーの真人は、ビル関係者達に事情を聴いて回ることにするが・・・・・

謎そのものも面白いですが、今まで出てきた各話のキャラクター達が再登場してくれることが嬉しかったです。京美はちょっと痛い思いすることになったけど、別に彼女も善人ってわけじゃなさそうだしな。最後の最後、一人勝ち状態となったあの人が、今後どうなるかがかなり気になります。

 

イヤミスありヒューマンドラマありでバラエティ豊かですが、個人的にはブラックな後味の方が好みでした。「この先どうなるの!?」というところで終わる話も多いため、人によっては消化不良と感じるかも?でも、私はこういうもやもや感が大好きなんです。

 

どんな人間にも秘密がある度★★★★☆

歪んでいるのは匣だけ度☆☆☆☆☆

スポンサーリンク

コメント

  1. しんくん より:

     オフィスビルで繰り広げられるヒューマンドラマ、永井するみさんの世代では馴染みがありそうです。東京でなくても大阪、神戸、福岡で周囲のビルに囲まれたオフィスビルで働く姿に憧れました。
     華やかな芸能界に深い闇があるように、エリートが集まるオフィスビルにもそれなりの裏側がありそうで楽しみです。図書館で探してきます。

    1. ライオンまる より:

      本作は恐らく「巨大ビルできびきび働くことって格好いい」と思われていた時代に書かれた作品です。
      リモートワークが決して珍しいものではなくなった現代で書かれたとしたら、また違った描写になったかもしれません。
      一見、洗練されたオフィスビル内で繰り広げられるシニカルな人間模様が面白かったです。

  2. しんくん より:

    面白かったですね。
    ちょうど自分は社会人になったばかりの頃で時代の流れを感じました。
    同じぐらいの時代を描いた「ミレニアム」を思い出しました。
    いろんなパターンのミステリーが楽しめましたが、廻り廻って主人公の都合が良過ぎる終わり方が返ってモヤモヤした気がします。
    一話目の「重すぎて」三話目の「歪んだ月」四話目の「ドラッグストア」が特にそう感じました。最後の「蝶のごとく 1Fホール」まさに蝶のごとく美味しいところを持っていったマネージャーのその後が気になりました。
    永井するみさんがコロナ禍のリモートワークでのミステリーがどう描くか?と思うと亡くなられたのが本当に残念です。」

    1. ライオンまる より:

      仰る通り、主人公のムシの良さが目立つ話が多かったですね。
      まあ、彼ら彼女らの思惑通りに進むとは限らないわけですが・・・・・
      「ミレニアム」、懐かしい!
      あれも同時代の勤め人を描いていましたね。
      久々に読み返したくなったので、図書館で探してみます。

コメントを残す

*

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください